状況を打破したければ行動あるのみ

「はッ────!!」


 気がつくと、またしても机の上にあるアナログ時計が二十一時丁度を指していた。鋭く伸びる長針と短針は、その現実を無理矢理私に突きつけてくる。

 私はそれを睨めつけ、


「あぁ、もう………………!」


 力任せに腕で時計を払った。手の甲に僅かに痛みが走る。

 床の絨毯が衝撃を吸収してくれたのか、時計はトテッと随分と柔らかな音で落ちた。それから何事もなかったかのように、その床からチクタクと不快な音を私に届けてくる。

 私はその音に抵抗するのを諦め、脱力した。椅子に全体重を預ける。


「はぁ…………………」


 もう何回目になるか分からない。二十一時も、溜息も。


 まさか、チクタクとかいう有名なオノマトペを大嫌いになる日が来るなんて、思いもしていなかった。人生何が起こるか分かったものではない。

 いや別に、もともと好きでも嫌いでもなかったからどうでもいいのだけれど、嫌いな物が増えるというのは、今までよりも世界が生きにくい場所になったと言って差し支えない。

 私は少々気落ちした。擬音嫌いになるとか、漫画が読めなくなる。


 と、割とどうでもいい心配ができる程度には、私の心にはゆとりがあった。

 ひとまず、状況の整理が出来たからだ。


 私は自身を訝しんだが、真上の天窓から入る僅かな明かりと、その奥の黒く厚い雲を見つめながら、その結論を無理やり飲み込む。


 どうやら、“時間が繰り返されている”という解釈で正しい。


 いわゆるタイムリープというやつだ。それも、一分というかなり短いスパンで起こるもの。

 私はその現象に巻き込まれている。

 一分経つと意識が飛んで、一分前に巻き戻っているのだから。まぁ、そう捉えるのが妥当だろう。


 この結論に至った時、いよいよ私の思考回路も終わったなと覚悟を決めかけたが、そんな私を肯定してくれたのは、皮肉にも床に転がっているあの忌々しいアナログ時計だ。

 二十一時。ずっと二十一時である。さっきから、私はあの時計の分針が動いた所を見ていない。


 「うそやんなんでやねん」と、別に芸人でもなんでもない私が呟いても、百均で売っていそうな安っぽい時計は、ただひたすら現実を刻むばかり。二十一時一分にならないのは、ひょっとしたらツッコミ待ちなのでは?と、オチをつける為の、私なりのウィットに富んだ配慮だったのだが、無視されるとやはり腹立たしいものがある。いや、物だから本当は無視も何もない。やっぱり私の思考回路終わっていた。


 などと、ふざけている場合ではない。


 厄介な事態になった。

 けれど、なぜこんな事態になったのか。今はそんな事は気にしていられない。

 どうすれば事態が好転するか。今はそれに思考を費やすべきである。


 大丈夫。突破口はきっとある。


 しかしその突破口は面倒な事に、当事者が行動を起こさなければ開かれないのだろう。無駄な事に時間を費やしたくはないが、この不可思議な“時間の檻”の攻略サイトが無い以上、私が頼れるのは、己の忍耐、努力、執念。

 受動的では停滞を生む。


 全く私向きではないと心底思ったけれど、しかし皮肉な事に、どれほど地道な作業を経て解放されたとしても、時間は一分しか消費されないのだ。

 時間面のコストパフォーマンスは悪くない。

 私はそうポジティブに置換した。


「ふぅ………………………」


 溜息をつき、冷静に、私はとりあえず既知の情報を頭の中で整理してみる事にした。



 ・場所は図書館。私の通う高校の持つ、二階建ての小さなものだ。

 ・現在時刻二十一時。つまり夜だ。だから今は閉館しているらしく、館内に人の気配はない。

 ・私は今現在、なんらかの超常現象に遭っており、一分毎に必ず館内二階の学習スペース目覚める。私はそこで、気がついたら椅子に腰掛けているのだ。

 ・目覚める時刻は決まって二十一時。

 ・私が一分間で行動出来るのは、この図書館内のみ。窓は全てはめ殺し。そして何故か出入り口は施錠されている。故に館外に出る事は困難を極める。



 そして、これらの情報を統合して得られる答えは、ただ一つ。

 “孤独”である。


「……………………………寂し」


 図書館は明かり窓のこそ多けれど、そこから入ってくるのは月明かりでも星明かりでもなく、外の電灯の淡い光や、町の中心部から届く微かな明かりを雨雲が反射させた余り物だ。哀愁漂いまくりである。


 いくら自称孤高の私でも、これは流石に応える。

 そんな私をよそに、天窓についた雨粒が仲良く何粒か集まって大きくなり、どこかに流れ落ちていった。


「次どうしよ………………」


 私はそれを眺めながら、またも深くを溜息を




           ◇




 溜息を吐こうとしたら丁度六十秒が経過したらしく、気がつくとくしゃみが出そうで出なかったみたいなむず痒さを気道に感じていた。もう慣れたはずなのに、これは地味にストレスが溜まる。


 私はおもむろに席を立ち、図書館中央を貫く螺旋階段を降り、一階へ向かった。


 思考は動きながらの方が働きやすいとか、なんかそんな話をどこかで聞いた事があるので、出入り口の前──吹き抜けロビーの辺りをぐるぐるうろちょろ動き回ってみる。


 けれどすぐに気が散った。視界に映るあらゆるものが思考を阻害してくるのだ。こんな危機的状況に、感覚が過敏になっているせいかもしれない。


 ロビーから上を見上げると、左右の壁は窓以外一面本棚で、それが天井まで続いている。天井付近なんて、本を一体どうやって取り出すのかは定かではないが、そんな本の壁は視覚的な圧力があり、私はそれに圧倒されてしまう。


