第11話 頭の中だけで繰り広げます。

 伊達元夫人、梨花子は京王線府中駅近くのマンションで暮らしていた。国道二十号を抜けた先にある四階建ての低層マンション、その最上階で生活を営んでいる。

「良いマンションですね。すごくオシャレ」

 外観が全面タイル貼りで、落ち着いたブラウン一色に染められている。

「子どもはいるのか?」

「中学三年生の娘が一人いるそうです」

「母娘だけで暮らすには、大きいマンションじゃねえのか?」

「でしょうね。間取りは3LDKもあるので」

「各駅停車から特急まで、何でも停まる駅からこの近さのマンションって、家賃はいくらするんだよ」

「これは分譲です。財産分与の一環で、伊達社長が購入したそうですよ。それもニコニコ現金払いで」

「洋服屋って儲かるんだな」

「人気アパレルですから」

「たかが布細工だろ」

「その言い方。博士だって服を選ぶとき、デザインを考慮するでしょうが」

「俺は適当に選ぶだけ」

「お店でどっちにしようかな〜って迷いませんか?」

「店に行かねえもん」

「え? 誰かに買って来てもらうんですか? まさか、その年齢でママが買って来た服を着ているとか?」

「ネットだよ、ネット」

「コートも、ジャケットも、シャツも?」

「もちろん。靴下もパンツもネットで買う。時間がもったいねえだろ。買い物へ行く暇があれば研究するっての」

「……それで人生楽しいんですか」

「あいにく天才として生まれて来ちゃったからさ。お前みたいに凡人の中の凡人、キングオブ平凡で生まれていたら、どうでも良いことに時間を使って、何のために生きているんだかわからない、ただ二酸化炭素を吐き出すだけの無駄な存在でいられるんだけど、世界がそれを許さないわけよ。神が俺に才能を与えちゃったからさ」

「……殴っていいですか」

「ごめんごめん、つい本当のことを言っちまったよ」

「……二度殴っていいですか」

「世界の大多数は凡人だ。無駄な存在はお前だけじゃない、気にすんなよ」

「……博士、友達いないでしょ」

「俺にいるのはライバルと、俺の研究に憧れて俺を目指している、未来のホープ達だけさ」

「つくづく凡人に生まれて良かった」

 呆れながらマンションで入り口に設置されているインターフォンを押す。程なくして穏やかな声が返って来た。

「はい。どちら様ですか」

「警察庁の北条です」

 名乗ると自動ドアが開いた。促された二人は中へと進み、エレベーターに乗り込む。

「別れた後も伊達姓を名乗っているのか」

「旧姓に戻したそうです。現在は母娘ともに『村上』になっています」

「名字が変わるのは子ども心に影響があるんじゃないのか。クラスメイトの目もあるし」

「三組に一組が離婚する時代ですよ。昔と違って今は普通のことですって」

「普通になっていいことなのかね」

 四階で降りると建物の大きさに比べてドアの数が少ない。一戸一戸が余裕ある造りになっていることがわかる。

 開かれた玄関の扉から顔を出したのは、三十代前半に見える淑女だった。若い女性では出せない気品がある。

「お待ちしておりました。どうぞ」

 招かれると中は広くベージュで統一されていた。

「お茶を入れますのでソファでおくつろぎ下さい」

 二人は遠慮なくリビングで腰を下ろす。有吾がそっと真波に囁いた。

「中学生の子どもがいるようには見えねえな」

「若く見えますけど、四十歳なんですよ」

「伊達は何歳だ」

「今年で五十五になるはずです」

「流行の歳の差婚だな」

「伊達社長は起業後、仕事に没頭していたので婚期を逃したみたいです」

「二人はどこで出会ったんだ」

「職場恋愛ですよ。秘書として入った梨花子さんと一緒に過ごす時間が増えるうちに、二人の間に恋が芽生えて――」

「ストップ!」

「なんですか、急に」

「また妄想を爆発させようとしただろ」

「そんなこと――ありますよ」

「やっぱりあるんじゃねえか」

「博士が確かめたいのは、反町に感じた女の陰が梨花子さんかどうかですよね。年の差婚をしたものの、世代の違いがすれ違いを生んで夫に幻滅し、歳が近い反町と浮気に発展していた疑いがあるから」

