不思議な少女
目覚めた直後。私は猛ダッシュして階段を駆け下りた。そのまま目指すのは、先程調べた事務室。
腕のあの数字が意味するもの──あれはきっと、パソコンのパスワードだ。
直感で何の確証もなかったが、私は迷う事なくパソコンの電源スイッチを押した。
静かな起動音。画面が光るまで暫くかかって、パスワード入力画面が表示された途端、私は急いで右腕に書いてあった数字を打ち込んだ。
エンターキーを勢い任せに押すと、読み込み中を示す円盤が画面上で回り始める。
そして漸く、
「ビンゴッ!しゃっ!」
ログインに成功した。
画面には黒い壁紙と、ドット絵の砂時計が表示されている。
「えっと…………なにこれ。こっからどうすればいいの?」
ログインに成功したものの、その先どうすればいいのかが分からなかった私は、とりあえずマウスを動かし、画面のあらゆる場所をクリックした。
けれど、どこも反応する場所がない。
「………ちょっとー?どういうことー?」
私は焦りつつ、それでもひたすらに画面を睨んだ。画面の端では、砂時計が残り少ない砂をパラパラと落としている。
時間がない。
すると唐突に、画面の左上の端に文字が表示された。
それに気がついた私は、必死にその場所に目を凝らす。
白い小さな文字は“おt”から始まり、徐々に文章を形成していった。
そして最終的に、
“お疲れ様です。次は瑠璃川零花を呼んで下さい”
というメッセージに。
「るりかわ…………れいか…………?」
“瑠璃川零花”。
「だれ?」
一体誰の名前なのか、私には分からなかった。
記憶を探っても、どこにもそんな名前は思い当たらない。高校のクラスメイトにも、多分そんな名前の人間はいなかったはずだ。
けれど誰だっていい。これで一歩前進だ。
その大きな手がかりの予感に高揚しつつ、私はタイムリミットを迎えた。
◇
いつもの場所で目覚めた私は、館内をじっと見渡してから、
「瑠璃川零花さーん?」
その名前を呼んだ。声は静寂の中によく通った。
けれど返事はない。
私の声は谺にすらならず、近づいてくる足音もない。
まぁ誰もいないはずの図書館から返事が返ってくるのも怖いけど。
依然館内には沈黙が満ちている。
「え……………ちょっと、恥ずかしいんですけど」
けれどめげない。
私はその場でゆっくりと深呼吸。次は手でメガホンを作り、お腹から声を出すなんてマネをしてみようとした。
もう一度、今度は大声で呼びかけてみよう。
しかしその時だった。
突然なんの前触れもなく、その気配は現れ、背後から、
「はぁぁあああああーーーーい!!!!!」
「いやぁあっ!?」
無駄に大声を出そうとした反動で、それは特大の悲鳴に変わってしまった。慌てて振り返る。
するとそこに人がいた。椅子の背もたれを前にして、乗馬するみたく座っている。
今までずっとそこにいたかのように小首を傾げるその人物は、中学生と思しき女の子。
その少女は立ち上がると、私の元へてくてくと歩み寄ってきた。私は思わず逃げるように後ずさってしまう。
身長は私の目測で、140cm弱。真っ黒な瞳に、真っ黒な髪。黒いシュシュでツインテールを作り、黒い大きな縁の眼鏡をかけている。黒いセーラー服に黒いヘッドドレス。
夜道では目立ちにくそうな、全身ほぼ黒で固められたコーディネートだ。そのせいで黒いスカートから覗く脚の白が際立っている。
服は少しサイズが大きい。腕を目一杯伸ばしても、掌全体が晒される事はないだろう。
しかし胸元だけは少し窮屈そうに見えた。
「くっ…………」
出会い頭から劣等感覚えさせてくるその少女に、私はちょっと奥歯を噛んだ。
私が彼女を中学生と認識したのは、彼女の着ている制服が、私の母校のものと同じだったからだ。しかし流石にリボンまで黒くはなかったから、きっと彼女の趣味でそうしたのだろう。
その不気味な見た目と、何より溌剌とした声に怯んでしまい、私は呼吸を整えるのに精一杯だった。
私の身体は、ジリジリと近寄ってくる彼女と一定の距離を保ちつつ、未だ無意識に後ずさりをしている。
そんな私の顔を、むむっと怪訝そうな眼差しで覗き込んでくるその少女に、
「…………………あなた、何者なの?」
私は無理やり呼吸を整え、単刀直入に問うた。
それもそのはず。時間がない。
「レイカです!瑠璃川零花!」
すると、黒セーラーの少女は両手を正面で重ね合わせ、折り目正しく元気よくペコリと丁寧にお辞儀をした。そして早々に顔を上げると、屈託のない笑みで、
「名前で呼んでくださいね。理雨さん」
「………はぁ、そう」
その純粋な笑顔を見て、漸く私は落ち着いた。
なので多少落ち着いた声音で、
「いや、別に名前が聞きたかったわけじゃないんだけど………。あなたは何を知ってるの?」
