第7話 五感ですよ!

 真波が研究所に着いた時には、もう午前十一時近くになっていた。八王子駅に着いた所で電話を入れると、朝飯を食ってないから何か買ってこいと有吾から命じられた。

「まったく、人使いが荒いんだから」

 ぼやきながら研究室の扉を開けると、有吾は机の背後にある壁に向いていた。昨日来た時には白壁だったそこは、図式で真っ黒に埋まっていた。

「なんですか、これは」

 歩み寄りながら真波は訊ねた。はしたなく机の上に座って背中を見せていた有吾は振り返ると、答えることなく手を伸ばした。

「メシ」

「え? ああ、はい」

 駅前のドトールで買って来た袋を手渡すと、有吾はそれを無造作に受け取った。その顔には無精髭が浮かんでいる。

「もしかして、徹夜したんですか?」

「ああ。研究で泊まり込むことは良くあるから、着替えは沢山置いてあるんだよ。シャワー設備もあるし、ここは寝泊まりに不自由しない」

「なんか、ムキになって捜査していません?」

「当たり前だろ、お前にケツ文字で謝罪させるんだから」

 真波は心配になって来た。この人は本当に事件を解決させてしまうのではないか。解決した暁には、容赦なくケツ文字で謝罪させられるだろう。

「まあまあ、そんなに根を詰めてやらなくてもいいじゃないですか。リラックスしてくださいよ」

「邪魔すんなよ。俺はやると決めたらトコトンやるんだ。そこの棚に財布があるから、朝飯代を取っとけ」

「コーヒーとホットドックを2種類買いましたけど、それでよかったですか」

 有吾はパクパクと頬張りながら頷いた。

「ホットドックは好物だ」

「それはよかった。ソーセージに入っているハーブのセージには、を活性化させる効能があるそうですよ」

「これから捜査なのに、を活性化させてどうすんだよ」

「五感ですよ! 五感! バカじゃないの」

「なんだと! バカと言った方がデブだ!」

「ちょっ、デブとかサイテー!そもそも私はデブじゃないし、女性のスタイルに言及するなんてセクハラ極まりないですよ!」

「才能が豊かなもんでな。自然となんでも極めてしまうんだよ」

「良いように取らないでくださいよ、まったく」

 呆れながら改めて白壁を見る。左右にテトリスのような異なる形の図形が並び、そこから中央のブロックに向かって矢印が伸びていた。

「これは何ですか」

「今までに判明している事実を五年前と今回の事件ごとに分けて整理したんだよ。マージソートを応用したアルゴリズムだ」

「これで整理されているんですか……むしろ、余計にこんがらがりますけど」

「お前の場合はソーセージを百本食べても足りないな」

「私はハーブの力を借りなくたって大丈夫ですよ。持って生まれた笑顔2倍、元気も2倍、そしてやる気3倍の合計8倍で頑張りますから!」

「7倍だろ。足し算が間違っているぞ」

「……勇気1倍を加算し忘れただけですよ」

 くだらない言い訳を述べる真波を横目で見ながら、有吾は訊ねた。

「今日の予定は?」

「大沢弁護士が独立するまで勤めていた、大手法律事務所のパラリーガルとコンタクトを取っています。その後、現在の大沢事務所を先月退職した元経理事務員から話しを聞けますよ」

「そして最後が伊達社長の元夫人か。彼女くらいしか、反町に対して優位性を持つ女の陰が無いんだよな」

「どういうことですか?」

「反町を傀儡のように動かし、向井に嫌がらせを繰り返す主犯となると、その人物は取締役や上司といった、社員を顎で使える奴らに限られるだろう。しかし、直属の上司は男しかいない」