「浮気はお前の妄想だけどな、何かしらの関係性が疑われる。デリケートな訊問になるから気をつけたい。いつもの暴走は止めろ」

「わかりました。頭の中だけで繰り広げます」

「……妄想しないという選択肢はねえのかよ」

 元夫人がお盆にカップを載せてリビングに姿を現した。差し出されたカップから湯気が立ち上り、甘い香りが漂う。

「どうぞ、お口に合えば良いですけど」

「いただきます」

 さっそく真波が一口含んだ。口当たりの良い紅茶が口の中で広がる。

「アップルティーですね。すごく美味しい」

「気に入ってもらえたようで良かった」

 優しく微笑む元夫人からは、生活にゆとりがある者が出せる余裕が感じられた。

「今日は亡くなった向井君のことで確認したいことがあるそうですね」

 元夫人の方から水を向けられ、有吾は頷いた。

「向井とは付き合いがあったか?」

「まだ伊達と結婚していた頃、何度か家に遊びに来ていました。才能豊かで将来性があると伊達が見込んでいたようですので、反町君と二枚看板でダテ・モードを支える逸材になるのだろうとは思っていましたが……」

 まさか二人とも殺害されるとは思ってもいなかった、フェイドアウトした語尾にはそんな本音が含まれていた。

「反町もよく社長宅へ遊びに来ていたか」

「よく顔を出していましたね」

「社長が不在のときでも、二人で会うことはあったのか」

「私と? いいえ、いつも伊達に連れられて来ていたので、二人でということはなかったけれど」

 なぜそんなことを訊くの、とその表情が問うている。

「母親の反町京子が、お宅には世話になっていたようだと言っていたのでね。なにかと食事に困る一人暮らしの反町に、家庭料理を振る舞ってもらっていたとか」

 当時のことを思い出したのか、元夫人は目を細めた。

「そうそう、腕によりを掛けた料理よりも、普通の料理を好んでいたっけ。レストランで出される料理は、たまに食べるから美味しいのであって、毎日食べるものではないのよね」

「家庭料理には体を作り、健康を維持するための栄養素がバランスよく配合されているから、毎日食べるのは家庭料理の方だと脳が察しているのかもしれない。まあ、根拠の無い仮定の話しだが」

 元夫人は思わず吹き出した。

「家庭料理だけに仮定の話し? 若いのにオヤジギャグを言うなんて」

「偶々だ」

 肩を竦めながら惚けた有吾だったが、頭の中では別の仮説が生まれていた。元夫人と反町は不倫関係にあったのではなく、母と息子のような感情が芽生えていたのではないか。

 家庭料理を振る舞っているうちに元夫人の母性本能が疼き、それに反町が甘えていたという関係。これなら反町に女の陰を感じた理由に繋がる。

 この仮説に反駁を加える余地がないか。いつも通り有吾は自分で自分の思い込みにメスを入れて行こうとしたが、自分で検証する間もなく元夫人にあっさりと覆された。

「向井君も同じように家庭料理を好んでいたから、その考えは当たっているかもしれないな」

「向井にも……同じように振る舞っていたのか」

「ええ。見ているこっちが気持ち良くなるくらいモリモリ食べてくれた。作った甲斐があったわ」

 その表情やしぐさに変化はない。反町と向井、どちらにも同じように接していた事実が窺える。

 女の陰の正体は元夫人ではないのか? だが、他に反町と関係している女の存在はない。迷いが生じた有吾は、それを直接ぶつけることにした。

「生前の反町に恋人がいた様子はあったか?」

「その手の話しをしたことがあったけど、本人はいないと言っていた。そろそろ結婚を考える歳でしょ、なんて御節介なことを訊いたこともあったけど、本人は結婚に興味が無いみたいで、独りの方が気楽だと答えていた」

「恋人の存在を隠していただけで、実際にはいたかもしれない」

 元夫人は首を傾げた。

「本当にいなかったと思う。もしいたのなら、通夜や告別式の時に来ているはずだし、なんとなくわかるものでしょう」

「深い間柄を感じさせる存在が葬儀の席にいなかった、そういうことか」

 頷く元夫人から目をそらし、有吾は頭をフル回転させた。女の陰を感じたのは勘違いなのか? 迷いが深くなるにつれ、有吾の脳裏に二文字の熟語が浮かんだ。

『冤罪』

 有吾は目を見開いた。もしも嫌がらせが反町によるものではなかったら? 第三者によって巧妙に仕組まれた罠だったとしたら? それに気づかず向井は反町を疑い、反町はそれを否定した。反町京子は息子がアイディアを盗んだとなんて信じられず、向井のでっち上げだと批判している。アイディアを盗んだのは自分ではないと反町が言い張ったのは、逃げ切るためではなく真実だったとしたら……

