第90話
「ああ。優斗くん。お疲れ様。綺麗に仕上がったね。」
父さんはヨロヨロと部屋から出てきたオレを見てにこやかに笑った。
正直、着物を着るだけでこんなに疲れるだなんて思いもしなかった。
マコトはよく、着物を着たいだなんて嬉々とした表情で言えたな。実際に着物を着てみたらオレと同じように疲れ切っているんじゃないだろうか。
「あれ。そう言えば、マコトは?マコトも着物を着るって言って先に入ったよね?」
父さんの側にはマコトの姿はない。
先に入ったはずのマコトはいったい今、どこにいるのだろうか。
「うん。マコトちゃんね。マコトちゃんは別室で試着しているみたいだよ。どの着物も素敵で迷っているみたいだよ。」
父さんはそう教えてくれた。
ふぅん。マコトでも女の子らしいところがあったんだな。
「美琴姉さんは?まだ、ここにいるの?っていうかなんでオレ着物に着替えさせられているの?」
ここに連れてこられて着替えさせられてからずっと気になっていたこと。
オレは、ここに美琴姉さんを探しに来たはずなのに、気づけばいつの間にかオレまで着物を着ることになっていた。そうして、肝心の美琴姉さんにはまだ会えていない。
本当にここに美琴姉さんがいるのか不安になってきた。
「そうだね。美琴ちゃんももうすぐ支度が終わるんじゃないかな?もう菊花亭も開店しているし、菊花亭に行って待ってようか。」
「え?いや、美琴姉さんのところに・・・。」
菊花亭に行って美琴姉さんを待っていようかとはどういうことだろうか。
父さんににこやかな笑みからは、父さんが何を考えているのかオレには判断がつかない。
「菊花亭の食事はとても美味しいんだよ。きっと優斗くんも気に入ると思うよ。」
「えっと。でも、美琴姉さんが・・・。」
「うんうん。そうだね。美琴ちゃんはとっても綺麗だろうね。他の男には見せたくないよね。わかるよ。でも、ここで待っていると邪魔になっちゃうから菊花亭に行って待ってようね。菊花亭で待っていれば美琴ちゃんもすぐに来ると思うよ。」
「え?でも、美琴姉さんはお祖父様と・・・。」
「うんうん。そうだね。お祖父様と一緒にいるよ。だから、安心して大丈夫だよ。変な虫なんてつかないから。ちゃんとに美琴ちゃんを大事にしているお祖父様が変な虫は追い払ってくれるから大丈夫だよ。だから、優斗くんは安心して菊花亭に行こうね。」
「え?え?」
「ほらほら。行くよ。」
戸惑うオレの背中を父さんに押されてオレは何が何だかわからないうちに菊花屋を出た。後ろからは「ありがとうございました。」という菊池さんのほがらかな声が聞こえてきた。
☆☆☆
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様でいらっしゃいますか?」
「はい。予約している日向です。」
「日向様ですね。お待ちしておりました。こちらにどうぞ。」
「あ、優斗くん。ここで履物を脱いでね。」
「あ、はい。」
父さんに言われるがまま草履を脱ぐ。
というか、予約ってなに?いつの間に予約したの?
いや、でもお祖父様の苗字も「日向」だから、もしかしてお祖父様の予約した席に案内されているとか?だから、父さんはオレを急かしたのだろうか。
美琴姉さんの婚約者候補が現れる前に、オレが先に部屋で待っていられるようにってことだろうか。
いや、でもよくドラマや漫画では、お見合いの最中に乱入してるよな。その逆パターンってのはあり得るのだろうか。
「ではこちらにどうぞ。」
「まだ、来ていないよね?」
「ええ。お連れ様はまだ来ておりませんよ。」
「うん。そっか。よかった。」
父さんはにこやかにお店の人と会話をしている。
オレだけ、ドキドキしている感じだ。
これから美琴姉さんとその婚約者候補の顔合わせの席に乱入するのだから。と、言ってもどうやらオレが待っている立場になるというちょっと変なシチュエーションになるわけだけど。
通された部屋は和室だった。部屋の窓からは日本庭園を見ることができる。
「さて、優斗くん。ここで座って待っていようか。」
10畳ほどの部屋には席が6席ほど用意されていた。
オレたちの他にあと4人くるということだろうか。いや、違う。オレたちは数に数えられていないはずだから、あと6人くるのか。
ん?随分席数が多くないか。気のせいかな。お見合いの席なんて初めてだからよくわからないや。
「ほら。座って優斗くん。落ち着かないのもわかるけどね。さあ、座って深呼吸をしようじゃないか。そんなに緊張していたら口から心臓が飛び出てしまうよ。」
「あ、ああ。」
オレは父さんに言われるがまま父さんの隣に座った。
スーハースーハ―と息を整える。
なんだか、とっても緊張してきたぞ。これから美琴姉さんと婚約者候補の顔合わせをぶち壊すんだから。緊張しないはずがない。
「ほら、リラックスリラックス。」
父さんはにこやかに笑いながらオレの背中を優しく撫でた。
「日向さん。お待たせいたしました。」
部屋の外から声がかかる。
声からすると若い男の人のようだ。美琴姉さんの婚約者候補だろうか。
だが、部屋と部屋の外は障子で仕切られているため姿はわからない。
ただ、人影は二つ見えた。もう一つの人影は華奢な女性のように見受けられる。
「うん。僕たちも今来たところだからそんなにかしこまらずに入っておいで。」
父さんはその声にのんびりと返答をして中に入るように促した。
「失礼します。」
言葉とともに障子がゆっくりと開けられる。
「あっ・・・。」
入ってきた男の人の顔を見て、オレはびっくりして声をあげてしまった。
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