第50話 ひっぱたき

「はいカットゥッ!」


 コミケで使っていた小さなイスの上に、沙夜さやがのしっと座っている今。


「あぁー、旨い! さすが好き同士、台本なしでも余裕だねー。見惚れちゃったよわたし」


 ビールを飲んだ直後のような未成年美少女が、悶えている。


「心からの愛、でもそれは叶わないの。一生彼のことを思い続けるなら、死を選んだほうがいい。そう思った彼女は、一人山奥のダムに身を投げた。ああ、彼女は悲劇のヒロイン! かわいそうな百合香っ」


 一人でノリノリになっている。コミケの椅子が痛そうにギシギシ音を立てる。



 不法侵入と不法風呂使用、そして青少年健全育成条例違反による罰として、俺は「軽く頬をはたく」と告げた。首謀者は沙夜だったため、沙夜のみに罰を課す予定だった。


 しかし、沙夜は「失恋をテーマにした演技のなかに、平手ひらてちを混ぜるなら」という奇怪な条件を提示。そして「百合香とわたし、どっちが失恋したっぽいか勝負するならOK」という、湿っぽい恋愛ソングに侵された恋愛脳、的な条件を提示。


 俺は反対したが、百合香ちゃんは静かに沙夜の腕に絡みついて賛同する意思を示した。百合香ちゃんに謝らないまま沙夜に奪われるくらいなら、とか思って、結局条件を呑んでしまった。



「演技じゃなかったんだが……」


「いやいやいや、そんなご謙遜を。すっごく悲しそうだったじゃん二人とも。なかなか見応えあるカオだった」


 両手の親指ををグッと立てられた。たいへんよくできました、てか。


 百合香ちゃんは冷蔵庫と食器棚の隙間にうまいことはまっている。隠れているつもりだろうけど、冷蔵庫も食器棚も白い。こげ茶色の髪の毛が目立っていて、カモフラージュに失敗している。


「峡介さん見て? 百合香がジャストフィットしてる」


 クスクス笑いながら、人差し指を指す。


「おいこら、百合香ちゃんがかわいそうだろ」


「でもすごくない? わたしデカいからあんなことできない」


 俯いたままこげ茶色の髪の毛を俺たちに向ける、傷ついた少女。沙夜は見苦しいことに、彼女を嘲笑った。


「次はわたしの番ね。絶対見てて百合香、わたしが峡介さんにひっぱたかれて振られるとこ」


 嬉々として言っている。沙夜は恋愛脳のなかでも、失恋志願系という特殊ジャンルらしい。あまり関わりたくない人種だ。


 もしかしたら沙夜は百合香ちゃんを慰めているのかもしれない。


 しかし、当の本人は俯いて、冷蔵庫と食器棚にプレスされている。


「その辺にしとけ恋愛脳。お前の特殊嗜癖なんか誰も理解できない」


「え、違うよ」


 きょとんとした丸い目で言う。


「お風呂で、二番のわたしが思いっきり振られるのを見たら安心して謝れるって、そう言われたからさ。なんか順番おかしくなっちゃったけど、まあいいでしょ」


「誰に」


「百合香。当たり前じゃん、お風呂に入ってたの百合香とわたしだけだったんだから」


 バカなの? と暗に言われた。年上を敬わない美少女だ、おしおきが必要かもしれない。


「あ、峡介さん見て! 百合香の顔が上がってる」


「本当か⁉」


 百合香ちゃんが顔を真っ赤にして目を潤ませていた。俺がはたいたせいもあるだろうけど、両方のほっぺたが同じくらい赤い。


「し、死にます! 明日死ぬんです! ……沙夜さんのバカッ」


「あたしも付いてくぅ。百合香と一緒に死にたいなぁ。あ、山より崖っぷちのほうがロマンティックじゃない? ドラマとかだと、死ぬ人は身投げするじゃん。峡介さんの思い出に浸りながら、二人で星になろうね。そしたらいつも峡介さんを上から監視できるよ?」


