乾杯

「おい、これ」

「明日まで」

「早くしておけよ」


 ルーグの事務机にどんどんと書類が置かれていく。

 明らかに一人でやる量ではない。だが、他の皆はさっさと家路につき始めている。

 だが、ルーグは文句を言うことなく淡々と仕事に取り掛かっていく。


 実は、懲罰部隊に送られる前のルーグは短気な性格ではあったが、割と事務仕事にも精を出すタイプだった。

 ルーグが居なくなった後は、徐々にそういった事務仕事が滞り始めたのだ。


 そして偶然、このタイミングでアインリッヒ家はルーグとは違い本当に溺愛しているルーグの弟を軍に送り込んだのだ。


 貴族は忌み子を軍に島流しとして送ることもあるが、自慢の子も出世ルートを確保した上で送り込むことがある。

 とっくに王都の軍部は腐りきっていた。


 話を戻すと、王国軍の人事部は彼の雑用係にルーグを戻したのだ。

 運よく懲罰部隊から帰ってきてこられたのだから、もう二度と反抗的な態度はとらない筈……そう考えのもとで戻されたのだが、実際、ルーグは文句も言わずに与えられた仕事をこなし続けていた。


 兄のあまりの変わりように、ルーグの弟も困惑したほどだったが、だったら、容赦もいるまいと以前よりも理不尽な仕打ちを繰り返した。


 今日も今日とて、彼は取り巻きを引き連れ夜の街へ。

 ルーグだけは、暗くなった事務所の中でもくもくと仕事を続け、時計の針が頂点を差し掛かった時にようやく終わったようだ。


 だが、ルーグはまだ席を立たない。羽休めの伸びすらしない。

 ルーグは口角を上げた、ここからが本番なのだ。


 ◇


 ルーグは何の変哲もない戸棚を開ける。

 何の変哲も無いが……ここには王都が危機に陥った時の防衛計画書が入っている。

 そんな重要な書類が、こんなところに放置されているなんて馬鹿げているが、ルーグにとっては好都合だった。

 ページを捲っていき、時折メモを取る。


 とはいえ、大部分の防衛計画は杜撰極まりない。

 20年前の地図から置き換わってなかったり、上層部が視察に来る時の為に綺麗な大隊列を組んで大通りを歩くようにと書かれていたりだと……王国は勝ちすぎて、その富が集中した王都は戦争の仕方を忘れてしまったようだ。


「……うちの隊長なら余裕だな」


 何が余裕なのか、ということは呟かなかった。

 一通り目を通し、偶に書き加えたりすると、ようやくルーグは席を立った。

 しかしながら、まだ眠らない。


 軍の兵舎を抜けると、ルーグは夜の街へと繰り出した。

 だが、彼の弟たちが行ったような美女が接待してくれるような煌びやかな街では無いく、王都の外れのドブネズミの住処のような街だった。

 最下層の労働階級たちがほんの少しの駄賃を握り締めて訪れる街、ここがそうだ。

 普通ならば、貴族は近づかないし、変わり者の貴族が訪れた際には、ここの住人たちは警戒して巣穴に戻ってしまう。

 だが、ルーグには顔面の傷がある。これと適当な安物の庶民服で立派な通行許可証だ。

 そして、数日前から通っている飲み屋のカウンター席に腰を下ろす。

 ここの安酒が気に入ったのではなく、目当ては別にある。


 自分の背後のテーブル席で、話し合っている二人の身なりが良くない若い男女だ。

 今日だけではない、ずっと前から真剣に二人で話し合っている。これが痴話げんかだったらルーグは一切興味を持たなかっただろうが、そうじゃない。


「……じゃあ、決まりね」


「ああ、僕らの復讐は此処からだ。

 皆だ……貴族共はは皆、標的だ……今度は僕たちがあいつらを家畜のように……」


 女の問いに対し、男は不気味な笑みを浮かべた。そしてその決意をグラスの反射越しに確認したルーグも笑みを浮かべた。


 二人の男女は、この国に対する復讐について話し合っていたのだ。


 何でも、幼馴染である彼らの昔からの仲間が貴族にとらえられ、奴隷として売られてしまったようだ。

 国に助けを求めたが、貧しい身なりである彼らに手を伸ばすほどこの国は優しくはなかった。どうしようもない絶望と怒り……遂に、今日彼らは復讐を決意した。


 ルーグは彼らの復讐対象である貴族だ。

 しかしながら、誠に不謹慎だが心躍らせていた。


(この二人なら上手くやるかもしれない……。

 確かジーク隊長と、副長も同じような境遇だった気がする。

 こういう不遇な扱いを受けていた奴は、何かが狂っているのかもしれない。


 ……さぁ、俺に見せてくれ! 

 俺を含めてで全然構わないから、滅茶苦茶にしてみてくれ! 

 あの時の隊長みたいな狂気を見せてくれッ!)



「っ……もう一杯!」


 ルーグは満面の笑みを浮かべ、景気よく彼らの狂気に乾杯を捧げた。

 だが、どうしてだろうか。


 この二人は何かが足りない気がする、そんな考えがルーグの心の奥底を這いずり回っていた。

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