 いや、待てよ。もう一つの仮説が浮かぶ。もしかして嘘をついているのは……

「……博士、ちょっと博士」

 真波に体を揺らされて、有吾は現実に戻った。

「なにボーっとしているんですか」

「いや、ちょっとエロいこと考えていただけだ」

「お盛んですね……って、訊問中に何を考えているんですか!」

「お前に頼みがある。ダテ・モードでデザインを担当している社員に話しを聞けるよう、手配してくれ。向井だけでなく、反町とも働いたことがあるベテランが良い」

「いいですけど、何かあったんですか?」

「あったかどうかを調べたいんだ」

 よくわからないまま、真波は席を外してスマホを出し、連絡を取り始める。有吾はあらためて部屋を見回しながら言った。

「経済的には困っていないようだな」

「慰謝料も養育費も、多すぎるほど貰っているから」

「立ち入ったことを訊くが、離婚原因はなんだ?」

「……性格の不一致、ですね」

 初めて元夫人の言葉が淀んだ。

「慰謝料が支払われたということは、夫側に何らかの非があったということだろ」

「……言えないんです」

「口止め料が含まれているってわけか。そんな離婚協議を取りまとめたのはどこの弁護士だ」

「ダテ・モードの顧問をしている弁護士に頼みました」

 有吾は思わず前のめりになった。

「大沢か?」

「ご存知でしたか。そうですよね、向井君の弁護を引き受けた人ですから」

「お宅が大沢を望んだのか?」

「伊達です。もちろん会社の顧問弁護士ですから、協議は彼が優位になるよう進められる懸念がありましたが、提示された条件がこちら側に取ってなんの不足もない、むしろ貰い過ぎのような条件だったので、特に弁護士の変更は望みませんでした」

 やたらとついて回る大沢の名前に、有吾は警戒を覚えた。

「お宅はワインが好きか?」

「私はお酒そのものがあまり好きではないので嗜みません。大沢弁護士は伊達の影響ですっかりワイン好きになったようですが」

「ボジョレーヌーボとか?」

「熟したワインとはまた違う、若さならではの味わいがあるそうですね。私にはまったく違いがわかりませんが」

 苦笑する元夫人に、さらなる質問を重ねた。

「娘はどうだ? 多感な時期に親が離婚となれば、多少なりとも荒れるんじゃないのか」

「確かに精神的なバランスを保つのは難しいものがありました。だいぶ落ち着きましたけれど、今年は高校受験を控えているのでストレスが溜まり易くて、情緒不安定な時もありますね」

 溜め息まじりに話す元夫人を見つめながら、有吾は言う。

「俺は心理学で博士号を取得しているが、臨床心理士の資格も取得してある。その俺が見る限り、お宅の受け答えには伊達からDVを受けていた形跡がまったくない」

 意外な発言だったのか、元夫人は呆けた表情を見せた。

「もちろん、そんなことはありませんでしたよ」

「そうなると慰謝料が支払われた理由は、夫の浮気ぐらいしか考えられない」

 元夫人は口を真一文字に結んだ。それが認めた証に見える。

「上場企業のトップという社会的地位や体裁を考え、本当の離婚原因を伏せる代わりに、大沢は慰謝料や養育費に色を付けた離婚協議をまとめたのだろう。だが、自分の気持ちを喋ってはいけない契約にはなっていないはずだ」

「確かに、そうですが」

「カウンセリングを受けるつもりで、本音を喋ってもらえないか。もちろん、他言はしない」

「私たちの離婚原因と殺人事件に、一体何の関係があるんですか?」

 疑心が滲んだ口調だった。複雑に絡んだ糸を解すように、有吾は語りかける。

「五年前の事件と合わせ、警視庁と神奈川県警が懸命に捜査に当たっている。それでも犯人像が固まらないのは、常識では考えられない何かがあるからだ。俺も色々な仮説を立てたが、まだ突拍子もない仮説が2つ俺の中に残っている。それを検証するには、2つの事件前後に起こったことを漏れなく調べたいんだ。お宅らの離婚も、反町殺害の直前だっただろ」

