第41話 灰

 黄色いカゴは、カン・ビン・ペットボトルを入れるためのもの。業者が翌日の回収日のために、何個も並べておくのだ。


 左から1つ目に、ペットボトルが多めに入ったカゴ。

 2つ目に、潰されたペットボトル二つと、カンの山が入ったカゴ。

 3つ目に、ビール缶が綺麗に整列されたカゴ。

 4つ目に、百合香ちゃんがスポッときれいに収まったカゴ。



 なんでこんなきれいに収まってるんだ。


 体育座りをした百合香ちゃんの足先とお尻との距離が、カゴの長い辺の長さと一致している。胸から下がカゴにすっぽり収まって、まるで小さな湯舟に浸かっているようだ。

 

「百合香ちゃん、こんばんは」


「……」


 前しか向かない百合香ちゃん。俺のほうを見向きもしない。


「俺のせいで、また捨てられちゃったな。本当、ごめんよ」


「……」


 俺とは真逆の方向に顔を逸らす。


「あの沙夜って子が仕掛けてきたんだ。って言っても無駄だろうけど」


「……」


「百合香ちゃんと二人でラーメン食べたかったよ、俺だって。あんな妙なのに絡まれるなんて思ってなくて」


「妙なのじゃなくて、可愛いの、ですよね。あの先輩、私より可愛かったです」


 顔を逸らしたままだが、口をきいてくれた。


「そんなことない、百合香ちゃんのほうが……」


「嘘です! デレデレしてたじゃないですか、あの女に!」


 先輩と呼んでいたのに、もう女と呼んでしまった。


「確かに私、背が低いし、胸がそんなにないし、わがままだし、すぐ泣くし、ゴミ捨て場に座るし、ダメダメです。お兄さんが別の女に目移りするのは、時間の問題でした。それに気づかなかった私は、バカです。ゴミです」


 ひねくれている。

 そっぽを向いて、髪の毛しか見えない。街灯が髪の毛を鈍く照らす。


「朝になったら、業者さんが私をゴミ処理場に持って行きます。いつか、お兄さんが使う椅子の材料になってたらなって…………」


 そこで、またひくひく泣き始める。百合香ちゃんはすぐ泣く子だ。


 学校でもよく泣いているんだろうか。それだと、嫌われそうだなぁ。

 

 こんな百合香ちゃんだけど、俺にとっては、分かり合いたいって思える人。分かり合えることでいえば、血縁関係の人間が最も分かり合える。しかし、分かり合いたいと思うのは、百合香ちゃんしかいない。


「こっち向かないのか?」


「向きません。ゴミだから、顔なんてありません」


 百合香ちゃんが俺を嫌いになっても、俺は百合香ちゃんが好きだ。

 好きといっても、恋愛対象とかじゃないけど。ずっと年下のJKに、恋心なんか抱けない。

 なんか、いつもそばにいてほしい人なんだ。拗ねてても怒ってても、互いの心が遠くに離れてしまうことは避けたい。遠くに離れると、何も見えなくなるから。


「こっち向いてくれないか?」


「嫌です。鞭でひっぱたかれても、向きません」


「俺のこと、嫌いになっちゃったのか?」


「嫌いです。そう言いましたよね」


「……本当に嫌いになっちゃったのか?」


 急に、百合香ちゃんの頭が下がる。


「嫌いです!」


「俺には、百合香ちゃんしかいないんだけど……嫌われたなら仕方ないな」


 カンやらペットボトルやらもある。ゴミを取りに、家に戻るか。


 

 きびすを返して家に戻る。



 玄関ドアを開けて、ペットボトルの入った箱を手に取った。

 

 その時、潰されたペットボトルの表面に、ぽつん、と何かが落ちた。


(ん? なんだろう)


 確かめようと思って近づく。


 そしたら、再びぽたぽたぽたっと、同じ何かがペットボトルに落ちた。


(……涙……)


 大学では、本当に何もかもが虚無だ。存在を認めることができるのは講義くらいで、それ以外の時間、俺はいてもいなくてもいい存在だ。誰にも俺に興味がないし、俺も誰にも興味がない。知らない存在ばかりで、それらの存在を知りたいとも思わない。


 この先、俺はすべての人間に認識されずに生きてゆく。そう思う日がある。

 死ぬ時はきっと、粉が風に吹き流されるように崩れ消える。そんなイメージが湧く日がある。

 

 人というものに認識されず、人というものを認識したくもない。


 それが俺だ。俺こそが、ゴミだ。百合香ちゃんはゴミ捨て場に座ってゴミになろうとしているが、俺はそんなことしなくても、いつでもゴミだ。まるで、空気中を漂うホコリみたいに。この巨大な空気中で、ホコリと一緒に浮かんでいる。


 もし、百合香ちゃんを失えば。


「百合香ちゃん」


 ペットボトルの入った箱をその場に落とし、玄関ドアを開ける。バァンと大きな音が鳴ったが、気にしない。ゴミ捨て場に向かって、裸足でひた走る。


「百合香ちゃん!」


「な、何ですかっ」


 ビクッとした百合香ちゃん。こっちを向いていた。


「俺は百合香ちゃんがいないとダメだ!」


「そ、そんなこと言っても騙さ……」


「お願いだ、出てきてくれ! 俺はもう、百合香ちゃんがいないと…………いないと…………」


 ゴミになる。


 なんて、言えない。


 百合香ちゃんは俺を、「拾ってくれた」だと思っているから。


「お、お兄さん…………泣いてますか?」


 俺は、泣いている。


 ペットボトルやカン・ビンと一緒に泣いている。


 ゴミたちと一緒に泣いている。


 ゴミ捨て場に四つん這いになり、見捨てられた子供の前で泣いている。


 ゴミ捨て場で、悲嘆に暮れている。


 ゴミになったことを、嘆いて


「ハッッ」


 ゴミ?


 俺はゴミ?


 投げ捨てられ、忌み嫌われ、微塵の心も持たず、ただ焼却され、気体になり、ホコリよりもずっと矮小な存在となり、空気中を無意味に分子運動し、人の体に当たっては跳ね返され、誰もいない虚空に飛ばされ、すべてにおいて忘却され、見分けがつかなくなり、無と化す。


 ゴミ。


「――」


 ゴミ。


「――」


 ゴミ。


「――」


 ゴミ。


「――」


 何か聞こえる。


「――」


 嫌だ。ゴミは嫌だ。


 家に戻ろう。早く家に戻ろう。


 一生家にいよう。

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