九十二 質屋刀

 営んでいた質屋に浪人が刀を持ち込んできたことがあった。

 浪人は、こっちが聞きもしないのに己が仇持ちであることを話した。

「女を取り合って、とどのつまりが拙者が相手を斬って仇と狙われる身となった。それから十年経っても仇と呼ばわる者と巡り会うことなくこうして生きているということは、運がいいと言わねばならぬ」

 そう言って、相手の名前と藩名まで教えてくれた。

 この浪人は、同じような話をあちこちで喧伝していて、うちに刀を預けていることも、代わりに竹光を差していることまで明かして歩いていた。

「まるで仇にてめえの居場所を知らせて回って、いつでも討ってくださいと言っているようなもんだ」

 と、常連の男やもめが漏らすと、朝に鍋釜を預けて夕方に請け出すかかあ連中は、

「奪い合った女は一緒に逃げてくれなかったそうだよ」

「逃げてる間にできた女は先達て死んじまったって話だよ」

 そんなことまでしゃべってくれる。

 けれども、いつまで経っても浪人を仇と呼ぶ者は現れなかった。

 その浪人が、居酒屋に因縁をつける無頼の輩に喧嘩を売って刺されて死んだという話は、いつものかかあ連中が持ち込む前に聞こえてきた。それで、浪人から預かって蔵に寝かせたままの刀を改めて手にしたら、なんだか重く感じられた。

 その次の日に、今度は別の浪人がやってきて、腰の刀を鞘ごと抜いて私の目の前に突き出した。その場で私が目利きしていくらだと告げたら、

「家重代の刀だが、長く拙者の腰に…… いや、肩にのしかかっていたにしては、ずいぶん安かったんだな」

 ぽつりとこぼして、その顔をじっと見ていた私に気づくと、

「昨日、ならず者に喧嘩を売って刺されて死んだ奴が、拙者の仇でな」

 言い訳のように言って出ていった。誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない、と私はその浪人の背中を見送りながら思った。

 以後、その浪人も刀を請け出しにくることはなかったし、かかあ連中ももうそんな浪人どもの噂話を聞かせてくれることはなかった。

 質屋を畳んでからも、この二本の刀がいつまでも手許に残って、何だか私にも重くなってきた。

 誰ぞ、譲り受けてくれないか。

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