第49話 忘却のタリスマン#2
誰が何のために作ったのか。決して天然の洞窟ではない。それはひとの手によって掘り進められ、木材のアーチで等間隔に天井を押さえあげていた。
細長いレールは闇の中まで延々と続いている。
脈動せし坑道。いつからか、ひとびとはこの秘境をそう呼んでいた。
浅いフロアは冒険者の出入りも頻繁なため、照明などが設置されている。しかし地下三階の半ばあたりから、坑道は闇に閉ざされていた。
「足元に気をつけろよー、イーニア」
「はい。大丈夫です」
場所によってはレールがぐにゃりと曲がって、意外な障害物ともなる。
セリアスたちはカンテラをかざしつつ、闇の中を慎重に進んだ。この階層のゴブリンは夜目が効くようで、暗闇はモンスターにだけ味方をする。
奇襲に備え、ハインは前衛で警戒に当たっていた。
「こいつは骨が折れそうではないか。グウェノ殿、あとどれくらいで最深部なのだ?」
「オレも知らねえんだ。ここはグランツから近いっちゃ近いんだが……」
未だに冒険者は誰も最深部には到達していないという。セリアス団にしてもコンパスと記憶地図がなければ、とっくに遭難していた。
「……………」
最後尾ではザザがしんがりを務め、常に退路を確保している。
灯かりの向こうで不意に何かが横切った。セリアスは剣を抜き、グウェノとともにイーニアの守りを固める。
「出たぞ!」
ゴブリンの亜種、ホブゴブリンだった。骨を齧ることを習性としており、通常のゴブリンに比べ、より好戦的とされている。
幸い、敵は二匹だけだった。右のホブゴブリンをハインが軽々と殴り飛ばす。
「迂闊なやつめ! ぬんっ!」
並みのモンスターであれば、この一撃で恐れ慄き、残りは逃げ出すものだった。しかしホブゴブリンは一匹になろうと、棍棒を握り締め、じりじりと迫ってくる。
(こいつも普通じゃないな。ここは一体……)
ところが、坑道に不気味な脈音が響くと、そんなホブゴブリンでさえ俄かに顔色を変えた。ありありと恐怖を露にし、闇の中へと逃げていく。
グウェノは弓を降ろし、肩を竦めた。
「またこの音だぜ。脈動せし坑道、なあ……」
「おぬしらにもやはり脈の音に聞こえるのか。ただの坑道ではないのう」
セリアスは今一度、耳を澄ませてみる。しかし先ほどの脈音は聞こえず、わずかに風の音を捉えるだけに終わった。
「……それにしても大した威力だな、ハイン。タリスマンは」
「うむ。加減にも大分、慣れてきたわい」
ハインの右腕には琥珀色のブレスレットがあった。
石でも金属でもない、奇妙な材質でできており、持ち主の腕に合わせてサイズを変えることすらある。これこそが『剛勇のタリスマン』だった。
これを身に着ければ、イーニアでもハインを腕相撲で打ち負かすことができる。剛勇のタリスマンは持ち主の腕力を劇的に高めてくれるのだ。ただし威力が大きすぎるため、このような地下では加減も必要になってくる。
怪力のせいで落盤、などという事故もありえるのだ。
「セリアス殿が使ってもよいのでは? 拙僧にはこの肉体がある」
ハインは得意げに上腕の力こぶを膨らませた。しかしセリアスは苦笑いで流す。
「そんなに力が強くては、武器が持たんさ」
「上手くいかねえもんだよなあ。とにかく盗まれねえようにはしねえと」
グウェノの口からは不満が漏れた。
「でもよぉ……タリスマンにしちゃ、ちょいと物足りなくねえ? 持ち主の筋力をアップします、ってだけじゃなあ」
タリスマンの効力にはイーニアも疑問に思っているらしい。
「確かにパワーリングでも代替できますよね。効果は段違いでしょうけど……」
現に似たようなアイテムは存在する。攻撃力を高めるパワーリングや、魔法の抵抗力をあげるレジストリングなどは、魔法屋でも売られていた。
ハインが感心気味にタリスマンの腕輪を撫でる。
「そう結論を急ぐこともあるまい。まだ秘密があるやもしれんしのう」
「それを突き止めるのも今後の課題だな」
