第6話 この人はドSだよ……

 青空が茜色へと変色を遂げる中、反町京子は相模原北署から姿を表した。小柄で猫背、細くパサついた髪は肩まで伸び、染めていないせいか妙に老けて見える。

 全体的に張りはないが、表情には凄みがある。下から除き見るように見上げてくるその眼光は鋭く、不気味な雰囲気を醸し出す。誰も信じない、誰も頼らない、すべてが敵だと言わんばかりの形相だ。

「アンタが反町京子か」

 有吾が軽い口調で訊ねると、反町はギロリと睨んだ。これまで取り調べを行っていた刑事とは毛色が違うと感じたのか、有吾の外貌を舐めるように見つめている。

「取り調べは受けるが黙秘を続けているらしいな」

 ひとしきり確認を済ませると、もう興味はないと言わんばかりに有吾の傍らを通り過ぎて行った。有吾は気にすることなく、反町の横に並んで歩く。

 その後ろを真波と神奈川県警の刑事二人が付いていた。ただでさえ黙秘を続けているデリケートな重要人物、その神経を逆撫でるような真似はさせないというお目付役だ。

「黙秘をするために任意同行に応じるっていうのは、変な話しだよな――」

 有吾は首を捻って顔だけ後方へ向けた。

「――神奈川県警が強引に連行したのなら別だが」

「まさか、我々は丁重に同行をお願いしています」

 憤慨に耐えないといった、怒りをしたためた口調だった。有吾は「そうムキになるなよ」と笑ったが、神奈川県警の刑事は唇をぎゅっと結んだまま、さらに顔を紅潮させた

「五年前、アンタの息子が殺害された現場近くで向井を目撃したという、新島も事情聴取にすんなり応じたよ。捜査状況を知りたかったんだろう」

 有吾はあえて「息子が殺された」とストレートな表現を使った。なかなか口を開かない反町京子の心を揺さぶるために。

「アンタも同じ狙いなら、情報を引き出すために訊問に答え、トークを弾ませるはずだ。しかしアンタは黙りを決め込んだままだ」

 心なし、反町京子の歩く速度が落ちた。無関心を装いながら、有吾の話しに意識が奪われている。

「その理由について、二つの仮説を立てた。一つはアンタが向井を殺した犯人だから、ボロを出さないよう黙秘を決め込んでいる。そしてもう一つは――」

 イヤらしい間を開けてから、有吾は言った。

「アンタは犯人ではないが、警察に誤認逮捕をさせて責任を取らせたい」

「なんですって!」

 真波は思わず叫んだ。神奈川県警の刑事二人も前のめりになる。反町京子でさえ思わず顔を向けそうになり、慌てて前に向き直った。

「向井が犯人だと思い込んでいるアンタは、控訴しなかった警察も同じように憎んでいる。どこの誰だか知らないが、向井を殺してくれた。あとは五年もの間、殺人犯を自由にさせた警察組織に鉄槌を下したい。そこでアンタは確固たるアリバイを隠したまま、警察が拘留したくなるよう仕向けている」

 反町京子は何も語らない。だが、急に歩みが早くなった。防衛本能が有吾から遠ざかろうと働いているのかもしれない。

「そんな、五年前の事件は警視庁の管轄ですよ。なぜ神奈川県警を目の敵にするんですか」

 納得いかないと神奈川県警の刑事が口を挟んだ。答えようとしない反町京子に代わって、有吾が応じた。

「江戸の敵を長崎で討つってことだろ。それに向井を殺した犯人は、言わば敵を討ってくれた恩人だ。どんな理由で殺したのかは知らないが、捜査を攪乱して逃がしてやろうという意志が働いた」

「その分析、理解できないわけではありませんが……」

「すべてはこの婆さんが犯人ではないことが前提条件の仮説だ。正解か大ハズレかは今のところ本人にしかわからない」

 皆の視線が反町京子に集まった。その歩みはさらに早くなって行く。

「俺は警察じゃないんでね、上が決めつけた事件のシナリオにそって犯人を逮捕する必要がない。ただ判明している事実だけを判断材料とする。その俺に言わせれば、アンタの息子を殺した犯人が向井である確率は、今のところ5割だ」

 反町はようやく有吾に顔を向けた。もはや感情の抑えが利かず、何も言わないが表情だけでその理由を求めている。

「息子を殺されたアンタは、さぞかしショックだったことだろう。何も届かず、何も認識できず、ただ息子の死に呆然となっていた。時間の経過とともに自覚を取り戻したアンタの目に飛び込んで来たのが、向井の逮捕だ。手錠をはめられ、屈強な警察官に囲まれながら連行されるその弱々しい姿が、アンタの脳裏に鮮明に刻まれた」

