第1話 面倒くさそうですね。

 国家公安員会に設置されている特別の機関である警察庁は、警視庁の隣にある合同庁舎に入っている。

 その刑事局捜査第一課に配属となった若手職員、北条真波は上司から手招きで呼ばれた。好奇心旺盛なイマドキの彼女は、真新しいスーツを整えながらワクワクした表情で近づいていく。

「何か御用ですか」

 真波とは対照的に、上司は陰鬱な溜め息をついた。仕事と人生、その両方の疲労が滲んでいる。

「十日前に相模原市内で起きた殺人事件、知っているな」

「警視庁と神奈川県警が、それぞれ異なる人物に疑いを持っている案件ですよね」

 上司は頷きながら、怠そうに首筋を撫でた。

「それがいよいよ拗れて来た。事態を収拾するためにうちが出張ることになったんだが、神奈川が余計にヘソを曲げてしまってな」

「警察庁はお隣さんの警視庁に肩入れしていると勘ぐっているわけですか。面倒なことになりそうですね」

「もうなっている。そこで識者の協力を仰ぐことにした」

 人間関係が希薄になった昨今、従来の「人からの捜査」が困難になり、捜査を取り巻く環境がいっそう厳しくなっている。この状況に対応するため、警察庁は平成二十六年に捜査支援分析管理官を新たに設置した。民間事業者や関係機関との円滑な協力体制を確保し、関係情報を総合的に集約、分析することを目的としている。民間の力を借りる頻度はこれまで以上に増してくるだろうと真波は予想していた。

「そうは言っても学者を一人、用意するだけだがな。公平性や中立性を担保するというパフォーマンスを見せれば、少しはガス抜きになるだろう」

 上司は一枚の資料を真波に渡した。そこには簡単な経歴が載っている。

「この名前はチョウシ……ユウゴと読むんですか?」

「アルゴだ、調子有吾。私が警視庁へ出向していた頃、何度か協力を仰いでいる研究者だが、五歳でアメリカに渡ってから飛び級制度を使い、十代で情報工学の博士号を取得している秀才だ」

「計算機科学が専門の工学博士ですか。凄いですね」

「それだけではない。日本に戻ってから心理学を専攻し、こちらでも博士号を取得している。現在は『嘘』の研究に勤しみ、『ドクターライヤー』の異名をとるほどの第一人者となっている」

 まだ二十七歳の青年ながら、全く分野が違う二つの博士号を持つ天才。真波はこの男が気になって仕方が無い。

(私よりも四歳年上か。独身と書いてあるけど、恋人はいるのかな。私と博士で捜査しているうちに、二人の間に恋が芽生えちゃったりして。キャー)

「何をニヤけているんだ」

「な、なんでもありません」

「彼は犯罪心理学にも強くてな、捜査支援分析のアドバイザーに適しているんだ。お前には調子有吾博士の対応を任せたい」

「わかりました。誰と担当するんですか」

 地取りと呼ばれる聞き込みを始め、捜査は二人一組で行動することが多い。真波は当然、誰かとコンビを組むものだと思っていた。だが、上司は冷たく言い放った。

「お前一人だ」

「新人の私が、たった一人で?」

 これはきっと、私の実力を認めたからこその単独任務だ! ノーテンキな真波は思わず表情を緩めた。そんな糠喜びを上司は一瞬で消し去る。

「誰も博士の相手をしたがらないんだよ」

 不穏な空気を感じ取った真波は、怪訝な表情を浮かべながら訊ねた。

「もしかして、その博士は異常なほど神経質で気難しい人なんですか?」

「どちらかと言えば気さくだ。分析結果もわかりやすく平易な言葉を使い、その高い知能を鼻にかけることも無い」

「素敵な人じゃないですか。なぜみんな嫌がるんです?」

「自分勝手でワガママ、思い立ったが吉日で周囲が振り回される典型的なB型人間なんだよ」

「うわっ……面倒くさそうですね」

「おまけに長いアメリカ暮らしのせいで敬語を知らず、言葉遣いが荒い。気さくではあるが、同時にガサツでもある」

「すみません、私はA型なんですよ。AとBって、相性が最悪なんです」

「それじゃ仕方が無いな、他を探そう……ってなると思うか?」

「……思いません。期待はしましたけど」

 気が重そうに俯く真波に、上司は一言付け加えた。

「お前のやる気に繋がるかわからないけどな、その博士は結構イケメンだぞ」

「本当ですか! 私、頑張ります」

 呆れた上司は思わず肩を竦めた。

「有吾博士は所属している氏家研究所にいる。話は通してあるから、さっそく行ってこい」

「了解しました」

 鼻歌まじりに身支度を整えている真波を見て、心配になった上司が忠告した。

「自治体警察とは上手くやれよ。今は大事な時期なんだからな」

「わかっています。例の広域捜査権ですよね」

 警察組織は都道府県を単位としているが、犯罪は通信や交通の発達を背景に広域化が進んでいる。平成十六年に警視庁と千葉県警が協定を結ぶなど広域捜査の強化が進められているが、協定締結は十二地域しかなく、全国網羅にはほど遠い。

 検挙率が上がらない原因の一つに、この縦割り行政が絡んでいると睨んだ国家公安委員長は、警察庁内に広域捜査を可能とした日本版FBI設置の検討を始めた。自分たちの権力強化に繋がると考えた警察庁はこれを歓迎し、根回しに勤しんでいるが、都道府県はサッチョウの影響力が増すことを警戒して軋轢が生じていた。

「今回は警視庁と神奈川県警のいざこざだ。この二つを上手くまとめあげれば、我々の調整能力をアピールすることが出来る」

「仰ることはわかりますが、私にとって大切なのは警察庁の権力拡大でもなければ、警視庁のメンツでも神奈川県警のプライドでもありません。被害者とその遺族の無念を晴らすことです」

 それでは行ってきます! 意気揚々と研究所に向かう真波の背中を見つめながら微笑む上司に、部下の一人がイラついた表情を浮かべながら歩み寄った。

「なんですか、あの新人は。未だ女子大生気分が抜けずにキャピキャピしやがって。この仕事の厳しさをもっと痛感させるべきですよ」

「あの性格が彼女を生かしているんだ、大目に見てやれ」

「なんだか北条真波について、詳しいみたいな口振りですね」

 怪しむ目を向けてくる部下に、上司は鼻で笑った。

「お前が勘ぐっているようなことは無い。アイツの父親とは同期なんだよ」

「父娘で同業でしたか。だったら父親から厳しく指導してもらうべきでしょう。どちらに所属しているんですか」

「天国だ」

「えっ……」

 思わず目を丸くする部下に、上司は寂しげな目を見せた。

「北条真波が高校生の時、殉職したんだよ」

 ちょうど今頃の季節だったな、青葉が紅葉へと色を変える中、心を壊すほど涙に暮れていたあの日の真波を思い出した。

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