第22話
バイオリンやフルートの音色が響き渡る。
演奏会は大いに盛りあがっていた。王立楽団によるオープニングを皮切りに、続々とアーティストが腕を披露していく。
当初は半信半疑だった冒険者らも、優雅な旋律に魅了されていった。
主催者のジョージ=エドモンドは特等席の真中で悠々とふんぞり返っている。
「ジョージのアイデアにしちゃ、いい感じじゃねえか」
「これで少しは街の空気も変わるだろうさ」
奇しくも子爵のひとり勝ちとなったが、おかげで城塞都市グランツは久しぶりに和やかな雰囲気で満たされた。
「……お? 次はジュノーの番だぜ」
「グウェノ殿の知り合いか?」
「そういやオッサンは会ってなかったっけ。演奏家で、何日か前にな」
いよいよジュノーが舞台にあがり、観衆にお辞儀から始める。
彼のハープも美しい音色を奏でた。定番のクラシックらしいが、音楽に疎いセリアスには『上手い』程度にしかわからない。
それでも演奏を聴くうち、安らかな気分になってきた。
(たまには悪くないな)
戦うことしかできない自分にも、人並みの感性が備わっていることに安堵する。
ジュノーのハープにも拍手喝采が浴びせられた。セリアスたちも手を鳴らし、彼の演奏を心から称賛する。
「よかったぜ、ジュノー!」
「うむ! 何とも素晴らしい一曲だったぞ」
その後も演奏会は続き、美麗なメロディが響き渡る。
この日は城塞都市グランツにとって穏やかな週末となった。
陽が暮れてから、セリアスたちは男だけで酒場のテーブルを囲む。イーニアはマルグレーテと一緒に淑女の集いに参加するらしい。
グウェノが陽気に音頭を取った。
「カンパーイっ!」
セリアスとハイン、それからジュノーもグラスを重ねる。
「急に誘って、すまなかったな。ジュノー」
「いいえ。僕も冒険者のかたからお話を聞きたいと、思ってましたから」
ゾルバにも声を掛けたものの、今夜はカシュオンの看病で手が離せなかった。少年の恋煩いは深刻な域に達している。
「イーニアさんにもお会いしましたよ。今日はとても綺麗でしたね」
「うちの大事な魔法使いに手ぇ出すなよ? ハハハッ!」
グウェノは早くも気持ちよさそうに酔っていた。
「イーニアもああやってると、普通の女の子だよなあ……もったいねえの」
「……まあな」
イーニアのことはセリアスも少し心配している。詮索するつもりはないが、かといってハーフエルフの生い立ちに無関心でいられるほど、薄情にはなれなかった。
おしゃべりなグウェノと笑い上戸のハインがいるおかげで、ジュノーもすぐに馴染む。
「ジュノー、オレのひとつ下だったのかよ? もっと若く見えるのに」
「父さんは会うたび家業を継げ、継げ、と……息子が音楽家では不満のようです」
「拙僧もいつか息子にそんなことを言うのだろぉなあ」
家族の話題から始まって、セリアスたちはグランツへ来た経緯などを語りあった。今夜はセリアスもほろ酔い気分になって、口が緩む。
「じゃあ、ジュノーとセリアスはどっちもソール王国から来たってことか」
「俺の生まれはフランドールなんだ」
「拙僧には、このあたりの国は全部、同じに見えてしまうのだが」
とりわけソール王国での話は受けた。セリアスの失敗談をグウェノが笑い飛ばす。
「ハハハハッ! でかい岩が転がってきたって、まじかよ?」
「本当なんだ。何か踏んだと思ったら……」
ジュノーは慣れた手つきでローストビーフを切っていた。その爪には小さなヒビが入っており、指の皮も白化している。
「ジュノー殿、その指……もしや楽器で?」
「はい。ああ見えて、ハープの弦は硬いですから。腱鞘炎も経験があります」
日々の練習で酷使しているのだろう。一見すると優雅なようで、ハープの演奏とやらはなかなか苛酷らしい。
(フッ。上手い言い訳だな)
セリアスのてのひらも何十回とまめができ、硬くなっていた。
ハインが酒を置き、一息ついでに腕を組む。
「ところでジュノー殿はこれからどうするのだ? 演奏会は終わってしまったが」
「実はグランツのかたがたから、楽器を教えて欲しいと頼まれまして。しばらくはグランツに滞在して、作曲もしようかなと思ってるんです」
「へえ……そいつをジョージんとこで?」
温和なジュノーも苦笑いした。
「ジョージさんは飽き性という噂ですから……手頃な部屋でも借りようかと」
「それなら」
セリアスが口を挟む。
「俺たちの屋敷に部屋が余ってるんだ。どうだ? 安くしておくぞ」
グウェノやハインは目を白黒させた。ジュノーは冒険者ではないにもかかわらず、部屋を提供しようというのが、信じられないのだろう。
「いいのかよ? セリアス」
「試しに部屋を貸してみたくてな。ご近所が何も言ってこなければ、ハープの練習も好きにしてくれて構わん」
とはいえ、無駄になっている空き部屋をひとに貸し、家賃を回収するのは利口な手段でもあった。良心的な金額を提示すると、ジュノーは遠慮しながらも乗ってくる。
「本当にいいんですか?」
「いくつか雑用と、探索中の留守番はしてもらうが」