しかし私の言葉に少女はムッと顔をしかめた。
「零花は零花です。それ以上でもそれ以下でもなく、紛れもなく純度百パーセントの零花です」
そう言う零花に、ならばと私は言い直す。
「………れ……零花は、何を知ってるの?」
すると零花は私との距離を、私の隙をついて詰めてきた。私はそれに驚いて、思わず尻餅をついてしまう。
零花はしゃがみこんで、私と同じ目線の高さになると、私にゆっくりと手を伸ばし、頭を優しく撫でてきた。
「…………ちょっと、何…………?」
その奇妙な状況に困惑していると、零花は次いで私を抱擁した。オーバーサイズのセーラー服が、床にへたり込んだままの私を優しく包み込む。
私は座り込んだまま無抵抗。立ち上がって抵抗しようにも、重心が動かせないから不可能だった。
すると零花は私の耳元で、優しい声音で、囁くように、
「零花は、全てを知っていますよ」
◇
「全てって?…………ありゃ」
私の問いは誰にも届かず、ただ目の前の硝子窓に吸い込まれていった。
時刻は二十一時ジャスト。目の前には雨夜の景色。いつも通り、時間が巻き戻っている。
会話は途中で、強制タイムリープにぶった切られたらしい。
「はぁ……………」
私は溜息を吐いた。
しかし、こんな事にいちいち腹を立てていても仕方がない。
公衆電話か。そう心の中で突っ込んで、すぐに切り替える。今日日公衆電話も懐かしい気がするなぁ。
私は勉強机を背に、吹き抜けの方へ向かって、間髪入れずに呼びかけた。
どこにいるか分からない零花を呼ぶため。
「零花ーー!」
しかし変化はない。私の呼びかけは、壁に詰め込まれた蔵書に吸い込まれていった。
「あの…………聞いてるー?」
そして五秒ほど経過。
するとまたしても気配は突如現れた。
「はぁぁあああああーーーーーーーい!!」
「ひゃっ!?」
動画のコマをいくつかすっ飛ばすみたいに、急に視界に出現した少女は、先程同様元気溌剌だった。
今度は目の前の椅子に、またも乗馬するように跨っている。
私は跳ね上がった鼓動を、深呼吸で落ち着かせつつ、さっきの会話の続きを切り出した。
「………全てって?」
全てとは、本当に全てだろうか。私が知りたい事を、本当に全て知っているのだろうか。
「……………………はい?」
しかし零花は、人差し指を顎に当てると思案顔になった。
その表情は恐ろしい程に混じり気のないものだ。薄明かりに照らされた純粋無垢なその表情は、たぶん演技ではない。
もしやこの子は、私に会った事を知らないのだろうか?
だとすれば、この少女はタイムリープしていない事になる。
だが、それが分かったところで私に何かが出来るわけでもなく。せいぜい会話の内容を教えてやるくらいが関の山なのだろう。
「さっき、タイムリープ前に会話して、零花は『全てを知ってる』って言ったんだよ」
零花はそれだけで得心がいったようで、手をぽんとついた。
「あぁ、そういうことですね。………えへへ、すみません。たぶん時間の事考えずに話してました」
そう申し訳なさげに言っている零花だったが、私がちらっと机にあるアナログ時計を確認すると、もう残りは十五秒程になっていた。
私は急かすように言った。
「………あの、もう時間がないんだけど」
「あぁ、ホントですね」
けれど対照的に、零花は落ち着いた様子だ。
「ちょっと、これじゃ一向に話が進まないよ…………」
今度は少し声を張った。また会話を切られたら、零花にまた一から説明しなければならない。
そんなの、効率が悪いにも程がある。
「ねぇ、聞いてる?」
だが零花は依然悠々としていて、なぜか黙って、硝子越しの雨空を見上げている。
その姿を見てやはり焦ってしまう私は、もう何でもいいから沈黙だけは避けたい。そう思い、
「ちょっと零──」
「これで大丈夫です!」
零花は突如として、私の言葉を遮った。
「え……………………?」
ビシッと向けられたサムズアップに、私はぽかんと口を開けたままになってしまう。
急に黙ったと思ったら急に喋り出して、しかもそれは脈絡のない言葉だったから、私のこの反応は至極当然のものだ。
「………………何が……?」
そう恐る恐る問う。
それににっこりと微笑んでから、零花は机にある時計を手に取って、私に手渡してきた。
「どうぞ」
「へ?」
私は零花の行動に頓狂な声を出してしまった。
「針を見てください」
未だぽかんと呆けている私に、零花の指示。私は素直に従った。
「………………え、嘘…………」
時計を見てようやく理解した。
時計の針は二十一時〇分、五十五秒を指している。
──五十五秒を、指したままだった。
◇
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます