もう一つの秘密(1)
「あなたの役割は、器の心を揺さぶることです」
父と聖女の話が終わると、魔族は私に向けてそう言った。
「同時に、器を呼び寄せるための餌でもあります。あなたがここにいれば、器は必ず奪いに来るでしょう」
魔族の態度は慇懃だ。だけど少しも情はない。
冷たく無情な目が、私を見据えている。
「離宮で秘宝が使えればよかったのですが、あそこは人が多すぎて、誰が魔王様の心を得るかわかりません。魔王様の器には力ある者にこそ相応しい。……その点では、勇者も非常に惜しいのですが」
アンリは魔王の力を拒み続けている。
彼らにとって重要なのは、あくまでも魔王であり、その体ではないのだ。
「あなたを殺して、勇者に真の魔王になっていただくという案もあったのですが。その前に伯爵が興味深い提案をしてくれました」
魔族の言葉に父が頷く。
私に向ける表情はやはり侮蔑の色しか見られない。
わかってはいたけれど――やはり父の提案とは、私の命を救うためのものではないのだろう。
「どうせなら、聖女の力も勇者の力も得てしまおうと。なるほど、人間は強欲なものです。しかし試す価値はあると思えました。弱い心はなくとも、オレリア様も十分魔王に相応しいお心をお持ちです」
……それは、悪い心を持っているという意味だろうか?
「聖女と勇者、両方の力を得るに越したことはありません。我々の望みは、最上の状態で魔王様の復活をお迎えすることですから」
「……どうして、私にそこまで話をするの」
言葉を切って一礼する魔族に、私は眉をひそめた。
自分の置かれた状況はわかったけれど、そこまで言われて大人しく人質はしていられない。
この大広間にいるのは、私たち四人だけだ。
体も思いだけで、特に拘束はされていない。
隙を見れば逃げ出せるかもしれないと、私は一歩足を引く。
「なに」
そんな私を嘲笑うように、魔族は目を細めた。
「知っていた方が増す恐怖と言うのもありましょう。勇者に助けられたときに、あなたが満面の笑みでは困るのですよ」
だから――と言って、魔族は私に歩み寄る。
私は思わず、もう一歩足を引いた。
逃げるためではない。魔族に気圧されたせいだ。
「だから、これは罠なんですよ。じきに、勇者とともに離宮の兵が押し寄せてくるでしょう。あちらの兵力はグロワール国王の手紙で把握しているので、こちらもそれにふさわしい準備をしました。……勇者以外の、すべてをすり潰せるだけの数と力を」
「罠……?」
「離宮の兵は王都に入る前に殲滅されるでしょう。どうにかここまでたどり着いた勇者も、この場で魔王様のお心と分離されます。頼りの勇者が失われれば、人間たちの結末は見えていますね? それを知ったうえで、あなたには勇者を出迎えていただきたいのです」
私は息を呑む。
もしも今、アンリが助けに来てくれたとして――。
この話を聞いてしまった以上、私は彼を喜んで迎えられない。
離宮の動きは読まれている。離宮が襲撃されたときよりも、さらに圧倒的な数で魔族たちは迎え撃つだろう。
魔族たちを躱して大広間まで来ても、待ち構えるのは聖女と、彼女の持つ秘宝だ。
最悪の結末が頭をよぎる。
嫌な予感に、全身から血の気が引いた。
「動揺する姿を、勇者に見せてほしいのです。枷であるあなたが、勇者の救いに戸惑う姿を」
「なんのために……」
よろめく足が、さらに後ろに下がる。
だけどそれ以上下がるよりも先に、横から誰かが腕を引いた。
逃がすまいと私を掴むのは――父だ。
「もちろん、あの王子の心を揺さぶるためだ。魔王様のお心を取り出しやすくするため」
「お父様……!」
慌てて振り払おうとしても、父が込める力は強まっていくばかりだ。
爪が腕に食い込んで、鋭い痛みに私は顔をしかめた。
「まったく、今からあの男が来るのが楽しみだ。いったいどんな顔をするやら!」
「離して……!」
私の言葉など、父の耳には届かない。
もがく私を目にも留めず、父は口元を吊り上げた。
「ああ、早くあの忌々しい善人ぶった男の顔を歪ませてやりたい! 私を陥れたあの男に、この屈辱を思い知らせてやる!」
「お父様、離して!」
暴れてももがいても、父の手は離れない。
狂気じみた目に喜びを浮かべ、父は甲高い声で笑った。
「ああ、待ち遠しい! やっとあの男に復讐を果たせるのだ!!」
「いや」
その笑い声を、誰かが短く否定する。
同時に、ぴり、と肌に緊張が走った。
広間の空気が一瞬にして変わる。
研ぎ澄まされた鋭いこの感覚は、魔族たちの魔力とも違う。
これは――もっと純粋で、圧倒的な『力』の気配だ。
「待つ必要はない」
聞こえたのは空を切る音。
次いで響き渡るなにかが崩れる音に、私はようやく状況を理解した。
音の先に、剣を構えたアンリが立っている。
崩れ落ちるのは、アンリと大広間を隔てる壁。
そして――大広間を支える、巨大な柱だ。
アンリはその剣で、壁ごと柱を切り落としたのだ。
天井が落ちてくる――。
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