「ええ! それでお願いします」
商談もまとまったところで、彼はおもむろに席を立った。
「では、僕はそろそろ……滞在の件について、子爵にもお話しておきませんと」
「明日でもよいのではないか? 子爵も今頃、好きに飲んでおろう」
「居候の身で遅くなっても、ご迷惑ですから」
ジュノーは酒で少し顔を赤らめながらも、慎ましやかに去っていく。
「そいや、あいつ……屋敷の場所は知らないんじゃねえの?」
「明日にでも俺が迎えに行くさ」
面子は減ってしまったが、グウェノやハインはまだまだ勢いを持てあましていた。
「にしても……今日のイーニアはいい線行ってたと、思わねえ? もうちょい歳が近かったら、オレもなぁ~」
この手の話題は、ジュノーの前では遠慮していたらしい。
「セリアスもそう思ったろ?」
「……まあな」
素っ気ない顔で返してやると、グウェノは口を尖らせる。
「ちぇっ、カマトトぶりやがって。お前だって女がいたことくらい、あるんだろ?」
「まあまあ、グウェノ殿。興味本位で女性関係を根掘り葉掘り聞くものでは……なら、セリアス殿はどういった女子が好みなのだ?」
フォローしつつ、ハインも結局は興味本位の追及にまわった。
酔っ払いふたりに囲まれては観念せざるをえない。
「……うるさくない女だ」
「ほう。おしとやかなおなご、か」
確かにそれは『おしとやか』とも言える。だが、セリアスにとっては『うるさい女は嫌なんだ』という意味合いが強かった。
(ザザが来てるんだ。メルメダのやつも多分……)
やがて酔いもまわってくる。セリアスは少しふらつきながらも立ちあがった。
「すまないが、今夜は飲みすぎたようだ。俺もそろそろ」
「ひとりで歩けっか? セリアス」
「問題ない。お前たちはゆっくり楽しんでくれ」
おぼつかない足取りで店を出て、涼しい夜風に当たる。
「ふう……」
どうにも酒というやつは苦手だった。一口目、二口目までは美味しいと感じるし、皆の冗談を聞いてやるのも悪くない。しかしグラスを空ける頃には、息が乱れてしまう。
残念ながら自分は酒に弱い。
その自覚があるからこそ、今夜も早めにあがらせてもらった。
(付き合いの悪いやつとでも思われたか……?)
ただ、女性の話が嫌で逃げたようなタイミングでもある。今頃はグウェノとハインで下世話な想像を膨らませていることだろう。
不意に空気が張り詰めた。
「……っ!」
妙な気配を察し、セリアスは腰の剣に手を掛ける。
ロータウンの夜道はしんと静まり返っていた。カンテラ風の街灯は道沿いに少しある程度で、真っ黒な地面は色さえわからない。
ひとまずセリアスは家灯かりを頼りにしつつ、手頃な塀を背にした。息を潜め、この数秒のうちは酔いを堪える。
しかし『彼』が塀の上に立っていることには、とうとう気付かなかった。
「……お前か、ザザ。脅かさないでくれ」
セリアスは負けを認め、仏頂面に苦笑いを浮かべる。
覆面を被った忍者、ザザ。任務のためなら冷酷無比になれる非情の戦士であり、その素顔は誰も知らない。ソール王国ではセリアスと敵対し、刃を交えたこともあった。
あの時、セリアスは忍者刀を奪い、彼の右手を刺し貫いている。
「……………」
ザザは何も語らず、人差し指をチッチッと振った。それだけで、用件は済んだとばかりに跳躍し、夜の闇へと消える。
「フッ……やつに案内はいらんか」
かつての好敵手が今回は敵ではないらしいことに、セリアスは安堵した。
☆
翌週には屋敷にジュノーを迎え、セリアス団は秘境の探索へ。
「今日も徘徊の森の続きですね」
「昼飯は拙僧手製のおにぎりだぞ。期待しててくれ」
「子持ちのオッサンの粗末な手料理で、誰が喜ぶっつーんだよ……ハア」
出発の前にギルドへ寄ると、意外な人物が待っていた。グウェノがあっと声をあげる。
「てめえ、こないだの忍者じゃねえか! なんでこんなとこに」
ザザは質問を意に介さず、覆面越しに無言でセリアスを見詰めていた。
「……………」
「そうか。わかった」
セリアスは肩を竦め、改めて彼を皆に紹介する。
「今日はオレたちと一緒に来る気らしい。邪魔にはならんはずだ」
「こいつが? どういう風の吹きまわしだよ」
ハインやイーニアもザザの急な参入には戸惑っていた。
「え、ええと……ですけど」
「拙僧も構わんのだが、黙りっ放しでいられて、まともに連携が取れるのか?」
ザザのことをほとんど知らないため、不安も大きいのだろう。しかしセリアスはザザという男の実力が比類ないことを、我が身をもって思い知らされていた。
「放っておけば、勝手に上手くやってくれるさ」
「ま、まあ……今日の働きを見てから、判断すっか」
こうしてセリアス団はザザを臨時メンバーとして迎えることに。
セリアスがザザに耳打ちする。
「留守番はどうした」
「……………」
その素顔を知る者は、きっと少ない。
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