第221話◇早朝




 早朝。

 ヤクモは、湖の側に建つ家の裏手で日課の鍛錬に勤しんでいた。


 頭の中では、アークトゥルスの話がぐるぐると巡っている。

 身体に染み込んだ動作は、意識が集中していなくとも普段と変わらず行われる。


「ヤクモ」


 声に振り返る。

 前髪の先から汗が伝い、地面に落ちた。


「おはよう、ラブ」


 立っていたのはラブラドライトだ。


「他都市でも鍛錬を欠かさないその真面目さが、君の地力を支えているのかな」


「身体ってのは現実的でさ、使わないでいると『要らない』と判断するんだ」


「あぁ、一度鍛えてついた筋力も、鍛錬を怠れば落ちると言うね」


「一日サボると、その遅れを取り戻すのに三日掛かるなんて言葉があってね。だから僕は、怖くてサボるなんて出来ないんだよ。才能は自分ではどうしようもないけど、意志は自分次第だ」


「なるほど」


 ラブラドライトは興味深そうに頷く。


 そんな彼は『光』の制服姿。その身体は衣装越しにも鍛えられているのが分かる。彼自身、鍛錬を怠るような人間ではない。既に済ませているのだろう。


 手拭いタオルで汗を拭いながら、ヤクモは尋ねる。


「……アークトゥルスさんのことかい?」


「分かってしまうかな」


 ラブラドライトが話しかけてくる時点で知れるというものだ。

 わざわざ早朝を選んだのも、他の者の目を気にしてのこと。


「君はどこまで聞いた?」


「彼女の目的を。君は?」


「現実を、少しばかり突きつけられた」


 ラブラドライトは自嘲するように斜め下に視線を落とす。

 彼とヤクモが聞いた話は、違うのかもしれない。


「現実?」


「あぁ、僕の目的は変わらないが、方法はもう少し考えなければならないと思わされたよ」


 彼が目指すのは、才無き者が捨てられない世界。


 《アヴァロン》はそれを実現している都市。


 だが、理想郷とはいかない。


 《カナン》が出来ていることで、《アヴァロン》には出来ていないこともあるのだから。

 世界が闇に閉ざされている中で、完全に正しい都市など存在しないのかもしれない。

 あるいは、太陽が在ったとて。


 だとすれば、どうすればいいのか。


「大会での優勝は」


「もちろん、譲るつもりはない。君の方はどうなんだ?」


「僕も、優勝の意志は変わらない」


 ラブラドライトが微かに笑ったように見えた。


「兄さーん」


 声が、上から。

 視線を家の二階に向けると、窓が開いていた。


 寝間着パジャマ姿の妹がひらひらと手を振っている。


「おはよう、アサヒ」


「おはようございます。今日も滴る汗がせくしーですね」


 目許を擦ってから、うっとりした表情で言う妹。

 いつも通りだ。


 理由は不明なのだが、その寝間着には頭巾フードが付いていた。夜用なのだから陽光避けというのも変な話だし、室内用なのだから防塵でもないだろう。用途が分からない。


 おまけに獣の耳のような突起が布で作られていて、求められる機能がまったく分からない。


 ただ、とても可愛いのは確かだった。


「ファッションというのは機能性とは切り離して考えるべき、らしい。アイリが言っていた」


 ヤクモの疑問に気付いたのか、ラブラドライトがぼそりと言う。


「そこの虹色の人、『馴れ合うつもりはない』とかキメ顔で言ってた割にはだいぶ兄さんに話しかけてませんか?」


「話があっただけだ。馴れ合いとは違う」


「話とは?」


「君には関係のないことだ」


「兄さんに関係あるなら、わたしにも関係あると思うんですけど」


 やはり五色大家という認識があるのか、ラブラドライトのアサヒやツキヒに対する態度は冷たい。

 自分の行いと関係ないところで嫌われては、アサヒもツキヒもいい気分ではないだろう。


 彼らの関係は良好とはいえなかった。

 どうしたものかと考えていたその時。


 ――――ッ。


 三人はすぐに気づく。


「アサヒ、すぐにみんなを起こして下りてきてくれ」


「はい」


 アサヒの行動は迅速。


「ヤクモ、これは」


「あぁ」


 戦意が、こちらに近づいていた。


 二人も家の表へ向かう。

 昨日の三組に加え、更に二組の騎士が近づいてきていた。


 既に全員が《偽紅鏡グリマー》を武器化させている。


「人を訪ねるにしては、時間帯が早すぎる」


 珍しいことに、ラブラドライトが冗談を言う。


「王への謁見に抜剣するっていうのも、無礼どころじゃあないね」


 ヤクモも乗った。


 切迫した空気を茶化すような言葉は、物事を冷静に捉えるため。

 動揺や焦燥を、言葉で制するのだ。


 中心に立つ騎士が二人を見る。

 昨日はいなかった、二十代後半程の男性だ。


「《カナン》からの客人だね。申し訳ないが、ご帰還願おう。手配は済ませてある」


「いきなりやってきて、他都市からの客人に武器をちらつかせるのはどうなんだ」


「これは失礼した。だがどうか許してほしい、油断するわけにはいかないのだ」


 丁寧だが、断固とした態度。

 敵意は感じないが、最悪の事態は想像した動き。


「ふぁあ、何事だ」


 あくび混じりに出てきたのは、細長い謎の生き物型の抱きまくらを抱えたアークトゥルス。


 彼女に続き、アサヒ、グラヴェル組、アイリ、ヴィヴィアン、モルガンも出てくる。


「お目覚めですか、アークトゥルス様」


「貴様の所為でな、ペリノア。他の者も、なんだ殺気立ちおって」


「貴方は《アヴァロン》を守護する為に存在する」


「貴様らも同じだろう」


「えぇ、ですが貴方はその責を果たすおつもりがないようだ」


「……また水の話か。しつこい奴らだ」


「このまま日照時間が短くなり続ければ、いずれ騎士の戦う力も失われましょう」


「魔石は手に入れる」


「どのように?」


「…………」


「方策はないのでしょう。考えるべきは貴方も我らも同じです。せめて手立てが浮かぶまでの間、必要な手段を講じるべきだと申しているのです」


「それで謀反か。《騎士王》相手に、大した度胸だ」


「それだけ状況は逼迫しているのですよ、アークトゥルス様」


「湖を売り物にすることは成らぬ」


「ならば貴方は、《アヴァロン》が守護者に相応しくない」


 ペリノアと呼ばれた騎士がヤクモ達を見る。


「安心したまえ。君達は無事に《カナン》に送り届けると約束しよう。さぁ、こちらに」


 都市内のいざこざに客人を巻き込むつもりはない、ということか。

 帰るまで待てなかったということは、彼らにとってそれだけ状況は逼迫しているものなのだろう。


 ヤクモ達の答えは――。

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