命乞い

 毛布とは到底言えないボロ切れを身から剥がし、身体を起こす。

 この日、ルーグは塹壕で朝を迎えた。

 これだけ目覚めが悪ったのは、幼少期のころにあった一秒でも希少が遅れると、メイド長が冷水をかけて起こすといったいやがらせのような躾のとき以来だった。


 しかし、これはいやがらせではない。

 此処は前線、偶に砲弾が飛んでくるからだ。それに対抗できる鉄筋コンクリ製の建物は僅か、そこで寝泊まりできるのは戦果を多く上げた者や有能な働きを見せるものにあてがわれるご褒美なのだ。


 起床後、この時点では中隊規模の部隊は招集を掛けられた。

 雑談をベラベラと喋りながら、隊長殿の到着を待つ兵士達。こんなものは軍隊とは言えない……やはり、ルーグは嫌悪感を覚えた。

 だが、ジークが、此処に居る皆より明らかに一回り小さい少年が指揮官の台に立った瞬間、そのよどんだ空気がぴしゃりと引き締まった。


「全員、揃ったな。

 我々の親愛なる中央指揮所から直々に命令があった」


(こんな部隊に中央からの直々の命令……?)


「今からいう部隊以外は1000に第7高地への威力偵察を行う、指揮官はフォッグマンだ。

 第四小隊、それから……新入り貴族、お前に直々のご指名だ」


 ◇


 ジークとその副官エリー、それから第四小隊の面々に続き、ルーグは積雪の中を歩く。

 塹壕の中はまだ生温い温もりがあったが、この山中は極寒だ。しかし、ルーグの腸は煮えくり返っていた。


 大隊長は自分よりも一回りか、もう一回り歳が若い少年。その少年に対してまるで修学旅行のような様子で、楽しげに頬を染めながら話しかけ続ける少女……強さを目の当たりにしたジークはともかく、こんな少女が強いわけがないとルーグは確信していた。

 他の面々もだ。

 先頭の二人の様子を見ながらも、何でもないと言わんばかりに気にせずに雑談を繰り広げている。彼らの様相はろくでなしそのものだ。

 こんな奴らと一緒にされるなんて、気に入らない。

 ルーグのプライドは高かった。


 その原因は自分を救ってくれた祖母にあった。彼女も当然アインリッヒ家の一員だったが、どうやら昔亡くなった自分の息子と幼かった頃のルーグが似ていたから、感情移入したようだった。

 だから、その恩に報いるためにも彼女の孫として立派な貴族になりたかった。


 だが、これだ。

 この有様だ。


 と、ここでジークが立ち止まった。


「状況を開始する」


 ◇


 ルーグたちは地面に伏せた。

 なだらかな雪原、あまり高い木は生えていないが、草や低木のお陰で身は隠せそうだ。

 事前に説明された作戦では、前線基地に進撃する敵を迎撃する予定だが……ここまで来て、ふとルーグは我に帰った。

 よく考えたら、自分は最前線で実際に戦ったことはないのだと。

 そう考えると、急に恐ろしくなって……。


 身体が小刻みに震え出したのを何とか悟られないように堪えながら、ぼろぼろの双眼鏡を覗く。

 そして、そのまま時間だけが過ぎていき、緊張が和らぎ始めた時だった。


 平原の向こうから、人影が現れた。

 しかも……。


「お、多い! 事前の情報と全然違うじゃないか!」


「はしゃぐな。

 ……次無許可で騒いだら殺すぞ」


 パニックを起こしかけるルーグと対照的に、ジークは至って冷静だった。

 だが、状況は無常だ。平原の丘になっているところから続々と人影が増え続ける。

 ルーグは声のトーンを落としつつも、尚も抗議を続ける。


「どういうことだ!? 事前の情報が間違っていたんじゃないのか!?」


「此処は懲罰部隊、正確なことなんて何もないし、何も寄越されない。

 そして、察しも悪いのか? 不出来な貴族だ。


 ……お前の出撃は中央指揮所のご指名だ」


「……っ!?」


 自分のことを的確に挑発したあの貴族士官、そして何か事前に決められていたかのような軍法会議、そこからの懲罰兵としての出撃……ルーグはやっと気が付いた。


 事前情報と大きく違う敵兵の数……これは誰かの計画通り、嵌められていたのだ。


「ジーク君、あと敵さん300mで射程圏内ね」


「ああ、了解。全体、射撃用意」


 ジークの声に合わせ、他の兵士がニヒルな笑みを浮かべ、ライフルに弾倉を込め、照準をのぞき込む。ルーグには理解が出来ない。勝てるわけが無い。いや、そうでなくても、今から死ぬかもしれないというのに、何故こいつらは嬉々としているのか。


 そして、理性が崩壊した。

 ルーグは後先考えない一瞬の感情のままに、ライフルをジークの方へと向けたのだ。


「わ、わ、たしを! 私を逃がしてくれ! 私は貴族だ、選ばれしものなんだ、此処で死ぬような男じゃ――!」


 ルーグ本人でも、醜いと思ってしまうような命乞い。

 が、次の瞬間、ルーグの視界は真っ白に染まった。誰かに頭を足で地面に叩きつけられたのだ。溺れるようになりながらも、必死で顔を土から逸らし、何とかその主の顔を拝み、恐怖した。


 それは先程まで、ジークに向けて天使のような笑みを浮かべていた銀髪の少女、エリー・トストだった。

 だが、今はいつの間に背後に回っていたのか、ルーグの頭を踏みつけ、そしてマネキンの方が余程人間味があるような無表情を浮かべ、彼の頭部に銃口を向けていた。


 天使の姿をした悪魔とは、多分これのことだ。

 ルーグは恐ろしくなり、取り繕ってきたプライドを捨ててしまった。


「や、やめ! 待ってくれ! 

 ち、違うんだ! 今のも、何もかも!

 どんなに頑張っても、皆が私を――皆が俺を認めてくれないんだ!

 こんなはずじゃなかった、頼む、チャンスをくれ!


 次は上手くやるから!」


「副隊長の権限を以って、これより離反者を抹殺す――」





「待て、エリー。

 面白い、その男の言うことを確かめてみよう」


 ルーグの命運のかかったトリガーを引き留めたのは、ジークだった。

 ジークはあと少しで射程圏内に入る敵を眺めながら、横目でルーグを見ていた。


 心底、面白そうな笑みを浮かべながら。


「どうせ、試したいのなら……最も公平な場所が良いだろう?」

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