第179話◇黒衣

 


 通常、領域守護者は常に魔力防壁を展開しつつ戦う。個々人で展開することもあるが、仲間を含む一定空間に班員の誰かが防壁を張るということも多い。


 そうして敵との物理的接触を極力避けながら、魔法で魔獣を狩るわけだ。


 危険を排し、安全に勝利を収める。

 それに越したことは無い。


 だがその合理的な戦法は、ひとたび魔人が現れると用をなさない。


 魔人は容易く魔力防壁を破壊し、瞬きよりも早くこちらに迫り、その生命を奪うだけの力がある。


 《氷獄》ことラピスラズリ=アウェインは、セレナとの決着間際に駆けつけたあの日を除けば、班員として魔人と戦闘したことは無かった。


 今回の件にも死闘を覚悟して来たのだが――。


 若い女の魔人が翼を生やし、ラピスとスファレが担当する柱に向かって羽ばたく。

 彼女が空中に舞い出たタイミングで、ラピスは魔法を放った。


 地上から魔人のいる空間までを、全て氷結したのだ。

 一瞬の内に、目を瞠るほどに巨大な氷塊が出現。


 模擬太陽の光が無ければこんな大胆な魔法はそう使えない。魔力炉が働かない闇の中では、必然的に魔力の配分に気を遣わねばならないからだ。


 そして仮に使っても、回避なり破壊なりをされる可能性もある。

 リスクとリターンがつり合わないのだ。


 だが今は違う。


 魔力炉は活発に働き、逆に魔人は弱体化。

 敵と距離をとった状態で、魔法を放って討伐。


 魔獣にしか適応出来ない理想的な戦法が、この場に限ってはとることが出来るのだ。


「会長に功を譲るわ」


 ラピスが抑揚のない声で言うと、《金妃》スファレ=クライオフェンは優雅に微笑んだ。


「あら、ではお言葉に甘えることとしましょうか」


 棒を使って地面に一本の線を描くように。

 光が奔った。


 ジュッと、瞬間的に何かが溶けるような音の後。

 氷の獄に囚われていた魔人の頭部と腹部に、穴が穿たれていた。


 『光熱』魔法とでも言おうか。ユークレースに並ぶ神速の魔法である。


 扱いが非常に困難かつ、スファレの魔力出力の問題で必殺の一撃とまではいかないが、その速度と威力は絶大。


 大会予選でグラヴェル組とあたった時は、彼女達の鉄壁に等しい魔力防壁を崩せず敗北した。


 三位なのだ。弱いわけがない。


 今回はラピスが拘束し、敵がそこから脱するより先にスファレがトドメを刺すという形で大いに活躍していた。


「順調よね……」


「順調過ぎるくらいですわね。気持ちは分かりますわ」


 人間というのは不思議なもので、事が上手く進み過ぎると不安になるものだ。


「ヤクモ達は大丈夫かしら」


「ラピスは共に戦いたがっていましたものね」


「……もらったものの少しでも、返したいだけよ」


 寒々しいと散々言われてきた己の髪や瞳の色を美しいと言ってくれた。


 自分達の為に怒り、奔走し、背中を押してくれた。


 ヤクモだけでなく、仲間達全員に言えることだが、味方でいてくれた。


 その恩を返したいという思いがある。


 皆の扶けとなることで恩に報いたいという思いが。


 その筆頭がヤクモで、確かに隣で戦いたかった。


 だが、作戦がここまで上手く嵌っていることを見るに、これで正しいのだろう。


 作戦成功よりも私情を優先したのでは本末転倒だ。扶けになりたいと願うあまり足を引っ張ったのでは意味がない。


《全隊員に通達。ローブ姿の魔人と思しき敵性個体が各柱に一体ずつ接近中。ローブによるものか『看破』が効果を発揮せず。ただこの動きは……》


 アルマースには珍しく、言葉が止まる。


 再開後に告げられた言葉は、あまりに不穏だった。


《注意してください。その四体は――闇の中と同等のパフォーマンスを発揮していると思われます》


 ◇


 『赤』の第一位ネイル=サードニクスは五色大家の者だ。


 赤と白混じりの毛髪、橙色の瞳。

 非実在型の《|偽紅鏡(グリマー)》を展開した彼女を学舎はこう呼ぶ。


 《抹消域》、と。


 彼女の扱う魔法は五色大家の者が持つに相応しい希少かつ強力なもの。


 『分解』だ。解体と言ってもいいかもしれない。


 この魔法に触れたものは問答無用で『その形となる以前のもの』に戻される。


