第3話 すっごいイライラする。

 五年前の事件はすっかり風化しているようで、昼間の公園は何事もなかったように地元住人に利用されていた。

 入り口の正面にベンチ数台と雨よけが設置され、向かって左手に公衆トイレがあり、右手には砂場やジャングルジムといった遊具が設置されている。そのスペースから子どもたちの甲高い声が響いてくる。

「子どもは無邪気だな。何一つ心配することなく、目の前のことを楽しんでいる」

 有吾が何気なく言うと、真波は白い目を向けた。

「博士だって充分無邪気だと思いますけど」

「お前に言われたくねえな」

「不安って、大人になるにつれて増していきますよね。私が本当の意味で『人生の不安』を感じたのは、高校入試が初めてかもしれません」

「人と人とが競争すると、不安が生じるってことか」

「五年前に殺害された反町も、才能溢れる向井に自分の立場が脅かされるのではないかと不安になって、デザインの盗作を行ったのでしょうか」

「逆に向井はこういった嫌がらせが続くのではないかと不安を抱え、殺害に及んだというのか」

「ええ、過度な不安が二人を狂わせたわけです」

 周囲を見回すと、マンションや戸建てが目についた。今は長閑な雰囲気に包まれていても、深夜の住宅街は人の気配がなく、寂寥感が漂うに違いない。

「人類が初めて『不安』を覚えたきっかけが何なのかは知らないが、獲物が捕れない日が続いた時には不安な夜を過ごしていたはずだ。そこで人類は燻製や食料を乾燥させて日持ちさせるといった技術を編み出した。不安は時に知恵という最良の副産物を生む。決して悪いことばかりではない」

「受験でも合格を勝ち取るために、みんな勉強方法を工夫しますからね。私は語呂合わせを自作しましたよ」

「どんなゴロを作ったんだよ」

「花粉症は英語でポリノウシスだから、『ポリスが花粉でポリノウシス♪』みたいな」

「……コミカルな動きまで付けてノリノリのところ悪いんだけどな、ゴロになってねえぞ」

「ええ! 私は一発で覚えられましたけど」

「お前の脳ミソを一度調べてみたいよ」

「そんなことを言わずに試してみてくださいって。博士もきっと一発で覚えられますから」

「元々知っとるわ! 何年アメリカで暮らして来たと思っているんだ」

「誰にでも言葉が出て来なくなる時はあるでしょ。忘れたときには遠慮なくこのゴロを思い出してください」

「……お前が遠慮を覚えろよ」

 呆れながらも有吾は、レンガのようなインターロッキングブロックが敷かれている足下を見回した。刺殺された反町は血を流して死んでいたはずだが、すでに血痕は消えていた。ブロックを張り替えたのかもしれない。

