第9話 それって、オカシイと思う。

 昨日をもって大沢事務所を退職した鈴木里美とは、新宿駅近くのカフェで落ち合った。現れた彼女は離職したてとは思えない、艶やかな顔を見せていた。

「大沢事務所での仕事は大変だったのか」

 有吾から発せられた質問に、鈴木は首を傾げた。

「そんなことはありませんけど、なぜそう思ったのですか?」

「辞めてせいせいした、みたいな晴れやかな表情をしているだろ」

「そうではありません。実は結婚するんですよ」

 その回答に食いついたのは真波だった。

「うわ〜、いいな〜」

 鈴木はウフフと笑みをこぼす。

「仕事を辞めたのは彼をサポートするためで、大沢事務所が辛かったからではありませんから」

「旦那は自営業なのか?」

「父親が税理士事務所を営んでいまして、彼もその事務所で働いている税理士なんです」

「ゆくゆくは事務所を相続し、夫婦で営んで行くってわけか」

「ですね」

 自然と笑みが溢れ出るほど、充実しているのが伝わってくる。

「大沢事務所で経理担当をしていたというが、事務所経営はうまくいっているのか」

「弁護士九人の小規模ながら太い顧客が付いていますから、台所事情が苦しいということはありません。資金繰りもしっかりしていますし」

「だが事業規模を拡大しようと試みているんだろ?」

「無理して大きくしているわけではありません。刑事と知的財産、それに金融分野に絞り、顧客は法人と富裕層のみ。着実な成長ですよ」

 有吾は取り寄せていた大沢事務所の記録に目を落とした。中堅の法人や成長過程にあるベンチャー企業を上手く取り込んでいて、大手法律事務所と競合しないよう無理のない運営がされている。

「金のために手を汚している奴らを高額なチャージと引き換えに綺麗にしてやる。マネーロンダリングならぬ犯罪ロンダリングだな」

「クライアントの権利を守っているだけです、というのが建前ですけど、本音を言えば汚れた手をどこまで綺麗に出来るかで報酬が決まる、そういう側面も否めません」

 もう辞めた人間だという意志が働いているのか、鈴木は無理に取り繕うつもりはないようだ。

「ダテ・モードとの付き合いは長いのか」

「大沢事務所立ち上げ時からの大口顧客ですから。もっとも大切なクライアントの一人ですよ。伊達社長とは公私ともに交流があるそうで、大沢先生はスコッチをこよなく愛する人なのですが、伊達社長にワインバーへ連れて行ってもらってからというもの、すっかりワイン通になったほどです」

「ワインねえ……酒の何が美味いんだか、わからねえな」

 首を振る有吾に真波が訊ねた。

「博士は飲まないんですか?」

「飲まないんじゃない、飲めないんだ。ウイスキーボンボン2個で致死量なんだよ」

「下戸なんですか。ガンガン飲みそうな雰囲気ですけど」

「酒に酔う必要なんて無いだろ。もうすでに君に酔っているんだから」

「ウエッ、キモイ」

「今のは何が問題なんだよ! お前好みだろうが!」

「セリフに問題はありませんけど、生理的に無理」

「……お前の評価は不透明だな」

「博士の人間性に甘いセリフがマッチしないんですよ。ガサツでぶっきらぼうな言い回しの方がしっくりきますね」

「……あの、何の話しをしているんですか?」

 キョトンとした表情で鈴木が二人を見ていた。

「こっちの話しだ。今日時間を貰ったのは他でもない、ダテ・モードのデザイナーである向井が殺された件について確認したいんだ。五年前の事件、知っているよな」

「大沢先生が独立前に担当した殺人容疑ですよね。私はまだ、事務所職員ではありませんでしたが、起訴された向井さんは無実を勝ち取ったという記録を読んだことがあります」

「それが縁でダテ・モードは大沢法律事務所と顧問契約を結んだそうだな」

「そう聞いています」

「中堅とはいえ上場企業であるダテ・モードが、立ち上げたばかりの小さな法律事務所と顧問契約を結んだ。これは向井の無罪獲得を条件にしていたという憶測があるが、どう思う?」

「よくわかりませんが、そうであっても不思議はありませんね。業績が悪化していたダテ・モードにとって無罪獲得は願ったり叶ったりですし、大沢先生にとってもダテ・モードとの顧問契約は立ち上げようとしている事務所経営に安定をもたらすので、WINーWINの関係が成り立ちますから」

「大沢にとっては、是が非でも無罪を勝ち取らなければならない事件だった、そうことだな」

「いつだってそうですよ。黒いものを白くするほど、大沢先生を頼る人が増えるわけですから」

「それって、オカシイと思う」

 いつになく真波は不機嫌な表情を浮かべていた。

「罪を犯したものは罰せられるべきなのに、帳消しにするなんてオカシイですよ」

「私もオカシイとは思う。でもね、それがこの国のルールなのよ」

「それでも、オカシイものはオカシイです」

「お前、意外と頑固だな」

 頬を膨らませる真波を横目で見ながら有吾は微笑んだ。

「五年前の向井も、黒だったのに白く変えられたと思うか?」

「それは事務所内でも意見が分かれていたわ。ある人は向井の犯行なのに大沢弁護士の力で無罪を勝ち取ったと言い、ある人は警察の職務怠慢で向井が犯人扱いされただけで、真犯人は別にいると言う。私はリアルタイムで事件を知らないから、どちらとも言えないけれど」

