第220話◇我欲
「目的?」
首を傾げるアークトゥルスに、ヤクモは再度問う。
「アークトゥルスさんの、目指すところは何処ですか」
彼女は目許を歪めるも、今度はすぐに答えた。
「知れたこと。民が幸福に過ごせる都市の、維持に決まっておろう」
「……でも、湖の水を取引材料にはしないと仰ってましたよね」
「それは」
「水不足の都市相手であれば、魔石との取り引きも成立するのではないですか」
水がなければ、人は生きてはいけない。
だが壁に囲まれた城塞都市で暮らし、その外に出れば無窮の闇が広がる現状では、
そんな都市にとって、水の供給は神の恵みに等しい。
引き換えに魔石を求められたところで、断れないくらいに。
「……貴様も、あやつらと同じ考えというわけか」
円卓、黄金林檎、湖。様々な異名を関する騎士達。
帰還後に訪ねてきた彼らの提案を、アークトゥルスは突っぱねた。
「いいえ、大切な選択を、軽々しく決めたくないだけです」
睨みつけるような彼女の眼光を、ヤクモは真っ向から受け止める。
やがて。
「……貴様は、どうなのだ」
「僕、ですか」
「愛する者の幸福が為に戦う。素晴らしいな。貴様のことだ、自己犠牲という認識もないのだろう。心からそう望み、そう動いている。だからそれは、貴様自身の欲望で
誰かの為でもあるが、それ自体が自分の為。
アークトゥルスの指摘は正しい。
「そうですね」
ヤクモは素直に頷いた。
それを見たアークトゥルスは微かに笑う。
「貴様はミヤビの弟子とのことだが、奴の目的を知っているか」
「はい」
「実に奴らしい。一つの都市に縛られぬ流浪の剣士ならではの
「師匠は本気です」
「貴様も同じ思いか?」
「はい」
「この世に青空を、太陽を、月と星々を取り戻すと?」
アークトゥルスの言葉に馬鹿にする響きはない。
純粋に本気かどうかを問うているのだ。
「そうです」
「なぁ、ヤクモ。もし貴様がこの都市に移り住むことで、恒久的に家族の幸福が保証されるとしよう。訊くが、その時、貴様にはもう、大会で優勝する必要も太陽を奪還する理由も無くなるのではないか?」
「――――」
咄嗟に、答えることが出来なかった。
幼い頃、ヤクモや村の老人を守る為に、若い家族が身体を張り、次々に魔獣に食われた。
いよいよ守ってくれる者がいなくなったところでアサヒと出逢い、奇跡的に戦う術を得た。
ヤクモにとって、家族を守るというのは当たり前のことであると同時に、心からの願いでもあった。
命を守るだけでなく、人生を満たすことが出来るならば最上。
その手段を得た。大会で優勝するという条件つきで、それは叶う。
太陽を取り戻すことで、ヤマト民族を初めとする魔力的弱者を取り巻く差別意識を無くせる。
ならば。
アークトゥルスの仮定通りの現実は、飛びつくべき好条件だろう。
太陽奪還なんて途方もない目標よりも、移住はよほど楽だ。
その楽な選択肢で、家族が救える。
だというのに、咄嗟に答えることが出来なかったのだ。即答したっていい筈なのに。
そのことに、ヤクモは驚いた。
「家族を愛する心に偽りはないのだろう。だがな、愛する者の幸福とは別に、人は我欲を抱えるものなのだ。我が子の健やかな成長を願う親は、それ以外のことを考えるべきではないのか? 否、己自身の満足を求めることも許される筈だ」
アークトゥルスの言いたいことを、理解する。
「……湖の件は、アークトゥルスさんの我欲にかかわるものだと?」
《アヴァロン》を守りたいのも、民の幸福を望むのも本当。
だが、どうしても譲れない自分の願いも抱えている。
「貴様はどうだ、ヤクモ。貴様は、無欲な聖人か?」
魂に問いかけるような、アークトゥルスの言葉。
その時ヤクモの脳裏によぎったのは、これまでのことだった。
アサヒと同じく魔法を持たない《
最初に彼らと戦えたから、兄妹は赫焉に目覚めた。
幼い頃の負傷によって『必中』が日に六回限定となってしまった姉と組んでいたスペキュライト。回数制限を補うように工夫を凝らした多彩な攻撃と、弾数が尽きた後に見せた驚嘆すべき戦法。
嵐を操るコスモクロア組や氷結と爆破を自在に使い分けるラピス組、更には姉を守る為に努力し続け最強の名に相応しい実力を身に着けたツキヒ、そのパートナー・グラヴェル。
彼らに勝利し、兄妹は本戦に駒を進めた。
優勝する必要がなくなったとして、ヤクモが出場を辞退すればその戦いはどうなる?
本気で勝とうと試合に臨んだ彼ら彼女らの気持ちを、踏み越えて勝ったのに。
人の願いを踏み台に、己の願いへと進んで来たのに。
「貴様は太陽が見たいのか? 太陽があった方が都合がいいだけか?」
ミヤビは心の底から太陽を求めている。
『光』の第一位アルマースも、本物の陽光を浴びたい一心で領域守護者になった。
ヤクモは。
「どうなんだ」
これまでは深く考えることがなかった。
家族を幸福にすることが第一、それで充分。
けれど、果たしてそれだけがヤクモを駆り立てる全てか。
「……いいえ。僕はアサヒと優勝したいし、僕自身が太陽を見たいです」
自然と、言葉が出た。
遠峰夜雲にも、欲はある。
認めると、何故かスッキリした。
「そうか」
アークトゥルスは満足そうに、同時に少し悲しげに、笑う。
「アークトゥルスさん」
「あぁ、貴様にばかり語らせるわけにはいかんからな」
迷いを振り払うように、アークトゥルスが首を揺する。
そして言った。
「余の望みは約束の履行だ」
「約束……?」
「古い約束でな。どこから語ればよいか」
そして、これまで僅かずつ積もっていた疑問を解消するように。
アークトゥルスは過去を語り出す。
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