第23話 真紅は闇に溶けていく

 鬱蒼と木々が生い茂った山の中、クリムと共に駆けている。すっかり暗闇に目が慣れ、こんな夜の山でも難なく移動が可能になっていた。


「久しぶりにこの姿に戻れたが、ちゃんと炎が操作できて良かったぜ!」


 クリムは遥か後方に見える炎の壁を振り返り見ながら呟いた。


 雷神が俺達を閉じ込めていた炎の壁は、あっさりとクリムが処理してくれた。クリムは元々漫画の世界では炎を操る能力があった。そのため、手をかざし短い呪文を唱えるだけで炎の壁は道を開けてくれたのだ。


「ところでよぉ、紫苑!」


 俺の前を走っていたクリムがスピードを落とし、並走しながら俺の顔を覗き込んだ。走りながらも息を切ることが無く、涼しい顔をしているクリム。流石は二次元種というべきか。身体能力もさることながら、間近で見ると恐ろしく均整のとれた顔をしている。


 黙っていれば誰もが認める美女に見つめられ、悔しいが少したじろいでしまった。いやいや、こいつはあのクリムだぞ、と自分に言い聞かせ、俺は手短に返答した。


「なんだ?」


「良かったのか? 乃蒼を置いてきて」

 

 思わず、喉の奥でウッと声が漏れてしまった。たしかに頭の片隅には悔恨の思いがあった。しかし、頭を振ってそれを振り落とす。


 やっと絵師とコンビを組めたが――仕方がない。


「正体がバレたんだ。もう一緒には居られないだろ。……俺は人間じゃないんだからな」


 クリムが眉をハの字に曲げ、心底呆れた顔をした。


「はぁ? そんなことで乃蒼と別れたのか? 別にどうでもいいじゃねーか、そんなこと」


 と、クリムは言ったが、俺は早口でその台詞を否定した。


「どうでもよくねぇ! 俺は三次元種でも、ましてや二次元種でもない! どっちつがずの、化け物なんだよ……!」


 俺は既に全力で走っていたが、更に加速し、クリムと距離をとる。


 怒られたクリムは「〜ったく、コイツは……」とひとりごちりながらも俺の後に続く。


◇◆◇◆


 既に走り続け、数分経過している。追手の駆ける音も聞こえない。案外あっさり撒けたのかと思い、そろそろ止まろうとした――その時だった。


 ドッと、俺の背中に重い衝撃が襲った。思わずこけそうになってしまった。


 クリムに背を叩かれたのかと思った。先程の話で何か思うところがあったのだろうか。話なら逃げ切った後にしてもらいたいのだが。


 俺は振り返り、クリムの顔を覗くと、目を見開き、驚いている。なんだ? 何があったんだ?


 余りにも驚いているから、俺は自分の背中に手を伸ばしてみた。すると、ヌルリと生暖かいものが触れた。


「――あ?」


「紫苑っ!」


 血だった。手にベットリとついた鮮血がその傷の深さを物語っている。首をめいっぱい回し振り返ると、俺の背に白黒の立体感の無い簡素なナイフが突き刺さっているのが見えた。明らかに現実世界のナイフではない。描かれ、具現化されたナイフだ。


「いっっってぇ!!!」


 それが分かった途端、遅れて激痛が襲いかかる。ただでさえ走っているのに、呼吸が辛い。脂汗が全身から吹き出し、傷口が脈打つごとに痛みを増しているようだ。


 とても走ってはいられない。足がもつれ、上半身だけが今までのスピードに乗って前のめりになる。駄目だ、こける。


「ちぃっ!」


 クリムは倒れかけの俺を掴み、すぐさま肩へ持ち上げた。


 転倒の心配はなくなったが、痛みだけは次第に増していくように感じた。苦痛で口が歪み、額から脂汗が噴き出している。


「――いってぇ……!」


 俺の呻き声を聞きながら、クリムは顔だけ後ろに振り返る。しかし、何もみつけられない様子。少なくとも地上には。


 ハッとして、クリムは後方上空を見上げる。俺も朦朧とし始めた意識の中、上空を確認する。


 すると、木々の合間から、微かに何かが見えた。月明かりが一瞬それらを照らすと、ようやく正体が分かった。


「鳥……? いや、違う、あいつらか!」


 ハングライダーで空を飛ぶ旗師会の奴らだった。ハングライダーも恐らく絵で描かれた物を具現化したのだろう。こんな森の中でどうやって飛び上がったのか分からないが、目視でも5人ほどが颯爽と空を駆けていた。


 すると、再びナイフが上空から迫って来た。一本や二本ではない。全員がメッタ打ちにナイフの雨を降らしたのだ。


「野郎っ!」


 クリムはナイフの雨を素手で弾き飛ばし防ぐ。俺にも当たらないよう、上手く捌いている。


「くそぅ、まさか上空から追っかけてたとは! どおりで足音が聞こえねぇわけだ!」


 そう言いながらもナイフの弾き飛ばし続け、ようやくその勢いがおさまってきた。


 しかし、恐らくあと数秒後には再びナイフの雨が降るだろう。無論、クリムにとってはそんな雨、素手で弾くことは簡単だ。ナイフを拾って反撃も可能だろう。


 しかし、そんなことをしている合間にも俺の背からはおびただしい血が流れ出る。そして、このままでは間違いなく出血多量により――。


「だぁっ! ちくしょう! ……死なせねぇぞ! このクリムゾン・ボースプリット、もう仲間は死なせねぇって決めてるんだ! ――詳しくは、単行本第十二巻を参照だ! ちょっと揺れるが我慢しろよ、紫苑!」


 ナイフの雨を避けながら真紅の瞳の少女は駆ける。その瞳のように真っ赤に血塗れた俺を担ぎ、夜の森に消えて行く。

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