七十一 針医

 針医の客は年寄りか、あるいは腰関節を痛めた者か、それとも臓腑のどこかが悪くなった者と相場が決まっているけれど、ときおり、霊を背負った患者が訪れる。

 たとえば、親兄弟の霊が背中に乗っていたらさりげなく墓参を勧める。

 この世に生まれることができなかった水子の霊を背負った女には、世間話のついでのように水子を供養する寺の話をする。供養もせずにいつまでも死んだ子の年を数えていると、腰の曲がった老婆になっても背中にしがみついていることもある。

 質の悪いのが、己に不幸をもたらしたと思ってそいつの背中に取り憑いている霊魂で、中でも互いに好き合っているはずなのに冷たくされたと思い込んでいる男の幽霊には手を焼いている。

 客として男に見せていた笑顔を、己に好意を寄せているからだと勝手に思って団子屋の看板娘に付け文をした男があった。こいつは手紙に返事のないのは娘が恥ずかしがっているからだと勝手に解して毎日団子を食いにきては何度も文を渡したあげく、祝言の約束までできていると吹聴していた。

 団子屋夫婦は困ってとにかく娘を店には出さないで、そいつにはっきり娘が拒んでいることを告げたけれども、そんなはずはないと言い張って、毎日団子屋を見張って娘の出かけるところを狙って問い詰めた。こうなったら娘もきっぱり拒絶して走って逃げた。それを追いかけ男は後ろから娘の肩を抱きしめて、

「約したとおりに一緒にならなかったら無理心中だ」

 男が言ったそれへ、往診の帰りに行き合わせた私が間に入って娘を逃がしたから、今度は私に因縁をつけて殴り掛かってきたところをかわしてよろけたふりをしながらそいつの肩を外してやった。捨て台詞を残して男はしばらく姿を見せなかったが十日ほどして買い物に出かけた娘に匕首を突きつけた。その匕首を避けて男の手首を持った娘ともみ合ううちに己の腹にそれが刺さって男は死んだ。

 お上のお調べはあったけれども娘に罪なく一件落着……

「その節はありがとうございました」

 団子屋の娘がことの顛末を語ってくれたのは、それから半月ほど経って背中や肩が重いから針を打ってほしいと来たときだった。

 俯せになった娘の背中を見ると、その娘の肩に両手をかけて背中に若い男の幽霊がしがみついている。

 幽霊になっても私が肩を外した奴の顔は忘れない。けれども、肩や背中が重いのは、例の男の幽霊がしがみついているからだと娘には明かせない。さんざんまとわりつかれて嫌な思いをさせられた男の霊魂がおのが背中に負ぶさっていると知ったら、娘は恐怖のどん底に突き落とされる。と言って、歪んだ思い込みに凝り固まった霊魂が、生半可な供養で成仏することはない。ましてやここで私が説き伏せるなど無駄の骨頂。

 娘には知られずこれを払い落とさねば、いずれ娘はこやつに取り殺される。

 私は娘を針で眠らせて、普段は遣わぬ霊針を取り出すと、その男の霊の不意をついて盆の窪に一刺し入れた。男の霊は娘の背中で苦しげにもがきはじめたけれど、それでも背中から離れない。続けて二の針三の針と急所に深く刺してもまだ失せぬ。のけぞって凌ぐ幽霊の眉間に七本目を刺してもまだそいつは消えなかったが、娘の背中からは離れて安堵したその隙に、そいつは私の背中に取り憑いて、

「お前のせいでおれはこんに不幸になった」

 と今も離れず囁いている。

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