第75話 見たことあるやつがいた!

「おい!」


「ひょわっ」


 歩道にうつ伏せになった狂人は、まさかの


「なんやねん! 誰や? ……」


「俺だ」


 田舎娘だった。


「な、ななな」


「何でここにいるんだ! 訳分からんぞ!」

 

 800㎞離れた地に、俺のアパートの隣の一軒家に住む娘がいる。

 同じ地点で奇跡的な出くわし。

 時間は深夜一時すぎ。

 歩道にうつ伏せ。


「どうしてお前がここにいる! マジで意味不明だぞ!」


「そ、それはこっちのセリフや! なんでおんねん、おじさん!」


「深夜徘徊する条例違反田舎娘に言われたかねえ!」


「おじさんかて一緒やんけ! …………」


 冷たい風が吹く。深夜だから冷たい、湖から吹いた風、いろいろ考えても、なんか違う。とにかく冷たい風だ。


 そして田舎娘は起き上がる気配がない。普通、見知った人間に醜態を目撃されたら飛び跳ねて起き上がるはずなのに。


「で、そこで何してる」


「う、うるさいわ。言わんでもええやろ別に」


「言え!」


「言うか‼」


 しつこいな。蹴とばしてやりたい。


「じゃあ、どうして照れてるのか言え」


 田舎娘は、普段は照れるどころか木の肌のように無変化な色なのだ。が、今ここにいるこいつは、明らかに耳まで照れている。どうしてそう断言できるか、それは単に俺が懐中電灯で照らしているからだ。照射されるまばゆいホワイトライトは、桃色の、張りのある肌を浮き彫りにしている。


「そ、それこそ言えるかいな……」


 桃色度合いを増加させる田舎娘。


「まず起き上がれ」


「断る。ウチが何してるかも分からへんくせに」


「分かるわけないだろ! こんな深夜に歩道でうつ伏せだと? バカにしてんのか。まさか拾ってほしかったのか? 百合香ちゃんみたいに」


「アホ言うな! 逆や逆、誰からも遠いところに行きたかったんや。けんど湖行くバスがなかった。そんで代わりにここ来たんや」


 どんな主張だ。何一つ意味が分からない。


「何怒ってんだよ」


「おじさんのほうが百倍怒ってるやん」


「じゃあ俺は今から怒らない。その代わり立て。それくらいできるだろ」


 そう言うと田舎娘は黙って、やっぱり起き上がらない。


「ウチ、冷やしてんねん」


「冷やす? 何を」


「体全体や。頭、体、足、心、全部や。そうせなあかん理由あんねん。ふこうは聞かんとってくれ。お願いや。おじさん」


 田舎娘は、銀の金網の上でうつ伏せになっている。これじゃ塩焼きにされてる魚だ。みにくすぎるし、到底放置しておくのは無理。


「どんな困難があったか知らないが、いくつもの日々を超えてここまで生きてきたんだろ? きっと栄光が待っているさ。さあ立ち上がれ」


「なんか『柚子ゆず』モジってないか?」


「う、うるせえ! 頑張って変人を説得してることが分かんないのか?」


 田舎娘は、顔を銀の金網にうずめる。


(む、無視……だと?)


 どうすればいいんだ…………


 てか、なんでここにいる…………


 そもそも、本当にあの田舎娘なんだろうか。もうちょっとマトモだと思ってたのに。


 



 数分後。


「ホレ」


 俺は近場のコンビニに寄って、アイスを買ってきた。


「えっ」


「やる。食え」


「え、ええん?」


「頭も体も冷えるだろ。それに、金属は熱伝導性に優れるから、最初は冷たくてもすぐに体の温度と等しくなるんだよ。それに今は暑い。常に金属が温められている。どうだ、理にかなってるだろ?」


 うっ、とか言って、やっぱりうつ伏せになったままアイスを奪取しようとした。


「っと! 立ち上がらないと与えん!」


「くっ、あとちょっとやったんにっ」


 渋々、もう本当に渋々。例えるなら、土に接する発芽したての子葉がぐ、ぐ、と起き上がるように、ものすごく遅い速度で、やっと起き上がった。


「アイス溶けたぞ」


「は⁉」


「だから、お前が遅すぎるからアイスが溶けたんだよ。お前のせいだぞ」


「溶けたアイスはアイスやあらへんがな! なめとんのか! 買い直しや!」


 やたら声が上ずって、興奮している。やっぱり様子がおかしい。


「本当にどうしたんだよ。泣いてないか?」


「泣いてへん。絶対泣いてへん。これしきで泣くかいな。グスッ」


「泣いてるじゃねえか」


 鼻をすする音が、泣いた時特有のそれだ。悲哀のこもった鼻すすりは、泣いたときにしか出ないものだろう。


「もう一回アイス買いに行くから、訳を言え。さすがに『さよーなら』で済ませられる雰囲気じゃないことくらい分かるよな?」


「……」


 まあ、たかが田舎娘だし、別に「さよーなら」で済ませてもいいんだけど。


 そんなことより、こいつには一つ期待していることがある。それを実現するためには、ここで過剰に優しくしておく必要がある。「こんなに優しくしてやったんだから俺の願いの一つくらい聞けるよな?」、と、最終的にこう突き付ける魂胆だ。


「じゃあ俺、もう一回アイス買いに行くから。あ、金銭はいらないぞ。奢ってやるから」


「おじさん、カネモかいな」


「今はそれなりにな。何せ旅行中だ、それなりに持ってないといろいろ支障が出るもんでな」


「はっ。どうせアホみたいにバイトしたんやろ。接客とか無理そうやし、さては耶摩やまパンか?」


 こ、こいつ…………ドンピシャで言い当てた、だと?


「うっせえ。断じて違う。ファミレスとコンビニと居酒屋だ」


 そう言い残して、全速力で風を切る。


 目指せ、コンビニ!

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