6 うわ、やっぱシャウトかました! しかもほとんどデスメタル!

 冬也とお嬢様は、とりあえず遊歩道のベンチに腰を据えた。

 冬也は相変わらず一文なしだし、お嬢様もコートは泥まみれだし薄化粧は流れてしまったし未だに千鳥足でしか歩けないしで、外の街に繰りだすには不都合だった。

 冬也はお嬢様が冷えて風邪でもひかないか気になったが、幸い北風は樹木で遮られ、お嬢様のコートやマフラーも上等のカシミアらしいから、酒の火照りを保てるだろう。

 むしろ、お嬢様のお顔の色を拝見するかぎり、まずはアルコールを薄める水かお茶でもさしあげたい。

「小銭ある?」

 今さら見栄を張ってもしかたがないので、冬也はすなおに訊ねた。

「俺、財布落として一円も持ってないんだ。二三百円でいいから、貸してくれないか」

 お嬢様はポシェットを探って革財布を取り出し、いきなり一万円札を渡してきた。財布の中には、まだ何枚も同じ札が入っているようだ。

 冬也は万札を押し返し、思わず親爺臭い説教モードに入ってしまった。

「あのなあ、こんな見ず知らずの怪しげな男に、夜の公園でいきなり札ビラ広げちゃいかんだろう。あんた、まともに歩けないんだし、財布かっぱらわれるだけならまだいいけど、最悪、口封じに押し倒されるとかな。世の中、金持ちや善人ばっかりじゃないんだから」

 お嬢様は目を丸くして、それから頭を垂れると、めそめそしゃくり上げはじめた。

「すみませんすみません……」

 ――うわ俺の馬鹿。やっと泣きやんだ泣き上戸に、説教してどうすんのよ。

 冬也は泡を食って言い足した。

「いや別に怒ってんじゃないんだよ。俺はあくまであんたの将来を考えてだな」

 それも説教だ説教、などと自分につっこんでも、今さら手遅れである。お嬢様のすすり泣きは止まらない。

「……とにかく借りるわ。百円玉三個な」

 音を上げた冬也は、お嬢様が手にしている財布から小銭だけつまみ出して、少し離れた自販機に走った。

 ときどき振り返り、お嬢様がまた手頃な枝を探しに出たりしていないか、あるいは妙な虫が寄ってきていないかチェックする。

 冷たいペットボトルを二本仕入れて戻り、

「ウーロン茶とポカリ、どっちがいい?」

 お嬢様はまだめそめそしながら、それでもしっかりボトルを見比べてウーロン茶を選び、お嬢様らしからぬ勢いで、半分以上も一気飲みした。

 待つことしばし、どうやら気分も落ち着いたようなので、

「少しは酔いが醒めた?」

「……はい」

「さっきのこと、覚えてる?」

「……はい」

「説教の話じゃないぞ。その前の、あっちの林ん中で……」

「……はい」

「忘れちゃえよ。どうせ酔った勢いの気まぐれだろ」

 今度は返事がなかった。

「弱いんだろ、酒」

「……みたいです」

 みたいじゃねえよ弱いんだよ、と、また説教しそうになって、冬也は口をつぐんだ。

 するとお嬢様は、

「今夜、初めて飲んだんですが……」

 冬也は少々驚いて、お嬢様の横顔を見入った。

 年は冬也より下らしいが、少なくとも成人式は過ぎている。これまで冬也が見てきた若い女は、ほとんどが未成年の内から飲んでいた。しかし考えてみれば、冬也のテリトリーが野蛮すぎただけで、お嬢様の育成環境ならば、法令遵守も当然だろう。

「じゃあ、いっしょにいた奴らが悪い。そいつらとは、もうつきあうな」

「でも、同じ専攻の人たちですから」

「専攻?」

「東京芸大の器楽科で弦楽――バイオリンを専攻してます」

 ――うわすげえ。マジで高嶺の花。

 冬也は腰が引ける以前に、ただ感心してしまった。

 同じ高校の秀才クラスから、東京芸大の絵画科に受かった男がいた。二年のときに油絵で全国レベルの賞をとり、美術以外の科目も常に学年トップだった。数学や英語まで完璧にできないと、国立の芸大では油絵を描かせてもらえないのである。一見いいとこの坊ちゃんふうで性格も円満、ただし胡乱なヘヴィメタ・キッズたちとは一度も口をきいたことがない。