 冷蔵庫と食器棚の間にしゃがんだ沙夜は、百合香ちゃんのほっぺたを撫でる。


「私一人で死ぬんです! お兄さんに迷惑かけたから、私一人で! 邪魔しないでください!」


「わたしも峡介さんに迷惑かけるつもりだから大丈夫。ひっぱたかれただけじゃ足りないくらい迷惑かけるから、安心して?」


「嫌! お兄さんに迷惑かけていいのは私だけなんです! 他の女なんか…………オナペットです!」


「こら!」「ひっ」


 百合香ちゃんが妙な言葉を発したせいで、思わず怒ってしまった。


「オナペット…………」


「こ、こら!」


 沙夜までも! しかも顔を赤らめて、湿っぽく目を細めている。


「二番目は所詮オナペットなのね。無感情な手で思いっきりひっぱたいて、真剣なわたしの気持ちを粉砕するのね。つらいわ、わたしつらい。あんなに愛していたのに、あなたはわたしをオナペットにしか見ていなかったのね……」


「よ…………寄るな…………」


 手を胸の前に握り、物憂げな潤む瞳で、にじり寄ってくる。


「でもわたしはそれでもいい。あなたの欲を満たせただけで、わたしは満足よ。ううん、嘘。本当は心からわたしを見てほしかった。鳥かごになってくれたあなたに、小鳥わたしの鳴き声を真剣に聞いてほしかった。かごに囚われた哀れな小鳥オナペットの気持ち、一番近くで聞けるのは、かごのあなたよ」


 おもむろに俺の手を取って、持ち上げた沙夜。


 爆乳Gカップに、ゆっくりと引き寄せられる、拘束された俺の右手。


「最後に聞いて? わたしの鼓動。あなたをずっと愛してる、途切れることのないこの鼓動。直に触れさせてあげる。忘れられないように」


 まずい! でも正直言うと、さわ…………


 柔らかい弾力に、脊髄反射で指が微動する。


「聞こえる? 全身で聞いて? こんなにドキドキしてるの、あなたに。あと何秒後かに振られるの、頭では分かってるのに。こんなにも心はあなたに傾いて、いうことを聞いてくれないの」


 谷間モロ出しの薄っぺらい服。絹のような触り心地。やわらかいGカップの奥で、ドキドキと激しく鼓動する心臓。


「峡介さん……」


 甘い香りが鼻を刺す。沙夜の瞳にきらめく水滴が、拘束された俺の右手にぽたりと落ちる。


「峡介…………さん」


「百合香ちゃん助けてくれ! もう無理だ俺!」


 情けないことを口走って百合香ちゃんのほうに首を回す。


「はぁ、はぁ、はぁ、…………」


 そこには、おそらく冷蔵庫の熱で火照ったのであろう美少女がいた。うまくはまりこんでいる彼女は、肩で息をしながら、胸と下腹部をしきりにいじっている。冷蔵庫と食器棚に拘束されて身動き一つ取れない、華奢な体。


「お兄さん助けて……気持ち良すぎて、死んじゃいそう……」


 どうして百合香ちゃんは俺の前だと不健全になるんだろう。


「一番がそんなに大事? 最後くらい二番を見てよ」


「ごめんなさいお兄さん、悪い子でごめんなさい」


「わたしは泥棒猫。思いっきりひっぱたいて? でも最後の触れ合いだから、ちゃんと愛をこめて? お願い」


 これじゃまた俺が恥ずかしいままになってしまう。


 ここでひっぱたいたら、沙夜を快楽に溺れさせてしまう。


「ごめんっ」


 バシッ


「え⁉」




 軍配は、艶めかしく自分の体をもてあそぶ「プレッシングガール」に上がった。

 

 一瞬で気絶した彼女は、前にどろっと流れ出てきた。

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