第39話 ラーメンを全部食べ切れなかった

「誰ですかこの人!」


 トイレから出て来た百合香ちゃんは、絶叫した。


「あ、ええと、その」


 俺の隣に、沙夜さやという美少女JKが座っている。もともと百合香ちゃんの席だったが、トイレに行っている間に奪われてしまったのだ。


「初めまして。わたし、今日から峡介さんのカノジョになった菫原すみれはら沙夜さやです。以後お見知りおきを」


 長椅子であることをいいことに、脚を絡ませ、首を触ってくる沙夜。


「どいてください! 私のお兄さん取らないでください!」


「あなたの彼氏、もうわたしが横取りしたんで。ね、峡介さん?」


「してない」


 大人の色気がたっぷりと含まれた肢体に絡みつかれて、脳髄が焼けそうなのだが。ラーメンの匂いがあふれていても、美少女の桜の匂いには及ばない。


「そんなこと言わないでよ、ダーリン。はい、たまご。あーん」


「ダーリンって言うな。あーん、ぱく」


 蓮華れんげにすくわれた煮卵を、食べてしまった。


「お兄さん! なんで食べたんですか、私の目の前で! この女のほうが良いんですか、私より!」


「ち、違う! 俺は百合香ちゃんのほうがずっといい。 おい恋愛脳、どいてくれ」


 逆に抱きつく沙夜。


(あ、胸がまた……)


「そんな固いこと言わないで。はい、メンマもあーん」


 箸でつままれたメンマを、


「あーん、ぱく。ハッ」


 ヤバっと思って百合香ちゃんを見ると、目がしぱしぱしていた。


「ごめん、ごめん百合香ちゃん。おいどけ!」


「えー。仕方ないな」


 衣擦れの音を残しながら、妖艶に離れる。

 すぐさま百合香ちゃんが俺の膝に乗る。


「えッ」


 驚いたのか、沙夜の目ん玉が飛び出る。


「お兄さんに他の女の匂いが付いちゃった。私の匂いを上塗りしますっ」


 店の中で、べたべたと百合香ちゃんがひっつきまわる。


「おい、ちょっと!」


 長椅子であることをいいことに、俺を押し倒して抱きしめる。


「嫌、お兄さんを取られるなんて嫌ですっ。お兄さんは私のものですっ」


 服の中に手を入れて、べたべた触りまくる。敏感な部分に何度も触れた指、声を押し殺すのにも必死だ。ラーメン屋で美少女に押し倒される日が来るなんて。


「うわ。わたし負けてる?」「負けたほうがええと思うで。ずるる……」


 恋愛脳と田舎娘が、どっちもヒいている。


「ちょっとお前ら、助けてくれ!」


「カノジョ持ちの男は無理だったかー」「ほらな、結局振られたやん」


 ずるずる、とラーメンをすする二人組。


「まだ匂いがいっぱい付いてる。お兄さん、どうして浮気したんですか? 私が、いるのに」


 まさかの、服の中に頭を突っ込んできた。制服着てるし、ヤバいんじゃないだろうか。


「ちょ、外でこんなことしたらヤバいって百合香ちゃん。離れて!」


「まだ匂いが…………きゃっ」


 これ以上はまずい。強制的に服の中から百合香ちゃんを引き出して、俺も座り直す。


「ふぅ……。やりすぎだぞ百合香ちゃん」


「お兄さんのバカ! やっぱり私なんて嫌いなんだ!」


 走り出す百合香ちゃん。


「きゃっ」


 それを、田舎娘が引き留めた。


「ラーメンには金かかっとんねん。食べてからにしぃや」


「……」


 先輩には逆らえないのか、大人しく俺の隣に座り直す。


「あ、あのさぁ……」


 沙夜が、気まずそうに百合香ちゃんに話しかける。


「ごめんね? そこまで好きだったなんて知らなくて」


「嫌いです……ずるずる……」


 完全に拗ねてしまった。まったく、扱いづらい子だ。


「あー、えと、あなたってよくゴミ捨て場にいるよね」


「いません。ずるずるっ」


「いるよ、学校の前のアパートのゴミ捨て場。あんなとこで何やってるの?」


「何もやってません。ずるずる」


 沙夜が俺に目配せしてきた。眉の歪み具合からして、どうしたらいいか分からないらしい。俺もどうしたらいいのかさっぱり分からない。


「あー、食った食った。沙夜は食うたか?」

「まだ半分も残ってるよ」

「ほなウチが食うたる。もう時間ないし」

「あ、ほんとだ。じゃあ一緒に食べて」

「よし」


 沙夜の器に入ったラーメンを、沙夜と田舎娘の二人で食べる。田舎娘の頭と沙夜のつむじが並んでいる。


(田舎娘、マジでちっせぇな。恋愛脳……沙夜ちゃんは、色っぽい)


 黒とダークブラウンの違いはさておき、髪質が全然違う。田舎娘のほうが圧倒的に一本一本の毛が太い。


「ずるずる、ずるずる。ずるずる、ずるずる」


 一つの器に入ったラーメンを二人のJKが同時に食べる光景。なんか背徳的。この田舎娘が、もし百合香ちゃんだったら……


「ずるずるずるずる」


 横から雑にラーメンをすする音が。


「百合香ちゃん、美味しい?」


「黙っててください。もう私、お兄さんなんか嫌いですから。ずるずるずるずる。それに、先輩に言われたから仕方なく食べてるだけですから。ずるずるずる」


 最悪だ。機嫌を直すのに時間がかかりそうだ。休みになったら、一日中一緒にいてあげないとダメだな。


「よっしゃ食べ終わった」「ふぅ。ほんとに遅刻しちゃう」


 先輩らは先に食べ終えた。半分の量を二人で食べたんだから当然だ。


「百合香ちゃん、遅刻してしまうぞ? あとは俺が……」

「話しかけないでください。全部私が食べますっ。ずるずるず……げっほげほ」

「ああああ、無理するから」


 背中をたたいてあげる。


「げっほげほ…………お兄さんなんか……げほ」

「しゃべらなくていい。それにほら、もう行ってしまったぞ先輩ら。あとは俺が食べとくから」

「ずるずるっ」


 俺に背中をさすられながら、全部食べ終わった百合香ちゃん。


「あっ」


 逃げるように走って、カウンター横の返却口に器を置く。そのまま、店を去ってしまった。


 残されたのは、俺だけ。店内に俺しかいない。


「おい若造」


「は、はい!」


 忘れていた。店長がいたことを。


「お前、女に囲まれ過ぎだ。羨ましいぜよ」


「す、すいません」


 相変わらず鬼面のような顔を向け、不快感をあらわにしている。怖いから俯いて、ラーメンをすする。


「何を呑気に食ってんだ。カノジョ追いかけろ!」


「あ、でもまだ全部食べてな……」


「やかましいわゴルアアアアアアアアアアアアアアアアア!」


「ひぃっ」


 ラーメンを机に置いたまま、店を逃げ出してしまった。

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