第176話◇夜行
セレナは《エリュシオン》を奪った魔人を知っていた。
名をカエシウス。
魔人の多くは自身の生きた年数を語らない。
だが相対すれば分かる。凡愚には見分けがつかないだろうが、強者であれば一目瞭然。
正確な年数を割り出せる、というわけではない。計算ではないのだ。
存在の階層とでも言おうか、その領域に至るまでに費やした膨大な時を、強者は感じ取らずにはいられない。あるいはそれは、魔人にしか分からぬことなのかもしれないが。
カエシウスのことを《
幼子が多くの数を数えられないのと同じだ。己の理解を超えると、『多い』『大きい』などは分かっても、正確なところを表現出来ない。
そんな魔人相手に、人間の群れなぞが何を為せるというのだろう。
そういう風に、冷めた視線も残っている。
セレナは変わらずセレナのまま。
それでも健気に協力などしている。
何故か。
簡単だ。
興味がある。
それだけ。それだけで充分どころか、それだけが生きる原動力。
自分の欲しいものを得る。興味があることには手を出す。
命は一度切りだという。なら、その一度で望むことをやり切らなければもったいない。
己として生まれたならば、己として生き、己の望むまま動き、己として死なねば。
人間に比べれば死が遠い魔人であるが、それは毒でもあった。悠久の時は生き物を機能に貶める。ただ生きているだけの魔人を何体も見てきた。ただ生きているだけなのに、殺せないくらいに強い魔人。何にも興味を持てず、塗り潰された真っ暗闇を眺めるだけの永遠。
反吐が出る。
行き着く先が、あれなのか?
人間に勝利し、世界を夜で満たし、最強の種族として君臨した。
その結末が、退屈のあまり抜け殻になること? なってなお、生き続けること?
なんて、おぞましい。
セレナは魔人だ。
強さを求める、強さに惹かれる性質というものはどうしようもなく埋め込まれてしまっている。
それでも、それ以外の部分。『セレナ』の求めるものもまた持っているのだ。
美しきを愛で、楽しみこそを至上とする者。
それでいえば、ヤクモへの協力は極めて自分らしいと言えた。
彼は愛らしく、見ていて飽きない。かつて手元に置いていた
屈服させたいという思いが無いでも無い。
だがもうしばらく、いびつな共生関係を歩むの悪くない。
「乱心したか、セレナ」
声。
模擬太陽動力炉にて。
かつての人類であれば、機関室とでも呼んでいただろうか。
金属の管が所狭しと走り、バルブが点々と赤を見せる。各種計器が点滅なり針の揺れなどで何かを示すが、セレナにも詳しいことは分からない。
ただ、模擬太陽を起動する手順だけは知っていた。
幾つかのスイッチを入れ、最後に取っ手のついたレバーを押し上げる。
振り返ると、陰気な顔をした男の魔人が立っていた。
面識はあるが、名前は覚えていない。
カエシウスの配下だ。
「セレナ様じゃないの?」
「人間の走狗と成り下がった愚物に払う敬意など、持ち合わせていない」
「ねぇ、その年寄りみたいな言葉のセンス何? 難しい言葉を使っても、きみは老害共みたいに強くはなれないよ」
年を経て言葉遣いが変わる者は少なくない。
魔人もその傾向があった。
意識して若々しく在ろうという魔人もいるが、そちらの方が少数派。
男は逆だった。
セレナとそう変わらない年数しか生きていない癖に気取った口を利くのは、
セレナの指摘に、男は不快げに眉を顰める。
「カエシウス様を愚弄するか」
「や、逆にどうしたら家泥棒を尊敬出来るわけ? 頭とか大丈夫? 大丈夫じゃないから、そんな有り様なんだろうけど」
「……ッ。貴様はどうなのだ。溝鼠がいかにして侵入を果たしたかと思えば、裏切りの魔人とはな。なるほど『空間移動』であれば防ぎようがない。だがセレナ、理解に苦しむぞ。人間どもに取り入って何とする。
「そのナイトウォーカーってのも寒いよ。別に魔人が可愛いとも思わないけどね」
魔人、という呼称は元々人間側が勝手につけたものだ。
人の形をした、魔のもの。
酷い言い草だが、広く浸透した。
魔人達も角の生えていない方の人と己を分けるため、それを積極的に利用したのだ。
それを不快に思う者もおり、魔人を表す言葉は実のところ数多く生まれた。
「セレナはね、同族意識? そういうのってないんだ。ヤクモくんと逆だねぇ」
彼は逆に、同族意識というものに強く縛られているように見える。
放って置いても早晩くたばるであろう老人共を助けに来た姿は記憶に新しい。
あぁいったものはヤマトの特徴ではあるが、同時に彼らが数を大きく減らすに至った弱点でもある。
しかしヤクモは、決して弱くない。
それどころかクリードを単騎で殺す程の実力者。
脆いはずなのに、崩れない剣士。
「……何を言っている」
「それより、この都市はセレナのなんだって。持ち主が帰ってきたんだから、出ていかないの?」
「管理すらままならぬ都市の運営をカエシウス様が代わっただけのこととはいえ、既に此処は我らが領地だ。我らが
「盗人猛々しいなぁ、なぁんて。ヤマト風に言ってみちゃったりして」
「ヤマト? 何故夜鴉めいた言い回しを……」
「あのさ、いつまでお喋りするつもりなのかな? 地上では太陽がギラギラ輝いてるんだよ? きみはそれを消す為に来たんじゃないの?」
「……そのつもりだ」
魔人が魔力を熾そうとした、その瞬間。
「ねぇ、どうしたの? レバーを下ろすとか、いっそ壊しちゃうとか。しないの?」
「……き、さま」
セレナは笑う。意地悪く笑う。
「出来ないの? えーなんでだろ。此処は地下で、周囲は暗くて、きみは魔人なのに!」
男の顔は土気色になっていた。
「なんと……卑怯な」
「……そういうとこが馬鹿みたいなんだって」
魔人は存外、絡め手を好まない。特に男の個体に顕著な性質で、戦いというと純粋に戦闘能力のみを比べるものを好む。
『戦い』ではなく『戦闘』を望むのだ。
勝つだけならば、そのような手段に訴えかける必要など無いというのに。
セレナの手のひらの上に、男の魔力炉があった。どくどくと、不気味に脈打っている。
魔力の収まっている空間ごと、セレナの手のひらの上に移動させたのだ。
「格好つけて、実体より自分を大きく見せて、存在しないルールを勝手に作る。いいよ、別に。勝手にすればさ。けど、セレナには関係ないから」
「セレナ……!」
「ばいばい」
ずちゅ、と可愛くない音が響く。
魔人の脳が彼の背後に落ちた音だった。
「……あー、この役目思ったよりつまらないなぁ」
模擬太陽が落ちないようにしばらくは此処を守らなければならない。
今の魔人のように、まずは太陽を落とそうと考える者は多いだろうから。
「ヤクモくんはどうなってるかなぁ。見に行っちゃおうかな~」
今更になって倒れた魔人の遺体は気にも掛けず、セレナは年若いサムライを想う。
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