五十三 河童酒

 私が下男として働いておりました家の隠居の古希の祝いに駆けつけた一人が持参した角樽の柄に、薄い緑色をした紐のようなものが引っかかっていましたから、それは何だ、と集まっていた者の一人が近づきましたら、不意に蛙が跳ねるようにそれは動きました。驚いて発したそいつの声に隠居も他の者も集まって、どうした、と問いましたら角樽を持ち上げて、

「実は、これを持って来る途中で尿意を催してな」

 と持参した者が一同を見回して話し始めました。

「それで、これを傍らの草むらの上に置いて用を足していたら、川の中から細長い水草のようなものが伸びてきて、その先が角樽の柄に絡みついたからとっさに抜き打ちにした。手応えはあったけれど何も起こらない。はじめは気の迷いかとも思って改めて角樽を見たら、こういうことになっていたのでこれを取り除こうとしたがどうやっても取れない」

 そう言って、今度は刀を抜いて皆に見せました刃には緑色の汁のようなものがこびりついています。

「これも、いくら拭っても取れぬ。出直してもよかったんだが、まあ、話の種にと思ってそのまま持参した次第だ」

 と言って刀を鞘に収めました。

「河童の手かもしれんな」

 面白がって言った隠居の言葉に妻女が気味悪がって、

「どこぞに捨てておしまいなさい」

 その一言で捨てられそうになったのを、

「中の酒がもったいない」

 と誰かが申しましたけれど、

「改めてお持ちいたします」

 持参した者が言いましたら、

「お前が捨てて来い」

 と隠居が言って、庭先におりました私にそれは渡されました。

 角樽の柄を掴んでおりましたのが肘から先の河童の右手だと私にはわかりましたので、客が帰って寝静まってから川端で河童を呼び出し角樽ごと返してやりましたら、河童どもはひどく喜んで何度も礼を言いました。

 ただ、河童の腕を斬り落とした者の行方が翌日から知れなくなって、その者の肘から先の右手が握った角樽を河童が礼だと言って私の住まいに持ってきましたのは、その三日後でした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る