「男性をターゲットにしたアパレルメーカーですからね、自然と男で固まりますよ」

「取締役には女が二人いるが、いずれも外部取締役ときている。主要株主は伊達社長以外すべて法人で、新人デザイナーを虐める必要があるとは思えない」

「消去法の末に残ったのが、伊達元夫人ですか。やっぱり不倫関係があったんですよ!」

「お前はその手の話しが大好きだな」

「逆に恋バナが嫌いな人なんているんですか?」

「そんなノーテンキなお前に、一つ良いものを見せてやろう――」

 ホットドック最後の一欠片をコーヒーで流し込むと、有吾はスリープモードになっていたiMacを起こした。

「――警視庁が昨日送ってくれた、五年前に反町がコンビニで買い物をしていた映像を見て気づいたことがあるんだがな」

 画面に動画が映し出された。防犯カメラの映像は粒子が粗いが、人の表情がわからないほどではない。

 陳列棚がマニュアル通りに並んでいる、どこにでもありそうなコンビニに反町が入って来た。深夜の時間帯、他に客はいない。

 反町は店内をゆっくりと一周して商品を手に取ると、それをレジに差し出した。そこで有吾が一時停止する。

「反町がレジに持って来たのは何に見える?」

「一つはワインボトルですよね」

「そう、奴はこの棚に手を伸ばしていた」

 有吾が指した棚の上部には『ボジョレーヌーボフェア』とポップが出ていた。

「解禁直後で売り込んでいたんでしょうね」

「だろうな」

「で、これの何が良いものなんですか?」

「よく見ろ、オカシイだろうが」

「博士の歪んだ性格が?」

「お前の頭がだよ! ここを見てみろ」

 有吾はアルゴリズムで埋まっている白壁の一部を指した。そこには反町京子から聞き出した証言が書かれている。

「酒は日本酒に限る……あれ? そんな反町がワインを買っているなんて、確かに変ですね」

「一緒に買っているのはチーズとリッツだ。明らかにツマミだろ」

「急にワインを飲みたくなったんですかね」

「生粋の日本酒党である男が急にワインを飲みたくなり、深夜にわざわざコンビニへ出かけたのか?」

「うーん、ちょっと無理がありますよね」

「それともう一つ、ここだ」

 有吾が次に指したのは、新島から得た証言だった。

「向井は酒もギャンブルもやらない、確かにそう言っていましたね」

「変だろ?」

「博士の女装コスプレが?」

「そんな趣味、カミングアウトした覚えはねえけどな」

「今度のハロウィンでシンデレラの仮装に挑戦してみたらどうですか。性格はこの上なくブサイクなくせに顔だけは美形ですから、似合うと思いますよ」

「……お前、ここに来るといつも話しが脱線するよな。俺が今、問題にしているのは向井の自宅にあった冷蔵庫の中身だよ」

 もう一度白壁に目を向けると、真波もようやく気づいた。

「確かに未開封のボジョレーヌーボがありました」

「日本酒党の反町も、酒を飲まない向井でさえボジョレーヌーボを所持していた。これが意味するところは何だと思う?」

「ボジョレーヌーボは美味しい!」

「……お前はアホではなく、認知に歪みがあるんだな」

「その言い方、間接的にバカにしていません?」

「心理学的に言っているんだよ。例えば、残しておいた食パンにカビが生えたとする。なぜカビが生えたと思う?」

「そりゃカビ菌が付着し、繁殖したからでしょう」

「違うな。カビが生えたのは早く食べなかったからだ」

「なんですかそれ。とんちですか?」

「これが認知の歪みなんだよ。わかったか」

「なるほど、わかりません」

「……お前のために男と女で例えてやる。彼氏が彼女に向かって『少し太ったんじゃない?』と訊ねたとする。ポッチャリが好きな男はむしろその体型を歓迎していたが、女はデブ呼ばわりされたと捉えてしまう」

「それならわかりますよ。ドラマやマンガで良くありますから。些細なことからすれ違い、あわや別れそうになるんですけど、最後には誤解が解けてハッピーエンドで終わる王道パターンですよね」

「そういうことだ」

「最初から『誤解』と言ってくれたら良いじゃないですか。なんで学者は『認知の歪み』なんてわかりにくい言葉に置き換えるんですか? カッコイイとでも思っているんですか?」

