美しき泥跳ね

作者 椎人

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★★ Very Good!!

誰もが「救われたい」と願っているし、「大切な人が苦しんでいるのを救いたい」とも思っている。しかしそんな願望とは裏腹に返ってくるのは、「自分を救えるのは自分だけ」「他人を救うなんて、ただのエゴ」――そんな、刃物のように鋭利な言葉。そんな言葉を喉元に突き付けられたとき、果たしてどうするべきなのだろうか? 本作はそんな難問に対する、著者が自身に問い続けた結晶の物語であろう。

「泥跳ね」を避けることは難しいし、一度付着してしまったらなかなか落とせるものではない。でもその汚れを、「美しい」と自ら評することができたら――それはきっと幸せなこと。今でも過去と戦い続けている人、或いは過去と戦っている人の傍らにいる人が、この物語を通じて少しでも楽になれたならと、私は思う。

★★★ Excellent!!!

「救われました」
得てして簡単に使われがちなこの言葉はいったいどんな心境にこそ本当に当てはまるのでしょう。

自殺を阻止した四葉と、自殺を止められたれんげ。二人の関係性が運命の蔓のようにきつく絡み合い、他の登場人物も含めて人の心のぬかるみを描き出します。

自己完結と厭世に満ちたセリフ。心の裏側のさらに奥深くをえぐり出す言葉は、容赦のない本音に満ちています。それは主観的な苦しみの吐露と同時に、客観的な視点から見た事実でもあり、更地から投げかけられる口当たりの良いきれいな言葉が泥沼の中にいる人間にどう映るかを浮き彫りにする真摯な言葉でもあります。

希少な四つ葉のクローバーを果たして自分の価値として守り抜けるか。それとも多数に迎合するために葉をちぎってしまうか。生まれた環境や条件ですでに人生は決まっているのか。泥の中にも人は咲くことができるのか。
この作品の登場人物は決して特別ではなく、もしかしたら誰の心にも巣食う可能性のある闇、あるいはひた隠しにした闇を究極なかたちで示してくれているのではないかと思います。

泥のついた足で歩き続ける彼らの人生に明確な答えはありません。それでも本当の意味で「救われた」と思える日はきっと訪れるはず。
泥跳ねとともに一生を歩くのであれば、それを美しいと感じられるところまで歩き続けてほしいと、読み手としてそう感じました。

★★★ Excellent!!!

自分の苦しみは自分だけのもので、だから、人に話しても無駄。
そんな諦めを背負って生きているような女性、れんげさんは、見えない肌に傷を刻んで、ついには自らの生命を終わろうとしていました。そんな彼女の自殺を止めた四葉さん。
エンパシーをおぼえて人として人に寄り添えたのは、同じ種類の心の闇を知っていたからでしょうか。
いいえ、「同じ」なんて存在しません。
限りなく近い「何か」を感じ取ったのでしょう。

れんげさん。四葉さん。
おふたりとも野に自生する草花の名を冠しています。
自然界の晴れも曇りも雨も嵐も知る花たち。
時には泥を跳ねられても、埋もれることなく芽吹く花たち。
ふたりは人生の、さまざまな日に直面して向き合って、心を濡らす泥跳ねをも糧に生きていこうとします。

救おうとすることは偽善なのか。
慰めることは同情なのか。
中途半端な想いは、ともすると相手のみならず自分をも傷付ける。
二重三重の緊迫感の中に磔にされた心が、現代を生きる姿と過去の姿を行き来する描写から浮かび上がり、人生の足掻きは泥が跳ねたような模様だった。
その模様は美しい。苦しみ抜いた果ての人生の肯定。

苛酷で美しい、その模様を、忘れることは無いでしょう。
被害者であり加害者。
人は無意識のうちに傷付けて傷付けられるのかもしれません。
その心模様が交錯する人生。登場人物の人生に、誠実に向き合われた作者様の御心が好きです。
完読後の心は「夜明け」でした。
じっくりと、ゆっくりと、読ませていただき、本当に、ありがとうございました。

★★★ Excellent!!!

17話まで読んでのレビューになります。

誰かを『救う』という行為に真正面から向き合った小説で、イッキ読みしました。
他者に心優しくあろうと必死にもがく小田牧四葉君。そして、悲哀と悔恨を抱いたまま、絶望を切り離せずに生きる、吉峰れんげさん。二人はともに死の瀬戸際で『救う』という事象と向き合います。

読み進める度に、主人公たちの苦衷や葛藤に追体験して思い悩む小説です。
百聞は一見に如かずの言葉通り、まずは読んでみて欲しい。
心からそう願う小説です。