 冬也が言葉に窮していると、

「……私、エレキギターはよく知らないんですが、その、ギター以外にも、アンプとか、色々使って音を出すんですよね」

 お嬢様の方から訊いてきてくれたので、冬也は嬉々として応じた。

「うん。でも俺が使ってるこのベースだと、ふつうはアンプやエフェクターに頼るとこも、自分でけっこういじれるから、まあ腕次第っつーか、色々だよね」

 そっち方向の話題なら、高嶺のバイオリンも地べたのベースも、基本は一緒である。

 お嬢様はうつむいたまま、訥々とつとつと言った。

「……バイオリンは、もちろん演奏技術も大切ですけど、楽器そのものが一番大事なんです」

「うん、わかる。俺、前に楽器屋でバイトしてたから」

 同じ腕前の奏者がアコースティックの生音なまおとで勝負するなら、当然、楽器の個体そのものがどこまでいい音を出せるかがきもになる。もちろん楽器も奏者も聴衆もすべて生物なまものだから、それらが一体となって生じる結果としての感動や陶酔はまた別の話になるが、たとえば、冬也のバイト先で目玉にしていた数万円のバイオリンを弾いて、百万のバイオリンと同じ音を出せる奏者がいたら、それは天才バイオリニストではない。マジシャンか詐欺師である。

「……今夜、クラスのパーティーで、花京院さんのバイオリンを貸してもらったんです」

 ほうほう、お嬢様のお仲間だけあって、やっぱり名前がお嬢様っぽいのな――などと感心しつつ、冬也は黙ってうなずいた。

「……前は、同じビソロッティを使ってたんですが、秋頃、花京院さんがストラディバリウスを使い始めたので、私、なんどもお願いして……それでも貸してくれなかったんですが……」

 ――ほうほう、どっちの家もお金持ち。でもそっちのお嬢様は、もっとすっげーお金持ちの子なのね。

「でも今夜は、花京院さんも初めてお酒を飲んで、すごく機嫌がよくて……」

 ――なるほどなるほど、そっちのお嬢様は、たぶん笑い上戸なのね。

「……私の方が、ちょっと、いい音で弾けました」

 ――それはたぶん本当なんだろうな。泣き上戸は、たいがい自分を過小評価するもんだし。

「でも、いっしょにいたみんなは、私も花京院さんも同じくらい巧いって……」

 ――そこいらは、その場にいなかった俺にゃわからんよな。音の好みは人様々だし、その場の空気ってもんもあるからな。仲間内の微妙な力関係とか、キャラかぶりとかな。

「パーティーが終わって、送ってくれるっていう人もいたんですが、私、泣いちゃいそうだったので、ひとりでタクシーに乗って……」

 ――だから、そこで強引に送らない男どもの気がしれんのよ。こんな良さそうなと、楽々ラブホ直行じゃん。既成事実成立じゃん。やっぱ、あの手の大学の男なんてのは、お育ちのおよろしいお上品なお坊ちゃまばっかし揃ってんのかなあ。

「……この池の、あっち側のほとりに、水上音楽堂がありますよね」

「あ、うん。クリスマス・コンサートとか、やってたみたいだね」

「……もうとっくに終わってて、誰もいませんでした」

「あ、そう……」

「運転手さんに、あの近くで停めてもらって……タクシーを降りて、暗い音楽堂のステージに、ひとりで上がってみたんです」

「で、弾いてみたとか? バイオリン」

「はい」

「そりゃ絵になるだろうなあ。俺も聴いてみたかったなあ」

「だめです」

「ま、やっぱこのナリじゃ、クラシック聴かせる客じゃないか」

「……違います……バイオリンが、だめなんです……」

 お嬢様の声のトーンが、途中から、妙に陰にこもってきた。

 冬也は、ある種の音楽的な、それもロック方向の予感を覚え、本能的に身構えた。

 も、もしかしてこれは――メランコリックなバラードを、スローテンポのア・カペラで、それともキーボードだけ軽く乗せるくらいで、たっぷり三分くらい聞かせといて――客がしみじみ静まりかえってるところで、いきなり――。

「私のバイオリンがだめなんですう!!」

 ――うわ、やっぱシャウトかました! しかもほとんどデスメタル!