 道路沿いの街灯は少なく、公園内には光を放つ設備さえない。新島が目撃したという深夜の時間帯、見通しが悪いことは容易に想像できる。

「お前の言うとおり不安を覚えていたとしても、殺害まで企てるかね」

「殺すくらいならデザインを盗まれないよう、保管方法を工夫しますよね」

「もしくは嫌がらせそのものを封じるよう、何らかの手を打つよな」

「反町の弱みを握って逆に脅すとか? だとすれば、弱みを握られた反町が向井を殺しませんか」

「反町に襲われた向井が返り討ちにしたのかもしれない」

「それは有り得ませんね。争った形跡がありませんから」

「そうなのか。事件当時の状況をもっと詳しく教えろよ」

「間もなく警視庁の担当刑事が来るはずなので……あっ、どうやら現れたようですよ」

 真波の視線の先で一台のパトカーが路上に停車した。降りて来たのは小柄なベテラン刑事と、ラグビーでもやっていそうな大柄な若手のコンビだった。

 事件現場で立っていた有吾と真波にゆっくりと近づいてくる。二人が若いと知ると、ベテラン刑事が横柄な態度で「サッチョウ?」と訊ねて来た。

「刑事局捜査第一課の北条です。こちらは民間事業者の調子有吾博士です」

「わざわざ現場まで足を運んでご苦労なこった。だが、インテリ博士とお嬢ちゃん刑事で何が出来るんだ」

 酷く挑発的な口調だった。真波がマズいなと思っていると案の定、有吾が食って掛かる。

「そのインテリ博士が、お前ら単細胞動物では理解できない貴重なアドバイスをしてやるんだ。有り難くお言葉を頂戴しろよ」

「なんだと!」

 吠えたのは大柄の若手刑事だった。ベテラン刑事がスッと手を挙げてそれを制する。真波も有吾の耳を引っ張った。

「イテテ、なんだよ」

「自治体警察とは上手くやってくださいと言ったでしょう!」

 有吾にだけ聞こえる小声で念を押すと、真波はベテラン刑事に向き直った。

「すみません、うちの上司からも連絡が行っていると思うのですが、お付き合いください」

 ベテラン刑事は小指を耳に突っ込んでミミカスを出し、それを吹き飛ばすと面倒くさそうに応じる。

「上からの命令だからな、一通り教えてやる。一度しか言わないからちゃんと聞けよ」

「そうやって無能な人間ほど威張り散らすんだよな。その心理構造を教えてやろうか?」

 有吾が口を挟むと真波が肘鉄を飛ばしてそれを制した。

「気にせず始めてください」

 ベテラン刑事は二人を睨んでから、持っていた資料を広げた。

「事件は深夜一時過ぎにここで発生した。被害者の反町は腹部を刺され死亡、遺体は翌朝散歩に来た近所に住む老夫婦が発見した」

「なぜ深夜にこの公園を歩いていたんだ」

「反町はこの近所にマンションを借りて一人暮らしをしていたんだが、この先にあるコンビニへ行くために通ったのだろう。その店で酒とツマミを買っている映像が残っていた。早い話が近道だ」

「その帰り道で襲われたのか。この公園から逃げるように走り出した向井の姿を新島が目撃したのなら、新島もこの近所に住んでいたのか」

「いいや。偶然通りかかった」

 急にトーンが下がった。言いにくいことが有るのは明白だ。これまでにわかっている事実から、有吾はその答えを導きだした。

「なるほど、新島はその当時からストーキングをしていたんだな」

「えっ!」

 真波は目を丸くし、ベテラン刑事は苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。

「着ていた服まで覚えていたのは、ずっと後を付けていたからだ。だが新島はストーカー行為を認めなかったし、警視庁も薄々は感づいていたがストーカーの証言とあっては裁判員の印象が悪いと判断して伏せていた。そうだな」

 ベテラン刑事は返事をしなかったが、たまらず真波が有吾に訊ねた。

「どうしてわかるんですか」

「頭の中でアルゴリズムを処理すれば、自然と答えが導かれるだろ。新島は服装まで覚えていた『YES』、殺害現場付近に生活圏がある『NO』、向井釈放後にストーカー行為で警告を受けている『YES』、これら判断の分岐を繋げた上で、新島が住処でもない深夜の住宅街で向井を目撃したと仮定するならば、条件を満たす終了の端子は『その時点で新島が向井をストーキングしていた』となる」

「……それ、スワヒリ語ですか?」

「もういい、お前は黙っていろ」

 有吾は警戒心を剥き出しにしているベテラン刑事に向き直った。

「新島が偶然通りかかったと主張した理由は、ストーキングを隠したかったからとは限らないぜ。最初の判断が『新島は服装まで覚えていた、NO』であるならば、『目撃証言は虚偽だった』という終了端子が導かれる」

「嘘をついているのは向井の方だ、という結論も考えろよ」

「ほう、そう思う根拠でもあるのか」

「実際に向井を取り調べた俺にはわかる。刑事の勘でな」

 有吾はあからさまに鼻で笑った。

「そんな非科学的な第六感を頼りに捜査をしているから、冤罪が生まれるんだよ」

「テメエ!」

 若手刑事が咆哮のように吠えた。ビックリした真波は思わず身を縮めて有吾の陰に隠れる。ベテラン刑事は若手を落ち着かせると、凄みを聞かせた声を有吾に向けた。

「空調の利いた研究室で机上の空論を追っているだけのお前らは所詮、生きた現場を知らねえだろ。こっちは何十年もの間、数えきれないくらいの犯罪者と対峙してんだよ――」

 ベテラン刑事の瞳が獣のように鈍く光った。

「――俺たちは現実を肌で感じているんだ。能書きの妄想でぬるま湯につかっているお前らとは、潜って来た修羅場の数が違うんだ」

「経験から導いているというのか」

「そうだ。虚偽の証言を吐き、隠し事をする奴らは似たような動きをするんだよ。汗が噴き出し、呼吸が速くなり、落ち着きなく何度も姿勢を変える。そういう奴は決まって嘘をついているんだ」