 人気アパレルで起きた殺人事件に、マスコミは飛びついた。警察署からワゴン車に乗り込む向井の姿が、テレビや新聞で何度も取り上げられていた。

「人間はあまりにもショッキングな出来事を目の当たりにすると、その状況を写真のように記憶してしまうんだ。それを『フラッシュバルブ記憶』と言うが、これと同様の状態がアンタにも起こった。さらに過熱気味の演出で向井を完全に悪者とする報道が連日続いた。アンタの中で記憶と報道が結びつき、向井の犯行だと信じて疑わなくなったのだろう。つまりは妄信だよ」

「だったら誰が犯人だと言うのよ」

 初めて反町京子が口を開いた。それに引き寄せられた神奈川県警の刑事が口を挟もうとしたが、真波がそれを抑えた。質問を受けた有吾は、それを質問で返す。

「こういう可能性を疑ったことはあるか? 目撃者の新島朋子が犯人だと」

「えっ」

 その場にいた全員が驚きの声を上げた。そのリアクションが面白かった有吾がニヤリと笑う。

「向井を溺愛していた新島にとって、向井に嫌がらせを繰り返していたアンタの息子は憎き敵だった。殺す動機はある」

「それほど愛している彼を目撃したなんて嘘をつくのは、オカシイでしょう」

「自分の方に向いて欲しいからさ。新島自身が言っていた、たとえ嘘つき呼ばわりされようが偽証罪に問われようが、カレが戻ってくるんだったら何でも受け入れる覚悟をしていたと」

 盲目の愛は常識では理解できない行動に出るんだよ、そう言うと反町京子は表情を強ばらせた。五年もの間、憑依していたように信じていた向井の犯行が今、揺らいでいる。

「向井が犯人だと断定できる根拠がなく、他にも犯人になりうる人物がいる。だから五分五分なんだよ。だが、もしも息子を殺した犯人が向井でなかったら、アンタは困るよな」

 横に並んで歩いているだけなのに、反町京子は有吾が迫ってきているような圧迫を感じた。

「向井を殺したのがアンタだとすれば、無実の人間を殺めたことになる。アンタが向井を殺したのではないとしても、息子を殺した犯人が今でものうのうと暮らしているんだから面白くはない」

「……向井が犯人ではないという証拠だってないでしょうが」

「そう言うアンタが五年前に息子を殺したんじゃないのか」

 一瞬惚けた後、反町京子は憤怒を露にした。

「ふざけたこと言うんじゃないわよ!」

「だったら無実である証拠を示せよ」

「証拠なんて必要ないでしょうが! 私が息子を殺しただって? バカも休み休み言いなさい!」

「そういいながら、実際に証明は難しいだろう」

 怒りで紅潮している反町京子に代わり、真波が容喙した。

「悪魔の証明ですね」

「そのとおり。何もしていないを証明するのは難しいんだ。事件は深夜に発生している、尚更だ」

 反町京子は怒気と戸惑いを綯い交ぜにした曖昧な表情を浮かべた。

「アンタの息子を殺したのが誰なのか、ハッキリさせたいと思わないか?」

 心を揺さぶる甘い言葉。その釣り針に反町京子は手を伸ばした。

「何が知りたいの」

「息子とは頻繁に会っていたのか?」

「いいえ。デザイナーの仕事は忙しいから」

「一人息子なのに会えなかったら、寂しいだろう」

「頑張っている息子の邪魔をするわけにはいかないから、仕方が無い。それに電話やメールは頻繁にくれたし。息子がスマートフォンをプレゼントしてくれてね、それでテレビ電話みたいに出来るでしょ。傍にいるみたいに話せるから」

 耐えることになれているような口調だった。

「どんな話しをしたんだ」

「ほとんど私が一方的に話していた、とりとめの無いことを。息子はそれを聞いてくれていた」

「息子は自分の話しをしなかったのか、仕事のことで悩んでいるとか」

「幼くして父親を亡くしたせいか、あの子は小さい頃から落ち着いていた。自分がしっかりしなければという意思が芽生えていたのかもしれない。大人の男に憧れ、尊敬し、自分もそうなれるよう目指していたんだと思う。自分の息子を褒めるのは親バカだと思われるだろうけれど、今時珍しい硬派な男だったんだよ。酒は日本酒に限るなんて言って、くいっとやる姿は死んだ夫にそっくりだった」

「ペラペラと喋るような男ではなかったということだな」

 有吾は顎を擦り、何かを考えながら訊ねる。

「息子に彼女はいたか?」

「いないと言っていた。早く良い人を見つけて、孫の顔を見せて欲しいとお願いしていたんだけれど……」

 その声は震えていた。

「恋人以外で親しくしていた女性はいないか。面倒を見てくれていた先輩とか、飲み友達とか」

「聞いたことがない……ああ、社長婦人には何かと気にかけて貰っていたようだった。たまに自宅に招かれて、家庭料理をごちそうになっていたと話していた」

 その情報が一体なんの役に立つのか真波にはわからなかったが、有吾は何かを掴んだように頷いていた。

「それで、向井殺害の当日はどこにいたんだ」

 その質問に反町京子は身構えた。

「家で……寝ていたわよ」

 自身について初めて語ったが、それは酷く曖昧なモノだった。まだあなたをすべて信用したわけではないと、その態度が語っている。

「犯人は誰だと思うんだ」

「……元恋人だった目撃者でしょう。明確な動機があるのは彼女くらいだから」

 お互いがお互いを犯人扱いしている。だが、ハッキリとは断定しない。有吾の話しを聞いた者は皆、それまでの思い込みや先入観を捨てて慎重に考え始め、そして自分の記憶や思考に疑心暗鬼を抱くようになる。それだけの分析力がこの博士にはある。

