雨色の独り言
りう
プロローグ
今日は、一年の中で最も夜が短いらしい。
そんな夜が始まろうとしている二十時の空は、綺麗に隙間なく雲に覆われている。
今にも雨粒が零れ落ちてきそうな空模様。風はないのに、どこからか漂ってくる雨の香りが、この場に停滞していた生暖かい空気を押しやって私を歓迎してくれた。
校門から昇降口へと続く葉桜の並木道には私の靴音しか響いていない。周囲に人の気配はなく、静寂は私の息遣いさえも鮮明にした。
けれど構わない。
私は校舎には向かわず、昇降口の脇にある薄暗い渡り廊下へと進む。暫く歩いて、見えてきたのは目的地。
それは、外観の特徴などほぼない、二階建ての小さな箱だ。
白い外壁には無数の明かり窓があって、本来ならばそこから温かみのある光がぼんやりと漏れ出しているのだが、今はそれがなかった。窓の中はどこよりも暗く、中に誰もいない事が十分分かる。
もの寂しげなその建物は、新品の玩具に埃が被っているような、そんな哀愁に近い印象を与えてきた。
ここは学校図書館である。
私はその場で一度止まった。目の前の硝子戸を隔てた向こう側には、本棚の輪郭が薄っすらとだけ浮かんでいた。
──心の準備をする必要がある。
すると、
「…………あれ、佐藤?」
「へ?」
私は自分の名前を呼ばれて、思わず素っ頓狂な返事をしてしまった。
声のした方を向くと、先程私が通ってきた渡り廊下をこちらへと近づいてくる人影。ブレザーの制服に身を包み、片手には学生鞄を携えている。
間近まで来てやっと分かった。癖のある黒い髪と、少し焼けた肌。身長は男子生徒の平均くらいだと思う。男子にしては可愛らしいパチリとした二重瞼は、何となく私の印象にも残っていた。
クラスメイトだった。
「あぁ、どうも」
私は軽く会釈。
クラスメイトといっても、異性だからあまり会話はした事がない。
だから私は対応に困ってしまった。
しかしそれは彼も同じだったようで、そこで暫く気まずい沈黙が続いた。
すると、彼は所在なげな手で自身の髪を弄り始めた。
「………こんな時間に、どうしたんだ?」
「…………そっちこそ、どしたの?」
私は答えるのがなんだか気恥ずかしくて、質問で返してしまう。
「俺は…………隠れて部活の自主練、みたいな」
「部活?あぁ、弓道だっけ?」
「そう。試合近いし、今から道場行くとこ」
「そうなんだ」
「まぁ自主練っつっても、鈍らないように何回か弓引くだけなんだけどな」
「……頑張ってね」
「お……おう」
「……………………」
「…………………」
またしても沈黙が訪れて、私はたまらず、視線を雨雲に逸らした。
そして、何となくありきたりな話題を振ってみる。
「………降りそうだね」
そう言ってちらと彼の顔を覗くと、彼も同じように曇天を見上げていた。
「だな………」
しかし、すぐにはっと何かに気がついたように私の方を向いた。
彼と目が合い、私は咄嗟に俯く。
「あれ…………俺の質問、華麗にスルーされてなかった?」
「なんの事……?」
私はとぼけてみる。
しかし通用するわけもなく、彼は再度はっきりと問うてくる。
「佐藤は、こんなとこで何してんだよ?」
私は俯いたまま、溜息を吐いた。
まぁ嘘をつく理由もないし、誤魔化す理由もない。
だから私は正直に答えることにした。
「……………私は、最善が欲しいから」
そう呟いた時、ぽつりと雨が降り始めた。
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