 入り口正面にも十六架もの本棚が不気味に聳え立っており、ロビーと比べて薄暗く、そこに入ったら最後、遭難して出られそうにないから一度も近づいていない。


 かと言ってその本棚の地帯に背を向けると、そこには黒い鍵穴のついた硝子戸があるのだ。


 四面楚歌である。

 いや、硝子の屋根と白黒チェックの床を合わせれば六面だ。

 そして何より、時間の壁まであるとなると、八方塞がり一歩手前である。


 だが、見方を変えれば、それは脱出方法が一つは残されているという事。


 だからこそ、私はこうして自らの有する知性をフル活用しているわけである。

 万事休すが明白ならば、私は早々に諦める人間だから、私がこうして思考している時点で、私は未来に淡い希望を抱けていた。

 あっぱれ。すごいぞ私。希望の自給自足をしているなんて。




           ◇




「んなわけあるか!」


 私の時空を超えたノリツッコミが炸裂したのは二十一時丁度の事である。


 先程まで一階ロビーで状況打破の糸口をあれこれ考えていたはずの私は、今は図書館二階で呆けた顔をしていた。

 言わずもがな、途方にくれている。


 そりゃまぁ、私が卓越した頭脳を有しているのならば、いずれ打開策は見出せるだろうが、私は平凡以下のポンコツだ。そんな脳みそをフル活用した所で、現況がどうにかなるとは、正直…………。


「やめやめやめ!」


 と、絶望的な思考を振り払うように頭を振った。


 だめだ。こうも静まり返っていると、余計な希望的観測やその逆、今のような絶望的観測にまで思考が及んでしまう。

 私は壁にある本棚をじっと睨んだ。教養の聖域である図書館の静けさも、ここまで来ると考えものだ。

 だから私は、叫ぶことにした。

 大きく息を吸い、胸の内に溜まった気持ちを力任せに吐き出す。


「もう、どうなってんのぉぉおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


 虚しい事に、あまり声は響かなかった。慣れない事をしたせいで、ぜぇぜぇと息を切らしてしまい胸が苦しい。


 ただ、若干清々しい気持ちになったのは事実だった。

 だから私は調子に乗って、続けざまに歌う事にした。

 誰もいないんだし、気にする事もない。

 幼少期に見ていたアニメの主題歌。歌い出しと同時に立ち上がり、リズムに合わせて整頓された机の周りをスキップする。

 すると、なんだが気分が晴れて、楽しくなって、嬉しくなって、外から微かに届く雨音が、観衆が送ってくれる拍手ように聴こえ、まるでこの図書館が私だけのライブ会場みたいに感じられ、




           ◇




「ない!あほか私!」


 私は机に額を当て、目一杯の声で叫んだ。


「何やってんの私…………」


 スキップしたお陰で身体は少し温まっていた筈なのに、それはすっかりリセットされていた。

 一層の事、気分もリセットされていれば良かったのだが、生憎スキップ諸々無駄な行動を取った反動で、言い知れぬ虚無感と焦燥感、おまけに羞恥の気持ちが肥大化して胸の奥底に蟠っていた。


 それは無論、私の慎ましやかな胸に抑え込める程の大きさではないわけで。

 私は項垂れ、それを少しでも吐き出せればと大きく溜息を吐いた。


「はぁあああ……………………」


 “ない”という形容詞のように、たったそれだけで全てを引っ繰り返す、魔法の呪文がどこかに転がってないものだろうか。あれ、助動詞だっけ?


「知らんがな……」


 けれど、そんな事を“ない胸”に問うても答えが返ってくる訳もなく、だからこそ私はその疑問を、この図書館自体に向けなければいけいないのだろう。


「まじですか………………」


 決心する事は容易だ。だが、決心するとなると、それに付随して新たな不安が私の脳裏を過ぎる。

 もしも無駄な努力だったら?答えがもっと簡単なものだったら?もう既に手遅れだったら?


 無駄はしたくない。

 私は確実な最短ルートが欲しいから。だから闇雲に努力することが苦手だ。大切な時間を徒労に費やすなんて、愚行にも程がある。

 けれど、努力が何かしらの結果を生む事は理解しているのだ。こんな私の、私程度の人間の努力だって、たぶん何かを変えられる。

 そんな事は分かっていた。

 でも私は、私を信用していない。

 それ故に決心する事さえ避け、一番恐れていた停滞の現状にいるのだけど……。


「どうすればいいの、ほんと…………」


 私はまたも溜息を吐いた。


 こうも極限状態に追い込まれると、人は自分と向き合う事しか出来なくなるらしい。

 馬鹿と天才は紙一重と言うが、その決定的な紙一枚は、きっと自覚だろうと思う。自分を馬鹿だと自覚している奴こそ、私のような本物の馬鹿だ。

 だから大馬鹿者の私は今現在、こうして決心を余儀なくされている。


「やらなきゃなの………?」


 誰に問うわけでもなく呟く。


「やらなきゃですよね……」


 誰から答えを得たわけでもなく呟く。


「………………やりますよ」


 途方も無い道のりを想像しながらも、私は泣く泣く決心した。




           ◇

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