「お前、学者のことを軽くディスリスペクトしているだろ」

「軽くではなく、普通にディスっています」

「頭の中がお花畑の小娘に言われたくないね!」

「そう怒らないでくださいよ。このボジョレーヌーボについて、どう認知するのが正解なんですか?」

「誰かのために買った、そう考えるのが自然だろ」

 真波はポンと手を叩いた。

「あの日、反町の家に誰かが訪ねる予定だったんだ。それも急だったから、コンビニでワインとツマミを買った」

「そして向井もワインを用意していた。ボジョレーヌーボだったのは、有名で手に入りやすいから。日本酒党でも酒を飲まない人でも、知っている銘柄だからな」

「相手がワイン好きだとわかっている間柄の人、そういうことですね」

「おそらく同一人物。反町と向井の共通の知人が二人の自宅を訪ねていたと考えられる」

「その人物が二人を殺した真犯人ですか」

「断言はできないが、蓋然性は高いな」

「だとすると、反町を殺したのは向井ではないということになりますよ」

「真犯人も反町を殺そうと目論んでいたが、先に向井に殺されてしまった、ということも有り得る」

「私はその考えを支持しますね。反町を殺した人物と向井を殺した人物は別人ですよ」

「なぜそう思うんだよ」

「犯行の手口が異なるからです。反町は刺殺されているのに、向井は絞殺されていますから。反町は向井が殺し、向井は新島か反町京子が殺したと推測しますね」

「同一人物が殺害の手口を学習した、ということも有り得るだろ」

「殺人犯が進化したということですか?」

「そのとおり。一度目は素早く確実に殺害できるよう、刃物を用いた。だが、それではリスクが高いことを思い知った」

「絞め殺すには時間がかかりますし、反撃に遭う可能性もありますから、刃物を使った方がリスクは低いと思いますけど」

「殺すだけならな。だが、証拠を残さず逃げ切ることも考えると、確実とは言えない」

「向井が着ていた服に、血痕もルミノール反応も出なかったという件ですか? そんなもの、同じ服を二着用意しておけば済む話しじゃないですか」

「それでも確実に隠し通せる保証はない。ヘマをして血痕が見つかっていたら、それが物的証拠となって向井は塀の中だったはず。返り血は相当な争点になるということを察したのだろう」

「そうなると、犯人は向井の裁判をよく知る人物、ということになりますね」

「あくまで同一人物の犯行で、手口が進化したという二つの前提条件の上に成り立つ仮説だけどな」

「なかなかハッキリとしない事件ですねえ。では早速、話しを聞きに行きましょうか」

「メシを食ったばかりで動くと消化に悪い」

「大丈夫ですよ、元々性格が悪いんだから」

「なにが大丈夫なんだよ、なにが!」

「死にはしないでしょ。ほら、さっさと支度してください」

「おいおい、『調子』という名字は全国でも四百人くらいしかいない、貴重な名字なんだぞ。絶滅危惧種に指定されてもおかしくないんだから、もっと俺のことを大事にしろ」

「博士だけ絶滅しちゃえばいいのに」

「……それは死ねと言っているのと同じことじゃねえか」

「そんなことは言っていませんよ。ただ地獄に堕ちれば良いのにって願っているだけで」

「バカ言うな。俺にもしものことがあったら、全国六千万人の女性ファンが泣くんだぞ」

「嬉しくて?」

「貴様……」

「ほらほら怒っていないで、腹ごなしに捜査へ行きましょ」

「なにその軽い運動感覚の捜査。適当すぎるだろ」

「居ても立っても居られないんですよ。未解決事件を前にすると」

「ワクワクするのか?」

「違います。どちらかというと、苦しいんです」

 真波の表情に影が差した。急に太陽が厚い雲に覆われたように、顔つきが暗くなる。

「私の父も警察の人間だったんですよ」

「お前の上司から聞いたよ。殉職したんだってな」

「ええ。そんな父から、教えてもらったことがあるんです」

「玉ねぎを食べると血液がサラサラになるって?」

「この話の流れでまめ知識なんて披露するか!」

「捜査の心得でも教わったのか」

「はい。身内を殺されたら、やり返したくなるのは人情というもの。でも明治時代に仇討ちは禁止された。やられた方はそれ以上にしてやり返してしまうから。そうなると今度は必要以上にやり返された方がまた、やり返してしまう。復讐の連鎖がいつまでも続いてしまうんです」

「だから国が間に入り、罪に合う罰を与える。目を傷つけられたら目を傷つけ、歯を折られたら歯を折る。でもそれ以上のことはしない」

「見方を変えると、法が一方的に仇討ちを取り上げているということでもあるんです。だからこそ、私たち警察が責任を持って犯人を捕まえ、見合う罰を与えなければならなんです。それが、仇討ちを取り上げた国と国民との約束です」

 いつになく真剣な真波の表情を前に、有吾は立ち上がった。

「よっしゃ、行くぞ」

「身支度は?」

「このままでいい」

「カビみたいな無精ヒゲが生えたままですよ」

「人を細菌みたいに言うな。俺は気にしないからいいんだよ」

「そうはいきませんよ。オシャレは自分のため、身だしなみは他人のために整えるものって言うでしょ」

「俺の体は俺のためにある。ヒゲが生えていようが、寝癖があろうが俺の勝手だ」

「また出た。B型はホント、頑固なんだから」

「さっさと嘘つきを暴いて、被害者の敵を討ってやろうじゃねえか」

「そうですね。行きましょう」

「ケツ文字の練習もしておけよ」

「あっ……」

 謝罪を忘れていた真波は、複雑な表情を浮かべて有吾の後を追った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る