 魔法であれば魔力に、魔力攻撃であってもやはり魔力に。


 術者の命令を受けていない魔力はただ空気に紛れて流されていく。

 彼女の前では、どのような魔法も無意味。


 ただし、その無敵の範囲は非常に狭い。


 自分を中心に小さな円を描ける程度。広さで言えば、三人の人間が入れるかどうか。


 極狭い範囲ではあるもの、それで魔法の価値が下がることはない。

 こちらから近づけば済む話。それに、扱える魔法は一つではなかった。


 それでもネイルは、可能ならばこの作戦を辞退したかった。


 サードニクスは代々都市内の平和を守護してきた家系だ。《カナン》の犯罪発生率は一部の都市外縁部を除き非常に低く保たれている。


 外敵から壁を守るだけが領域の守護ではないのだ。


 『白』は壁の外を、『青』は壁を、『赤』は壁の内を守る為の組織。


 役割が違う。


 だが《黎明騎士デイブレイカー》が失敗した都市奪還を遂行するという作戦というのは非常に注目度が高い。


 そしてネイルは五色大家の者だ。《|黎明騎士(デイブレイカー)》の活躍ばかりが持ち上げられる中、こういった機会は逃せないという思惑もあるのだろう。


 ネイルに断る選択肢は無かった。


 ――想像以上に簡単で助かったけれど。


 優秀であったり、本作戦遂行にあたって有用な者が集められていたこともあって、出発前に想像した暗中での魔人戦は起こっていない。


 柱を守るのも、ネイルにはそう難しいことではなかった。


 そんな時だ。


《注意してください。その四体は――闇の中と同等のパフォーマンスを発揮していると思われます》


 ――どういうこと?


 模擬太陽は燦々と輝いている。

 常闇の世界のような動きを実現出来るわけがない。


「――ッ!?」


 黒いローブに覆われて顔は見えない。

 ネイルに差し向けられた魔人は――『空間移動』持ちのようだった。


 ――セレナとかいうのが裏切ったわけじゃあないよね。


 ネイルは『分解』を常時展開している。

 絶対防御にして最高の迎撃。


「やっぱり」


 声が、あまりにも近い。


 ――嘘でしょ……!?


「戦うの見てた。自分を消さないように、スペースを残してるって思った」


 ネイルの『分解』は確かに、体表面から外側の全てに展開されているわけではない。技術的に不可能ではないが無意味に魔法の操作を難しくするだけだし、操作を誤れば自分の肉体を『分解』してしまう。そもそも酸素は必要だ。


 だから、自分と『分解』領域の間には確かに、ただの空気が広がっている空間が存在する。 


 そこへ。

 その、僅かな隙間へ。


 ローブ姿の敵は『空間移動』してきたのだ。

 スペースが足りず背中部分が分解され布や身体が散っているが、笑っている。


 ネイルは声も出せなかった。


 いかれた《抹消域》の攻略法の所為ではない。


 ローブの下の顔は少女のものだった。

 しかしおかしいのだ。


 笑っているのに、生気が感じられない。

 それだけではなく、ある筈のものが確認出来ないのである。


 ――こんな、こと……。


 角が生えていない。

 闇の中と同等のパフォーマンス?


 違う。

 太陽の光を浴びた優秀な『人間の戦士』だからこそ、このように動けたのだ。


 裏切り? いや――『操作』!?


「ぐりぐりぐりぐり」


 笑っている。


 笑いながら、ネイルの魔力炉を刃物でぐちゃぐちゃに掻き混ぜている。これが少女の《|偽紅鏡(グリマー)》なのだろうか。


 少なくとも敵の中に一体は、模擬太陽起動を想定していた者がいたのだ。


 この少女が身体を無理やり操られている可能性がある以上、殺すことも出来ない。

 魔人のように処分することが出来ない。


 この状況では、最悪の敵と言えた。


 ネイルの魔法が解けたことで、少女はネイルの身体をトンッと押した。

 勢いを殺すことも出来ず後退してしまう。


「ばいばい」


 少女が手を振っている。

 ネイルはすぐに足を踏み外し、壁内に向かって落下した。




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