 元夫人は俯いた。黒目が左右に振れ、逡巡しているのが伝わってくる。

「被害者遺族は大切な家族を失っただけでも身を切られるように辛いんだ。にもかかわらず、真相までわからず終いだったらどうなる? その苦しみを想像できるか?」

「本当に……二人を殺害した犯人を捕まえられますか」

「絶対に捕まえるとは断言できない。だが、これだけは言える。俺でも立証できなかった犯罪は、世界中の誰であろうと立証できない」

 自信が漲っている有吾を見て、元夫人は折れた。

「わかりました。契約に反しないよう、自分のことだけを喋りますが、それでも他言しないでください」

「約束する」

「……娘が生まれてしばらくしてから、伊達の様子に若干の変化を感じました。なんというか、私から心が離れて行っているような」

「子どもを育てる妻の姿に母親を感じてしまうと、女としてではなく家族として見てしまう男もいるぞ」

「私も最初はそう思っていました。ですが、二人の距離が徐々に空いてきている感覚が確かにあったのです」

「伊達はお宅より歳が上だ。生物学的に言えば、繁殖行為に興味が薄れるのは自然なことだろう」

「そうではなく、心の方に問題を感じたんですよ。他の誰かに気が奪われているような」

 有吾の目に鋭さが宿った。

「やはり浮気か」

 元夫人は力なく頷いた。

「他に女がいる、そう直感しました。私は密かに伊達をチェックするようになりましたが、証拠は見つかりませんでした」

「女の勘もたまには外れるんだな」

「いいえ、確かに誰かいるんです。証拠がないだけで」

 証拠が無いのに相手を疑う。陰謀説や都市伝説を妄信するのと同質だ。いつもの有吾ならそれを『軽い統合失調症』だと嘲笑ったが、この日の有吾は違った。

「伊達はお宅を冷たくあしらうようになったのか」

「家庭をないがしろにすることはありませんでした。英雄色を好むと言いますし、多少の女遊びは仕方がないと思うこともあります。でも……」

「飲み込めないものがある、そういうことだな」

 そんな自分が嫌になったのか、元夫人は嘲笑を浮かべた。

「女の陰を確かに感じる。でも実態は全く見えてこない。次第にストレスが溜まり、限界を超えてしまった」

 自然と目に溜まっていた涙を元夫人はさりげなく拭った。

「そして反町君が殺害される半年くらい前だったかしら、我慢できなくなった私が彼に詰め寄った。他に女がいるんでしょうと」

「伊達はそれを認めたのか」

「何も言わなかった。ただ一言、『お前はどうしたいんだ』と訊かれた」

 相手に判断を委ねたということは、後ろめたいことがあると認めたようなもの、元夫人はそう捉えた。

「浮気をするような人と一緒にはいられません、私がハッキリとそう告げると、伊達は『お前の望み通りにする』と言い残して家を出て行った」

「そこから大沢が間に入り、離婚協議をまとめたんだな」

「条件は私に有利なものだったけれど、敗北感があった。離婚届にサインをするとき、妻である私は浮気相手に負けたんだなと実感した」

 少しだけ笑った。無理矢理作った笑顔に見える。

「だが、伊達は再婚をしていないだろ」

「そうですね。私に悪いと思ったのか、子どもに悪いと思ったのか、それとも義理を果たしたつもりなのか、それは本人に訊いてみないとわからない」

「浮気相手とその後どうなったのかも、聞いていないか」

「気にならないと言ったら嘘になる。よく言うでしょ、男は浮気した恋人を責める、女は浮気相手の女を責めるって。でもね、いつまでも過去を引きずってはいられないから」

 娘のためにも前を向いて生きる、そう決心しているような瞳だった。

「結局のところ、性格の不一致なのよ。疑った私と曖昧な伊達、そういう意味でやっぱり不一致だった」

「……伊達がわざとすれ違ったのかもしれないぞ」

「え?」

 元夫人が疑問符を浮かべた所で、真波が戻って来た。

「一人、これから面会に応じても良いというデザイナーが捕まりました」

 有吾は立ち上がった。礼を述べて玄関へ向かい、靴に履き替えながら元夫人に訊ねた。

「秘書検定資格を持っているんだろ?」

「ええ、一応一級に合格していますけど」

「また働きに出たらどうだ。自宅で燻っているだけではもったいないだろ」

 元夫人は微笑んだ。

「娘の高校受験が終わったら、考えてみますよ」

 マンションを後にした有吾は、元夫人との会話をかいつまんで真波に説明した。約束どおり契約に違反しないよう、元夫人の気持ちだけを。

「なんだか、切ない話しですね」

「三組に一組が離婚する時代では、普通のことなんだろ」

「そうかもしれませんが、やっぱり別れは切ないです。永遠の愛って存在しないんですかね」

「お前がその存在を証明すれば良いじゃねえか」

「そうですよね。私が白馬に乗った王子様を見つけて、いつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたしを実現させればいいんですもんね。肝心な王子様は一体、どこにいるんでしょうか」

「ググれば出てくるんじゃねえの?」

「ネット検索で運命を探すなんて嫌ですよ。博士の洋服じゃあるまいし」

「案外掘り出し物が見つかるもんだぜ」

 笑う有吾と口を尖らせる真波は茜色の空の下、次の待ち合わせ場所へと急いだ。

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