八十三 老滝

 修験者となって先達とともに山中を歩いていたら、滝に打たれる幽魂が目についた。

 兜金をかぶった修験者だったが、

「行くぞ」

 先達が言って先を歩くから私はあとに続いた。

 一日、ただ山中を歩き回って野に宿ってから先達が、

「おぬしには、ああした者が見えるようじゃが、見てはならぬ」

 そう言われるまでもなく、

「承知しております」

 と言っても向こうでこっちを捨ておかない。

 三日、山野を駆けてまたかの滝の前を通りかかったら、その滝に打たれている修験者が眼窩を黒く光らせて笑いかけた。

 私が気づかぬ態で行き過ぎたら、前を行く先達の足下がふらついて、支えた私に、

「わしとてうっかりできぬ」

 言ってその夜、

「あれは修行に熱心であったけれど、修行に勤しむ己に酔うてあの老滝に魅入られたあげくに滝壺に呑み込まれたのじゃ。呑まれて老滝の触手となって、新たな獲物を物色しておるというわけじゃから、くれぐれも心の隙を見せてはならぬぞ」

 と私の眼を見据えて語った。

「あの滝は、老滝と申しますか」

「そうじゃ。年を経た滝じゃ」

「あの滝が、化け物か何かということでございましょうか」

「滝ばかりではない。すべてに命が宿っていることを弁えねばならぬ」

 答えてまだ何か告げようとしながら先達は、

「しゃべりすぎるのも、修行の妨げ」

 己を戒めて口をつぐんだ。

 その先達が千日回峰行に挑むことを許されたおり、これで神通力が得られよう、と私に笑みを見せたが、行を終えても山から下りてこなかった。皆で山中を探索したけれど、先達の姿はいずこにも見られなかった。

 ふと思いついて私が老滝に行くと、一心に滝に打たれていた例の亡魂が一瞥をくれた。

 それを尻目に打ち落とす滝の水に逆らって登っていくと、途中、滝の裏に洞穴がわずかに口を開いてその奥に、先達が座していた。私が呼びかけたら、先達は両目をかっと見開いて、

「我が通力を見よ」

 全身から気を発した。

 たちまち洞穴の奥から激流があふれ出て私を押し流して滝から落とそうとしたけれど、そんなものに流されるほど我らは軟弱ではない。一向に流されぬ私を見て先達は、

「未だ通力備わらぬか」

 言って再び瞑目した。

 先達は今も老滝に囚われている。

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