第79話 歩行開始
夜が深い。空の月は、雲の僅かな切れ目から出たり消えたりしている。
そんな夜、スマホのマップを見ながら進む俺たち。
「
今は
「不安じゃないのか?」
「何がや」
「足が変になったり、ふくらはぎの筋肉が断裂したり、肛門が裂けたり、挙句の果てには脳が脳じゃなくなるかもしれないぞ? 普通はそういうこと心配するだろ?」
「ちょ、どこまで妄想してんねん。さすがに脳は脳のままやろ」
と言いつつ、声が少し上ずっている。やはり、こいつといえど不安を抱えている雰囲気だ。
「肛門が裂ける可能性はあるだろ」
「ほ、ほんま?」
食いついた。
「穴の周辺には強い応力が作用するんだ。肛門は穴だろ? それにお前は女だから、もう一個穴がある。怖くないのか?」
「怖っ」
ここで、普通なら「エロガッパ」とか言われるんじゃないだろうか。でもこいつは顔が可愛くないし、そんじょそこらの女とは異なる感覚を持っていてもおかしくない。あるいは、冷静に穴について考えた結果かもしれない。ちなみに、さっき言ったことは口から出まかせっていうか、大学で習ったことを無理矢理解釈しただけだ。結果的に食いついてくれて良かった。
「けんど、ま×こはち×こを受け入れるために強化されてんちゃう? さすがに裂けんと思う。っていうか、肛門も裂けんとってほしいけど」
「こら! はしたないこと言うな!」
「はしたないて、おじさんも高校生のときははしたなかったんちゃうか? 大人になってエロに飽きてしもうたからそんなこと言えるねん。エロの
何が若い女だ、そう口に出そうになった寸前、はたと気づく。
「……何歳?」
「十七」
「それは永遠の十七歳とかいうバカ発言じゃなく?」
「高二やウチ。おじさんみたいに老けてないねん」
こいつが十七歳だという事実を受け入れたくない。川岸でイナゴを食い、歩道の金網で塩焼きにされていたやつが、ピッチピチの十七歳だなんて。
「もうちょっと女の子らしい振舞いしてたら、フられずに済んだかもな」
「どういう意味やねん。ウチは十分女の子らしいやろ?」
「声の高さだけは女かもしれない。だがその他は壊滅だ。よく覚えておくんだ」
自分のことを女の子らしいと思っている時点で成長はない。声だって、男より高いだけで可愛くない。田舎っぽいだけの、安っぽい声だ。
「ったく。俺はどうしてこんな不幸なんだ。まさか旅行先でお前に会うなんて。しかもお前の実家のある県に旅行してたなんて。どうして聖地の県にお前が生誕したんだ。田舎娘」
当人がいる横を見て、いかに俺が不幸なのかを教える。
ことは、できなかった。
「はれ⁉」
横に田舎娘がいない。さっきまでいたのに。
「おい! どこだ! くっそ、いきなり迷子かよ!」
辺りを見回すも、いない。どこ行ったんだ?
「ふ、不幸だ。俺は不幸だ。不幸だああああああ!」
叫べば出てくるだろうか。
「おじさん」
「ハッ」
遠くで声が。かなり遠い。遠すぎて、声がもわもわ聞こえた。
「何止まってるんだ、ただでさえ八時間もかかるってのに」
駆け戻り、田舎娘のもとに到着する不幸者。でもいてくれて良かった。未開の地で迷子とかシャレにならないから。
「ウチって、壊滅ってほどなん……?」
「……まあ、壊滅だな。正直言って」
そこを深刻に捉えていたのか。さすがにかわいそうだったかな。
「『可愛いは、作れる』。そうCMで言うてたけど、ウチは無理なんかな」
「まあ、多分」
かわいそうだからとて、事実。事実を認めることから成長があるってもんだ。
「質のええシャンプー
「ちなみに何使ってるんだ?」
田舎娘は「弱酸性メリッテ」と答えた。俺の使ってるのと同じだ。
「アジエムスかペタルサスルーン使えば? つば
女モンのシャンプーはよく知らないけど、CMでちょっとは見たことがある。なけなしの知識をはたいて、
夜が深い。月は薄い雲に隠れたり、出てきたりしている。風はぬるく、昼間の熱気が地面から
「家訓があってな。
「その
「そうや。うちは
何が言いたいんだろう。
「カネモになっても質素な暮らしを続けなあかん。カネがあるからて、高いモンばっかり
クソ真面目な顔で言う。より一層、可愛さが減少する。
しかし、なるほど。お金があるから高いものを買える状況だけど、そこで調子に乗りたくはないということか。その考え方は美しい。けれども、
「別にシャンプーくらいいいと思うぞ。なんなら俺が買ってやろうか?」
「余計なことせんでもええ。ウチは
「そりゃそうかもしんないけど、シャンプーくらい買わせてくれよ。だって白金くれるんだろ? 宿泊とアイス2個じゃ釣り合わないだろ」
「そんなこと言うて、ウチをどうしたいんや」
「まあ、髪の毛の匂いを百合香ちゃんみたいに良い匂いにしたい、かな。なんかフルーティーな香りにすれば、トオル君って人の心もちょっと変わるんじゃないか? 今のお前からは、全然良い匂いしないから」
髪の毛からは、何も匂いがしない。というか、全身から何も匂いがしない。悪いことではないが、ただでさえ顔が可愛くないのに無臭ってのは、フられた原因なんじゃないだろうか。
「おじさん、結構ズバズバ言うよな。ウチはええけど、他の女には嫌われるで?」
「大丈夫だ。お前を女と思ってないからズバズバ言ってるだけだから。そもそもお前を女と思ってるやつなんていないって」
刹那、顔面を殴打される。
「いって……。おい! 同じとこ殴んな!」
「あんまり調子乗ったらあかんでおじさん。言い過ぎや。泊めてやらんで?」
厳しい目つきで俺を上目遣いする田舎娘。
「そ、それだけはご勘弁を! マジで泊めてくれないと、本当にヤバいから!」
「なら言葉に気い付けや。ウチは女や、それを否定されたら不快に思うに決まってるやろ」
「……ズバズバ言ってもいいんじゃなかったのかよ」
ぼそぼそ呟く俺。
「なんか言うたか?」
「何も言ってない」
せっかくシャンプー買ってやろうと思ったのに。買う気を
(絶対こいつを女と思ってるやつなんていないって)
暗すぎる道は、まだまだ続いていく。
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