「もういいでしょ、取り調べで疲れているのよ」

 反町京子は自分を抱くように腕を体に巻き付けた。拒否反応が出ている。これ以上は何を聞いても無駄だと察した有吾は踵を返して真波を見た。

「帰るぞ」

「え? あ……はい」

 神奈川県警の刑事に「邪魔したな」と軽い挨拶を済ませると、有吾は最寄り駅に向かって歩き始めた。ぺこりと頭を下げた真波がその後を追う。

「なんで殺された反町の女性関係を探ったんですか」

「前に言ったよな。男と女の脳は違うと」

「博士は領土を犯されるのを嫌い、私はパスタを一口くれなかったケチ臭くてしみったれている博士に幻滅した件ですよね」

「……まだ根に持ってんのかよ」

「食べ物の恨みは恐ろしいんですよ。それで、男と女の違いがどうしたんですか」

「母親が言うには、息子は硬派で大人の男を目指していた。にもかかわらず、向井に対する嫌がらせが男らしくない。男ならわざと人前で怒鳴りつけたり、詰ったり、直接的な攻撃に出て、自分の方が上だという優位性を見せつける。だが、実際の嫌がらせは噂を流したりプロジェクトから外したり、アイディアの盗作だ。どことなく女の陰を感じさせる」

「つまり反町は操られていただけで、嫌がらせの主犯は別にいるということですか」

「だから女関係を訊ねた。浮上したのは社長夫人だけだったが」

「もしかして、社長夫人とデザイナーの不倫ですか!」

 真波の声が興奮に満ちた。有吾は呆れて首を振る。

「禁断の愛じゃないですか、まるでメロドラマみたい!」

「別にそうと決まったわけじゃねえから」

 有吾の言うことを聞かず、真波はお得意の妄想を繰り広げて行く。

「これはきっと、世を忍ぶ切ない恋が展開されていたんですよ――


『奥さん、僕は以前から、奥さんのこと――』

『い、いけないわ。私には夫がいるんだから』

『わかっています。わかっていても、この気持ちは抑えきれないんです』

『ダメよ、そんな……』

『愛は先着順なんですか。僕が奥さんと出会うのが遅かっただけで、諦めなければならないんですか』

『反町君……』

『僕はただ、いつだって君の一番傍にいたいんだ。愛しているよ、真波』

『私も愛しているわ』


 ――なんて感じで、キャー!」

「途中でお前に入れ代わっているじゃねえか」

「俗に言うカメオ出演ってやつですよ」

「オカメ顔でなに言ってんだよ」

「続いて第二幕ですが――」

「まだやる気かい!」

「ここからが良い所なんですよ〜」

「帰ってから一人芝居で楽しめ」

「それにしても、本当の原因はそれなんですかね」

「何が?」

「伊達社長と奥さん、反町が殺される一ヶ月ほど前に離婚しているんですよ」

「ほう、興味深い話しだな」

「表向きは性格の不一致ということになっているんですけど、実際の所はわかりませんからね」

「前にお前が言っていた、男と女で別れた言い分が違うってやつか。明日、伊達元夫人に話しを聞けるよう段取りをしておけ。今日は弁護士の大沢と話しがしたい」

「それがその、アポを断られました。忙しいということで」

「警察庁からの依頼を断るとは太え野郎だな。だったら外堀から攻めてやる。今の事務所関係者と、五年前に勤めていた大手法律事務所のパラリーガルにアポをとれ。どうせ叩けば埃が出る弁護士だろ。この殺人事件以外のことも根掘り葉掘り調べるぞという姿勢を見せれば、籠絡するはずだ」

「……博士、結構Sですよね」

「俺はSじゃねえ、ドSだ」

「なに自慢げに盛っているんですか」

「それから5年前の裁判記録を用意してメールで送ってくれ。反町が殺害される前にコンビニで買い物をしていた映像もだ。あとダテ・モードの登記と、ここ五年間の決算資料、3%以上保有する株主情報も。ついでに向井が直近一ヶ月で連絡を取っていた通信記録も頼む」

「え、ちょっと待ってください」

「大沢が独立してから依頼を受けた裁判の資料もよろしくな。俺はこのまま研究所に帰るから、何かあったらケータイにかけろ。じゃあな」

 軽く手を振って立ち去る有吾の背中を呆然と見つめながら、真波はぼやいた。

「ホントにこの人はドSだよ……」

 今日は終電帰りを覚悟して、真波も重い足取りで歩き始めた。

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