 それを聞いた有吾の目つきが厳しくなった。

「向井は取調官を真っ直ぐ見つめてきたか?」

 ベテラン刑事は右斜め上をチラリと見てから頷いた。それは記憶を手繰る時に見せる人間の仕草。

「ああ。後ろめたいことはないと、懸命に演じていたんだろう」

 有吾は何かを考え始めた。妙な間が空いてしまい、それを嫌った真波が口を開いた。

「殺害動機はデザインの盗作ということでしたが、反町の死後に自宅を調べた際、それを臭わすような証拠が出て来たのでしょうか」

「何も出なかった。そもそも反町の部屋は空き巣に荒らされていたからな」

「ということは、強盗殺人だったんですか?」

「いや、空き巣犯は別にいて、偶然あの夜に入っただけだろう。コンビニからすぐ戻るつもりでいた反町は、鍵をかけずに自宅を出たようで、玄関の鍵がテーブルの上に残っていた」

 往復で十分もかからない距離だけに、油断が生じていたのだろうというのが警視庁の見立てだった。

「出かける姿を目撃した空き巣がこれ幸いと忍び込み、金目のモノを盗んで行ったわけだ」

 ベテラン刑事が捜査資料の中にある部屋の写真を広げると、有吾と真波は食い入るように見つめた。

「結構な荒らされ方ですね」

「殺された夜に自宅までやられるとはな」

「まさに『やけっぱちの八兵衛』ですね」

「それを言うなら『泣きっ面に蜂』だろ。お前が一番ウッカリしてんじゃねえか」

「す、すみません、雰囲気で覚えているもので……」

「なんだよその雰囲気って」

「感覚で掴むというか、毛穴で感じ取るというか」

「余計にわかんねえよ。試しに諺問題を出すから答えてみろ。二階から?」

「メリークリスマス」

「……そりゃサンタもビックリだな。桃栗三年?」

「あと何年?」

「知らねえよ、作物の成長なんて確かめてねえから。身から出た?」

「日替わりスープ」

「……そんなダシのスープを出したら、保健所が黙ってねえぞ」

 有吾だけでなく、警視庁の刑事二人も白い目で真波を見つめていた。

「こ、諺と捜査は関係ないじゃないですか!」

「お前の常識力が問われているんだよ」

「常人の物差しでは計ることが出来ない、規格外の女だと思って頂ければ幸いです」

「……お前の免疫力が凄いということだけはわかった」

「私のことよりも写真ですよ、写真。この壁に掛けられている絵はなんですか?」

「太陽光が反射して見にくいが、徳川美術館にある長篠合戦図屏風を模したタペストリーが張られている」

 ベテラン刑事の回答を受け、有吾は興味深くそれを見つめた。

「この銃を構えている方が織田・徳川連合軍か」

「アメリカ暮らしが長い博士には馴染みがないようですね」

「お前だってろくに知らないだろ」

「長篠の戦いくらい知っていますよ」

「だったら馬に乗っている部隊の名前を言ってみろよ」

「武田のビバ隊でしょ」

「随分と陽気な部隊じゃねえか。サンバでも踊る気か?」

「す、すみません。雰囲気で覚えているもので……」

「雰囲気を免罪符に使うな」

 再び白い目で見ながら、ベテラン刑事が話を戻した。

「海外におけるダテ・モードはサムライ・ブランドとして広がっているから、きっとインスピレーションを湧かせるために飾っていたのだろう」

「その割には他に歴史を感じさせるものがないな」

 写真を見つめていた真波も「確かに」と頷いた。

「空き巣に盗まれちゃったんじゃないですか。歴史ブームは根強く残っていますから、高く売れると思って。このタペストリーも高そうですけど、盗み出すには大きいから諦めたのでしょう」

