第9話
城塞都市グランツはハイタウン、ロータウンの二段構造になっている。
タブリス王国の調査隊や貴族たち、資産家などは上のハイタウン。大半が流れ者である冒険者や民間の探検家らは、下のロータウンで生活を営んでいた。
ギルドや武器屋などもロータウンで営業している。
大穴の調査が始まって間もない頃、前線基地グランツはまだハイタウンの面積しかなかったという。野生のモンスターには丘の高低差を壁とし、対応していた。
ところが人材や物資が急に集まるようになり、丘の上だけでは足らなくなった。ひとびとは次第に丘の外へと街を広げていき、やがて『城塞都市グランツ』が完成したのだ。
無論、依頼でもない限り、セリアスのような冒険者がハイタウンに上がることはなかった。しかし今日に限って、セリアスはイーニアの紹介でグレナーハ家を尋ねる。
「ここですよ、セリアス」
「ああ。……思ってた以上にでかい屋敷だな」
イーニアが城塞都市グランツで世話になっているのが、この名家の若き当主、マルグレーテ=グレナーハ。以前、ギルドに用心棒を要請していた大貴族でもあって、セリアスも名前くらいは知っていた。
セリアスたちは客間へと通され、美貌で噂の当主を待つ。
「お待たせしてしまいましたわね、イーニア。それからセリアスさん、だったかしら」
セリアスは起立し、まずは名乗った。
「オレがセリアスだ。イーニアのパーティーでリーダーを務めている。あなたにはイーニアが世話になってるようで、こちらも助かってる」
「……ふふっ! イーニアに聞いていた通り、正直なかたですのね」
マルグレーテは愉快そうに瞳を細める。
相手が貴族だからといって、へりくだる真似などセリアスがするはずもなかった。とはいえ無礼を働いたつもりもない。
そのストイックな心意気は、おそらくマルグレーテにも伝わった。
「あなたのお話は聞く価値がありそうですわ」
「損はさせないさ」
改めてセリアスは席につき、革袋の中身を取り出す。
隣のイーニアが目を丸くした。
「セリアス、それは?」
「前にいたソール王国で、少し……な」
それは大粒の宝石で豪勢に飾り立てられた、ソール王家の杖。マルグレーテにとっても想定外の一品だったようで、感嘆の声を漏らす。
「んまあ……!」
「盗んできたんじゃない、国王にいただいたんだ。確かめてもらっても構わん」
ソール王国では地下迷宮に放り込まれたり、クーデターに巻き込まれたりと散々だったが、このような収穫もあった。
「まあ、なんだ……成り行きで王を救出してな。その礼に、と」
「でしたら、ついでに王国騎士にでも志願なさればよろしかったのに」
「誘われはしたが、断ったのさ」
説明が面倒くさいだけで、事実なのだから、どのような質問にも答えられる。
マルグレーテはセリアスを見詰めながら、唇の端を曲げた。
「……いいでしょう。ですけど、それをどうして私に? これほどの宝ですもの。羽振りのよい商人か、見栄っ張りな貴族のもとへ持っていったほうが、賢いのではなくて?」
彼女の言う通り、売るだけなら、ほかに選択肢もある。
だが考えなしに商人に見せたところで、トラブルの種となる可能性が高かった。また、利口な商人は盗品を警戒しており、出所の怪しい品物は相手にしない。
それこそジョージ子爵のような輩は下手に騒ぎ立てるため、見せられなかった。
「あなたはお人好し、だろう?」
「うふふ。どうかしら」
その一方で、マルグレーテはわざわざ『ハーフエルフの娘を保護』という厄介事を引き受けている。何のメリットもない、にもかかわらず。
つまり彼女を頷かせるには、第一に興味を引くこと。王家の杖は単なるきっかけに過ぎず、セリアスはマルグレーテの信用を得ることを、目的に据えていた。
「だから……あなたなら、この杖の価値がわかると踏んだんだ」
グレナーハ家の当主が優美に微笑む。
「そう言われては、こちらも貴族の矜持を示さねばなりませんわね」
商談は成立。ソール王家の杖は『正式』に彼女の手に渡る。
「おかげで、いずれソール王国とは有益なお話ができそうですわ。国王の友人を経てグレナーハ家に託された、この王家の杖……何ともドラマティックではありませんか」
イーニアはただ呆然としていた。
「マルグレーテさん、そこまでお考えになって……」
「あら? セリアスさんはそのつもりで、これを譲ってくださいましたのよ」
つまり杖ではなく、ソール国王とのコネクションを売ったのだ。今回の取引はイーニアにも勉強になっただろう。
マルグレーテは扇子を広げ、セリアスに問いかける。
「それで……何をお望み?」
セリアスは仏頂面なりにはにかんだ。
「手頃な物件を融通してくれないか」
「え? セリアス、もしかして家……ですか?」
イーニアがまた目を点にする。
城塞都市グランツにて、セリアスの一行は冒険者向けの宿に滞在していた。そういった宿は宿泊費こそ高くないものの、食事を好きに選べなかったり、ほかの客との兼ね合いなど、不都合も多い。
おまけに格安の宿では、ミーティングの内容が隣の部屋にも筒抜けだった。セリアスとしては無論、秘境探索の進捗は外部に漏らしたくない。
「グランツを出る時には返す」
「それには及びませんわ。……いいでしょう、手配しておきます」
要望はあっさりと通った。これも先ほどの駆け引きで、彼女の信用を得たおかげ。
「私がギルドに出した依頼は、あなたが果たしてくれることでしょうし。引き続きイーニアのボディーガードをお願いしますわ」
「そういうことか。試されていたのは、オレのほうらしいな」
今になってセリアスも少々、肝を冷やした。
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