 ここは俺も最強のリフを繰り出さねば、と冬也は反射的に両の手指を奮わせた。

 しかし、お嬢様には精一杯のシャウトだったらしく、次のトーンは、もう元の細い声に戻っていた。

「……この子、高校の入学祝いにパパが買ってくれて、それから、ずっとお気に入りだったんですが……」

 ――この子? どの子?

「やっぱり、どんなに弾きこんでも、花京院さんのバイオリンみたいな音は出してくれません」

 ――ああ、人の子じゃなくて、膝に置いて撫でさすってるケースの中身の話ね。

「私がもっと巧くなればいいんだ……ずっとそう思ってたんですが、やっぱり今夜、そうじゃないってはっきりわかってしまって……今までずっと可愛がっていたこの子が、なんだかとっても情けない子みたいに思えてしまって……そんなふうに思ってしまった自分も、もっと情けないみたいな気がしてきて……」

 ――そ、そーゆーことだったのか……。

 その気持ちなら、冬也にもわかる気がする。

「……でも、それは、情けないとか思っても仕方ないよね」

 冬也は、できるかぎり真摯しんしに言った。

「俺も、高校んときバイトして買った中古のベース、プロになるまでずっと大事に使ってたけど、こっちのスティングレイ使いはじめたら、やっぱ全然違うんだよね。元のベースもしばらく部屋に飾っといたんだけど、結局、宅急便で実家に送っちまった。たぶん物置に突っこんであると思う。でもやっぱ、自分の出したい音が出せるかどうかが、一番のキモだから」

 今のお嬢様をお慰めするには、そんなドライな話ではなく、安物ベースを擁護するハッピーな後日譚でも、でっちあげた方がいいのだろう。しかし、それができない程度には、冬也もプロのミュージシャンだった。

 案の定、お嬢様は浮かない顔のまま、黙ってうつむいている。

 ――ううむ、この短調マイナーな曲調は、もはや強引に長調メジャーにアレンジするしかあるまい。

「でもさ」

 冬也は、からりと明るい声で言った。

「そんなに飲んで、ちゃんとバイオリン弾けるなんてすごいじゃん。俺もライブの前に軽く一杯ひっかけたりするけど、二杯も三杯もひっかけたら、もう指が酔っ払っちゃって、とてもとても」

「こんなに飲んじゃったのは、そのあとです」

「は?」

「弾いてから、暗いステージに座りこんで……パーティーのお土産にいただいた、ブランデーのボトルがあったので……ひと息に全部……」

「あ、ミニボトルね」

 ブランデーは甘くても、ウイスキーや本格焼酎なみに強い。

「これくらいの大きさ、ミニボトルっていうんですか」

「うわ」

 お嬢様の手つきを見て、冬也は絶句してしまった。どう見てもフルボトルである。

 ――いやあんた、それイッキしたら、下手すりゃ俺だって首吊る前にぶっ倒れるから。

 アルコールに弱いどころか、先天的大酒豪だったのである。

「……エリザベート王妃国際音楽コンクールって知ってますか?」

 お嬢様の方は、酔っ払いにありがちな脈絡のなさで、ころりと話題を変えてきた。

「あ? ああ」

 冬也は面食らいながらうなずいた。

「まあ、名前だけなら」

 総合的な楽器店でバイトしていたから、クラシック方向でも、それくらいの知識はある。チャイコフスキー国際コンクールやショパン国際ピアノコンクールと並ぶ、世界三大音楽コンクールのひとつである。開催場所は、確かベルギーのブリュッセルだったか。出るだけでも一流、入賞イコール世界的音楽家、そんな権威のあるコンクールらしい。ロックだったら、ビルボードのシングルチャートでHOT40に食いこむ、そんな感じだろうか。

「……来年のバイオリン部門に、花京院さんと私が出るんです。専攻の先生や学部長が強く推してくださって、参加のための手続きや渡航の準備も、こまごまと整えてくださって」