「大沢自身はなんと言っているんだ」

「この件に関しては何も話さなかった。訊ねても『無罪判決が出た、それがすべてだ』としか言わないし」

「意味深長な口振りだな」

「あまり多くを語らない人だから。おしゃべりな人よりも、口が堅い人が好まれる業界だし」

「その向井だがな、殺される数日前に大沢事務所へ電話をかけている通話記録が残っているんだ」

 結婚を控えた幸せ色の鈴木から、急に色味が消えて行った。

「知っています。その電話を取り次いだのは私だったので」

「ほう、当時のことを詳しく聞かせてもらおうか」

「いつも通り電話に出たのですが、掛けて来た相手からの応答がありませんでした。電波か回線の調子が悪いのかと思い、何度か『もしもし、もしもし』と呼びかけた所で、ようやく『向井ですけど』と名乗られて」

「どんな口調だった?」

「おっかなびっくりというか、迷いがあるというか、細い声で躊躇いがちでした。大沢事務所は法人客が多いので、どこかの会社で法務担当をしている社員かと思い『どちらの向井様でしょうか』と確認したところ、『五年前、大沢先生にお世話になった者です』と言われたので」

「そこであの向井だと理解したんだな」

 頷いた鈴木はコーヒーを一口含み、口を湿らせてから続けた。

「大沢先生に繋げてくださいと言われたので、そのまま隣室にいる先生の内線に転送しました」

「大沢はどんな様子だった」

「電話の相手を告げると、『あの向井君?』と意外そうな声を上げていました」

「大沢にとっても連絡が来たのは予想外だったのか」

「先生の部屋はガラス張りなので、フロアからも見えるのですが、気になって横目で見ていたところ、いつも冷静でいる先生の表情が徐々に曇り始めて」

「都合の悪い内容だった、そういうことだな」

「その後、ブラインドを閉めて室内を見えない状態にしてしまいましたので、尚更怪しいんですよ」

「それを見て、電話の内容をどう予想した?」

「殺害された今だから言えることですが、もしかしたら向井さんは自分の命が狙われていることを知っていたか、もしくは感づいていたのではないでしょうか。狙われる理由が五年前の事件に関係しているため、大沢先生の所へ連絡を入れて来た」

「大沢に助けを求めたということか。そうなると、向井を殺した犯人は――」

 有吾はあえて答えを言わず、鈴木にボールを投げた。受け取った鈴木が躊躇いがちに続ける。

「五年前の被害者である、反町さんの遺族や関係者かもしれません」

 話しを聞いていた真波が、そっと有吾に顔を近づけた。

「五年前の犯人は向井だった。何らかの形でそれを知った反町京子が向井の命を狙った。向井が殺される数日前には反町京子と連絡を取り合っている。辻褄は合いますよ」

「だが、非力な反町京子では向井を絞殺することは出来ない」

「誰かに頼んだんですよ。金を積めば何でもやる人を見つける闇サイトなんて、いくらでもあるんですから」

「その件で神奈川県警から情報が入ったのか?」

「特に連絡はありませんが、反町京子が誰かを雇った可能性を調べていないだけでしょう」

「昨日、俺は向井の部屋を確認しながら反町京子では向井を殺せないと言った。それを聞いた神奈川県警は反町京子の人間関係や金の動きを当たっているはずだ。現時点で逮捕に踏み切っていないということは、金で実行犯を雇った様子も、代理で殺人を担ってくれるような親しい人物との繋がりもないのだろう」

「それを調べさせるために、神奈川県警の刑事たちがいる前で話したんですか」

「直接頼むとプライドが邪魔して捜査に身が入らないだろうから、傍聞かたえぎきをさせたのさ。立っているものは親でも刑事でも使う。それが俺流だ」

 言動のすべてに計算がなされている。あらためてこの博士は恐ろしいと真波は目を見開いた。有吾は鈴木に向き直り、質問を続ける。

「その電話の後、向井から連絡はあったか?」

「少なくとも私は受けていませんし、他の誰かが受けていたら噂になっているはずですから、おそらく事務所への連絡はないと思います。もちろん、事務所に姿を現したこともありません」

「メールでやり取りをしていたかもしれないな」

 有吾の見解に、真波が反駁を加えた。

「向井の自宅にあったパソコンからは、大沢弁護士とのメールのやり取りは残っていませんでしたよ」

「身の危険が迫っていたのなら、自宅には戻らずネットカフェやホテルで寝泊まりしていたのかもしれない。大沢ならそれくらいの入れ知恵をするだろう」

「通信手段は外部で調達ですか。そうなると、大沢弁護士のパソコンやスマホに向井とのやり取りが残っているかもしれませんね」

「そうだとしても、奴の通信機器を押収することは出来ない。任意での調べにも応じないだろう。なにせ、すべては仮定の話しだからな」

 なんとか大沢を引っ張りだす方法はないか、有吾は溜め息をつきながら窓の外を眺めた。

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