第2章
プロローグ2
雨は静けさを優しく満たし始めた。
雨粒が触れた部分は、次第に色が濃くなっていく。校舎や図書館の壁、校庭の土や砂、私と彼の髪や制服、それに青々と茂る木々や草花さえも、雨が触れればその色は不鮮明に、深く深く滲んでいく。
雨の色の染められていく。
「お……降ってきた」
彼は少し慌てながら鞄をガサゴソと漁り、やがて紺色の折り畳み傘を出した。
「佐藤、これ使うか?」
たぶん、手ぶらだった私を気遣ってくれたのだと思う。話題が逸れた事に私は内心安堵した。
「俺、別に濡れても平気だから。貸すよ」
「ううん、大丈夫」
気遣いはありがたい。
けれど遠慮しておく。私が首を横に振ると、彼は差し出した手を下ろした。
「……………そうか」
「ありがと」
「………本当に大丈夫か?」
断ったものの、私の髪や制服がだんだんと雨に濡れていっているのも事実だった。彼もそれに気づいている。
だから引っ込めた手は所在無げに、少し迷うように揺れていた。
「大丈夫だって」
「でも傘持ってないんだろ?」
「まぁそうだけど。いいよ」
この気詰まりな気の使い合いは、どちらかが完全に引くことで終わる。だから私は平気だと笑ってみせた。
こういう場合、人の善意を素直に受け取るのも善意だったかもしれない。けれど私としても、一つしかない傘を私が使ったせいで、彼が雨に濡れるというのは釈然としないのだ。
濡れても平気、なんて優しい事を言ってくれているけれど、それは善意でそう言ってくれているだけだ。それを考慮せず、無遠慮に厚意を受け取る事はあまり好ましくない。
どうでもいい他人なら、別にどうでもいいのだから受け取れる厚意は受け取っておくし、友人やそれ以上の関係ならば、遠慮などせずその厚意はありがたく頂戴する。
けれど、彼との関係は分からない。曖昧模糊としていて、どこかぎこちない。
だから一瞬の沈黙が生まれてしまった。
その空白は、雨音でさえ満たしてはくれないから、私は咄嗟に図書館入口の庇の下に入って、雨を凌ぐ。大丈夫だと暗に示して、彼に早く傘を差すよう促した。
彼は少し戸惑っていたが、そんなのには御構いなしに、雨は彼のブレザーをぽつぽつと染めていく。
そして漸く、彼は傘を差した。
開かれた傘は限りなく黒に近い紺色。その色の片隅に描かれた暖色の水玉模様は、星が煌めく澄明な夜空を彷彿とさせた。
「じゃあ……気をつけてな」
「うん。練習がんば」
お互い、お互いの事はよく知らない。だから知らないなりの、妥当な挨拶だった。
雨を隔てて、控えめに手を振る。
彼が去った後、やがて私の視界に映る全てが、その雨色に染められていた。
それを背にして、私は図書館の扉を開く。
きっと、これが夜の訪れだった。
◆
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