「すげえじゃん!」

 話題がみごとに転調したので、冬也は我が事のように喜んだ。

「もう日本じゃ立派なプロってことだろ?」

「ただの学生です。国内の音楽コンクールなら、ふたりとも、ほとんど優勝してますけど」

「それってオリコンなら同列一位だから!」

「でも、ブリュッセルで優勝できるのは、花京院さんだけです」

 お嬢様は、あくまで悲観的だった。

「私は、たぶん一度だけ弾いて……あとは観光旅行の人たちといっしょに……」

 もう流す涙も尽きました――そんなお嬢様の横顔を見つめながら、冬也は思いきって訊ねた。

「ちょっと話が変わるけどさ」

「……はい?」

「君は今、欲しいバイオリンとかある? その花京院さんのバイオリンと同じか、それ以上の音が出せるみたいな」

「どうしてそんなこと訊くんですか」

「畑違いだけど、同じミュージシャンとして、まあ今後の参考に」

「……あることはあります」

 言うだけ悲しいんですけど――お嬢様はそんな横顔で、それでも同じミュージシャンとして、詳しく答えてくれた。

「国際コンクールの話が決まったとき、今年のクリスマス・プレゼントは新しいバイオリンにしようって、パパが言ってくれたんです。それで、先生の伝手を頼って、パパとあちこち探して回ったんですが、横浜の骨董商――弦楽器専門の方のお店に、きちんと調整されたストラディバリウスがありました。去年まで使っていた演奏家の方がお亡くなりになって、御遺族が、そのお店に委託されたんだそうです。先生の紹介状もありましたから、お願いして、試しに弾かせていただきました」

「いい音が出たんだ」

「はい……それはもう不思議なくらい、思いどおりの音が」

 お嬢様は、その音を思い出したのか、うっとりと夜空を見上げた。

 しかし、その夢見る瞳とはうらはらに、

「……でも、やっぱり夢だったんです。その席では、お値段も折り合ったんですが、お店の御主人が委託された方に連絡したら、事情が変わったのでその値段では売れないと……足元を見るような方ではないと御主人もおっしゃってましたから、たぶん別の演奏家の方が、御遺族に直接打診したんだろうと……」

 すでに吹っ切れた横顔の、それでもなお夢見るようなお嬢様の視線を追って、冬也も冬の夜空を見上げた。

 東京にしては、澄んだ星空が見えた。周囲の街の灯が、いつもの年より少なかったからかもしれない。

 冬也は、腹をくくって言った。

「これも、あくまで参考までに――そのストラディバリウス、いくら?」

「始めは五千万でいいとおっしゃっていたんですが……今は一億以上でないと……」

「格安じゃん」

 バイト先で音楽雑誌もずいぶん読まされたから、ストラディバリウスという半ば伝説化したブランドのバイオリンが、どんなに安くても数千万、由緒によっては何十億で取引されていることを、冬也も知っている。同時に、その伝説的名器の価値はあくまで伝説であって、たとえば冬也のバイト先にも看板代わりに飾ってあった三百万の新品の方が、客観的にはいい音を出せる――そんな調査結果があるのも知っている。しかし、音そのものを聴くのは鼓膜というただの器官でも、音楽を聴くのは人の心である。楽器も奏者も聴衆も、すべては人の心が動かす生物なまものなのだ。

 すでに冬也は、自分の責任の取りどころを悟っていた。昨日までなら目をくような金額でも、今夜の冬也には余裕である。

「それって一億でも買いだよね」

 元の予算に宝くじの賞金を足せば、一億四千万までは出せる勘定だ。

「でも、私の家は……よそのお家よりは豊かなんですが、花京院さんのお家ほどではありませんから」

 そう言ってはかなげに微笑するお嬢様に、

「あのさ、君、俺からのクリスマス・プレゼント、受け取ってくれない?」

 冬也は軽い調子で言いながら、懐の内ポケットを探った。

「はい?」

 怪訝けげんそうに冬也を見つめるお嬢様に、例の封筒をさしだす。

 お嬢様が警戒して身を引くので、

「いや別に妙なもんじゃないよ」

 中身の連番十枚も、引き出して見せる。

「知ってるかな、年末ジャンボの宝くじ」

 お嬢様は、まだ警戒を解かず、

「……でも、いただけません。あなたが買った宝くじなんでしょう?」

「あ、そこんとこは気にしないで。ここだけの話、実は俺、サンタクロースだから」

「は?」

「で、これもちょっと見ただの今年の年末ジャンボだけど、ここだけの話、実は当たりくじなんだ。前後賞合わせて九千万、大晦日の抽選会で当たることになってる。まだ誰も知らないけど、サンタの俺がそう言ってんだから間違いない」

 お嬢様の疑い深い顔が、ふと緩んだ。宝くじといっしょにビニール袋に入っていた、レシートに気づいたのである。

「……サンタさんは、上野の宝くじ売り場でプレゼントを買うんですか?」

 無事にジョークだと思ってくれたらしく、くすくす笑っている。

「――な~んちゃって!」

 冬也も軽く笑って言った。

「こんなナリでも、人並みに一攫千金いっかくせんきんの夢は見るってことね」

「はい」

「でもほら、音楽だって、夢のやりとりみたいなもんじゃん」

「はい」

「たとえばさ、俺、中学の音楽の授業で、ドビュッシーの『月の光』とか初めてレコードで聴かされたとき、目をつぶって聴いてたら、ほんと夜空が見えたわけ。すっげー綺麗な、なんつーか、静かで優しくて、自分が溶けちゃいそうな夜空ね。で、音楽の先生も、授業しながら自分でピアノ弾いてみせたんだけど、学校のピアノなんてろくなもんじゃないし、先生だって中学で音楽教えてるくらいだから、レコード出せるピアニストになんか勝てっこない。でも、目をつぶって聴くと、ちゃんとおんなし夜空が見えるんだよ。なんか自分が溶けちゃいそうな夜空」

「……わかります」

「で、俺も単細胞だから、思わずピアノ弾きたくなったりしたわけだけど、やっぱほら、なんかピアノって柄じゃないし、まあ聴くだけでいいやとか思ってるとこで、こんどはロックに目覚めちゃったわけだ。まあ最初はカッコ優先で洋モノにハマったんだけど、よく見りゃ日本でも、俺みたいな平べったい顔で、ちゃんとロックやってるお兄さんたちがいるわけよ。だから、こりゃ俺でもイケるんじゃないか、なんて思ったりして、高校入ってからバンド始めたのね」

 実はそっちの理由は半分以下で、半分以上は女子にモテるためだったのだが、そこは当然省略する。

「で、その頃、日本のLOUDNESSってバンドが仲間内でウケまくってて、アルバムに入ってた『Milky Way』って曲を聴いたんだ。そしたら、なんかいきなり、すごい夜空が見えちゃって。中学の授業んときより、もっと綺麗な夜空」

「『ミルキー・ウェイ』――聴いたことありませんけど、綺麗なバラードとかですか?」

「いや、もうギンギンのヘヴィメタ。ヘッドホンで聴かないと、三軒先の家の親爺が怒鳴りこんでくるくらいハードなやつ。鼓膜に悪いから、クラシックの人は聴かないほうがいいよね。でも、それヘッドホンでガンガン聴いてたら、やっぱり夜空が見えたんだ。それが『月の光』よりもっと広くて深くて、なんつーか、夜空に溶けるんじゃなくて、宇宙に吸いこまれちゃうみたいな。宇宙だから、もう何も音なんてしない。自分の息だって聞こえないくらい静かなの。音だけでいうと、もう雪がしんしん降り積もってる冬の夜の白川郷、みたいな。ヘッドホンでは、もう工事現場でドリルが十も二十も唸ってるみたいな曲やってんのに、聴いてる俺の気持ちとしては、タイトルどおり、果てしない銀河に行っちゃったわけだ」

「……わかるような気がします」

「ま、そーゆー夢のやりとりにハマっちゃって、ロックで食うしかない連中が出てきたりするのも、いわゆるひとつの音楽ってやつかな、と」

「……そうですね」

「で、だ」

 冬也は、宝くじの束をひらひらさせながら、

「これも今んとこ、ただの俺の夢だけど――君、あと一週間だけ、代わりに俺の夢を見ててくれないか?」

 お嬢様が微妙な笑顔のままなので、冬也は畳みかけた。

「まあ、最悪でも三百円は必ず当たるし。そしたら、あのバカ野郎とか俺に腹立てながら、正月にお汁粉でも食ってさ」

 そう言って宝くじをさしだすと、お嬢様は、ようやくおずおずと受け取ってくれた。

「あと、もうひとつ」

 冬也は、なるべく押しつけがましくないように、しかしまっすぐな目で言った。

「俺の夢なんか、お汁粉食ったら忘れちゃっていいけど、君の本当の夢は、ずっと見ててほしいんだ。これからもずっと――かわいいお婆ちゃんになって、縁側で猫抱いて日向ぼっこしたりするまで、ずうっとね」

「……はい」

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