 一通り写真を確認すると有吾は「よし」と顔を上げた。

「五年前の現場確認はこれくらいでいいだろう。次へ行くぞ」

「え? 次ってどこですか」

「新島朋子から話を聞くんだよ」

 それを聞いたベテラン刑事が睨みを利かせた。

「余計な真似をするんじゃねえ。いくらサッチョウが確保した民間の協力者でもな、事件を荒らされるのは迷惑なんだよ」

 有吾はニヤリと笑った。

「五年かけても解決できない事件を、机上の空論しか出来ない学者にあっさりと解決されるのが怖いんだろ。正直に言えよ」

 ベテラン刑事は獰猛な野良犬が威嚇するように眉間と鼻に皺を寄せた。真波は慌てて有吾の袖を引っ張った。

「だから自治体警察を刺激するのは止めてくださいよ」

「向こうが煽って来たんだろ。売られたケンカは言い値で買うのが俺様の流儀だ」

「そこをなんとか、私の可愛い笑顔でも見て、気を鎮めてください」

「……お前には勝てねえ」

 続けて真波はベテラン刑事のご機嫌を窺った。

「警視庁の捜査を台無しにするような真似はしません。事実確認をする程度ですので、お願いします」

「好きにしろ」

 吐き捨てるように言うと、ベテラン刑事は若手を促して踵を返した。その背中に有吾が声をかける。

「単細胞でもアンタの経験則は大したもんだぜ」

 ベテラン刑事は首だけ動かして振り返った。その表情は酷く冷めていて、だからこそ威圧を感じさせる。それでも有吾は動じずに続けた。

「だがな、その経験則は万能ではない。世の中には例外も有るんだ、経験則ばかりに頼っていると、無実の人を苦しめることになるから気をつけろよ」

 ベテラン刑事は小馬鹿にしたように鼻で笑った。

「しょっぱいアドバイスのお礼に、俺も教えてやるよ。現実の世界はマニュアル通りにはいかねえぞ」

 警視庁の刑事二人が立ち去ると、真波は頬を膨らませて有吾に迫った。

「もう、自治体警察とは上手くやってくださいって、何回言えばわかるんですか。最後の最後までケンカ腰で、相変わらず褒めながら貶しているし」

「事実だから仕方がない。単細胞だがあのジジイの経験則は大したもんだ」

「えっ……ということは、向井は嘘をついているってことですか?」

「汗が噴き出し、呼吸が速くなり、落ち着きなく何度も姿勢を変える。嘘をついているときに出やすい生理現象だ」

「汗っかきで鼻息が荒く、腰痛持ちだから姿勢を変えていたのかもしれないでしょ」

「向井はリュウマチに悩む太ったジジイか。説明するより体感させた方が早いな」

 そういいながら、有吾は財布から一枚のカードを取り出した。そこには黒、赤、青、緑の四色カラーで印刷されている文字が並んでいた。

 一行目は『黒・緑・赤・青』の四文字が並んでいて、それぞれの字と色が一致しているが、二行目は黒が緑色で書かれ、緑が青色、青が赤色、赤が黒色と、字と色が異なっている。

「字ではなく、色を答えろ。まずは一行目」

「黒、緑、赤、青ですよね」

「続けて二行目の色を答えろ」

「まずは……緑でしょ。それからみ……青、次が青……じゃなくて赤、最後が赤……もとい黒です。なにこれ、すっごいイライラする」

「そうだろう。お前の脳はまず、反射的に識字したんだ。だが、答えるのは文字ではなく色の方だから、そこで戸惑いが生じてしまう。インプットとアウトプットがズレるとストレスを感じ、それが生理現象として現れるんだ。嘘をついている時も同じ、知っていることと言っていることがズレているから、イライラして落ち着きをなくす」

「そんな嘘をついている自分を隠すため、向井は取調官を真っ直ぐ見据えていたというわけですか」

「いや、それ自体が嘘をついているときに見せる行動なんだよ」

「普通は後ろめたくなって、視線を逸らしませんか?」

「逆だ。無意識に相手を見つめるんだよ。自分がついている嘘が、相手に通じているか確認するために」

 真波は腕を組んで考え、そして叫んだ。

「向井は確実に嘘をついている……つまり五年前の殺人事件は向井が犯人だったということですね!」

「証拠もないのに決めつけるなって。五年前の裁判で痛いほど味わっただろ」

「嘘つきを捜すと言ったのは、博士自身じゃないですか。反町を殺したのが向井なら、今回の事件は反町京子の犯行である可能性が濃くなりますよ」

「だから決めつけるなっての。とりあえず新島に話を聞くぞ」

 颯爽と歩き出す有吾の後ろを真波がついて行く。確かな手応えを感じているからか、その足取りは力強いものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る