その正体は定かではないものの、セリアスたちには『コンパス』があった。これを頼りに進んでいけば、いずれタリスマンの真相へと辿り着くことができるだろう。
しかしイーニアはまだ、何やら険しい表情で考え込んでいた。
「私、それをどこかで見た気がするんです。割と最近のことだったと思うんですけど」
剛勇のタリスマンは別段デザインが珍しいほどでもない。
「似たようなの、服屋で見かけたんじゃねえの?」
「かもしれません。あの……本当に少し気になっただけ、ですから」
セリアスも『なぜ腕輪なのか』とは思っていたが、デザインについては気にも留めていなかった。メルメダも『地味』と一蹴しただけに、さしたる値はつかないだろう。
ただ、イーニアの言葉は無視できるものでもない。
「何か思い出したら、教えてくれ」
「はい」
その後もセリアス団は少しずつ、着々とルートを開拓していった。
カンテラと照明の魔法だけが頼りとはいえ、ザザは暗闇をものとしない。隠し扉なども逸早く察知し、セリアスに合図を送った。
隠し部屋を隈なく照らして、セリアスたちは溜息をつく。
「……外れのようですね」
「だな。見ろよ、あれ。多分ミミックだったんだぜ」
宝箱は叩き潰されたようにひしゃげていた。ミミックだったのか、空っぽだったのか。何にせよ、この宝箱は冒険者の期待を大いに裏切ったらしい。
「やっぱ、どこも踏破されまってんだなあ……」
フランドールの大穴で冒険者たちが探検を始めてから、何年もの時が過ぎている。後発のセリアス団が幾度となく煮え湯を飲まされるのも、当然のことだった。たまにゴブリンどもが新たに隠したらしい宝箱を発見しても、中身はがらくたばかり。
「頼みの綱はイーニア殿のコンパスか」
コンパスはずっと下を指している。
「どこかに降りる道があるんでしょうか……」
「……下か」
ふとセリアスの脳裏で閃きが走った。
コンパスが指し示すのはタリスマンとは限らない。風下の廃墟では当初、摩訶不思議なプレートに反応し、道を開いた。
今回もプレートとするなら、見落としていたことになる。
「こうなったら、そこいらの落とし穴を調べてみるしか……なあ? セリアス」
「その前に床を調べなおそう。ここのプレートは水平になってるかもしれないからな」
ハインが『なるほど』と頷いた。
「そうか! プレートが壁ばかりとは限らんわけだ」
「ああ」
早速、皆で足元に注意を向ける。そのはずが、ザザは早々に踵を返し始めた。
「お、おい? どこ行くんだよ、ザザ」
「……………」
相変わらず一言もしゃべらないものの、彼の行動には必ず意図がある。
「心当たりがあるらしいな」
少し戻ったところには、前回の探索で調査済みの隠し部屋があった。その床の一部が平らになっており、カンテラを近づけると、例の文字が見える。
「こんなもんに気付いてたんなら、そん時に言えっての」
「こういうやつなんだ」
ザザのおかげで、今回は難なくプレートへと辿り着くことができた。イーニアがコンパスをかざすと、ハクアの光がプレートを消滅させる。
お調子者のグウェノはころっと機嫌をよくして、指を鳴らした。
「やりぃ! 大正解だったみたいだな」
「行ってみましょう! セリアス」
久しぶりの進展にイーニアも声を弾ませる。
「焦ることはないさ。さて、何が出てくるか……」
セリアスたちは細心の注意を払いつつ、いかにも脆そうな階段を降りていった。
このエリアに足を踏み入れたのは、セリアス団が初めてだろう。だが、セリアスたちの目に思いもよらないものが映った。
「きゃ……!」
イーニアは怯え、あとずさる。
それは冒険者の成れの果てだった。ざっと見たところ、五人分の白骨が転がっている。どこからか迷い込んで、帰れなくなったらしい。
「じゃあ、ここまで降りて来る方法は、ほかにもあるってことか?」
「あるいは、どこからか落ちて戻れなくなったか……」
モンク僧のハインが亡骸に祈りを捧げる。
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