特別編 第26話 あのね本当は……。 鷺宮友香 ACT 5

その日は、雨が降っていた。


乾いた街に雨の雫は潤いを与えてくれた。

庭の花たちも、久しぶりの雨になんとなく喜んでいるような気がする。


浩太はもうあの店に着いているんだろうか。

いつものようにスマホで漫画を読んで、私が来るのを待つ。

……それが、いつもの二人が待ち合わせで出会うまでの時間。

傘をさしてゆっくりと歩いて店に向かう。


足取りは重い。

次第に雨も強く降ってくるようになった。

また、躰のだるさを感じる。重い、全てが重く感じる。

本当は行きたくない。

本当は浩太と今は会いたくない。

本当は……。


でも行かないといけないんだ。

もってくれるかな。この躰。今日だけは何とか持ちこたえて。

ようやくあの喫茶店が見えてきた。


ゆっくりと、ゆっくりと重い足取りを進ませた。

店の前に来ると入り口の横に、今まで無かった棚が作られていた。

その棚の上に私が持ってきた白い花をつけたゼフィランサスが飾られていた。

「元気そうね」その子を見つめながらそう呟いた。


多分浩太はもう来ているだろう。

ドアを開け、店内に入りいつもの席のほうに目を配ると、いつもはいるはずの浩太の姿はまだなかった。


今日に限って……。


「いらっしゃい」マスターがやさしく声をかけてくれた。

「お花ちゃんと飾ってくださってるんですね。棚まで作ってもらって」

「うん、きれいな花だからね」

「ありがとうございます」

「いや、こちらこそ」

にっこりとほほ笑むマスターの顔がなんとなく愛おしい。


「ブレンドでいいかい」何気なくマスターは聞いてきたけど。

「すみません今日は……。お冷だけいただけますか」

本当は何かを注文しないといけないと思うんだけど、今日は躰が受け付けてくれなかった。

それもマスターは顔色一つ変えずに「はい、かしこまりました」と返した。


私の前に静かにお水の入ったグラスが置かれた。

「ありがとうございます」

「いえ、どういたしまして」

そのままマスターはカウンターへと背を向けた。


窓の外に目をやると、雨は小降りになっていた。

そう言えば浩太、実家に行っていたんだった。と、わざとらしく思いだしたように自分に言い聞かせた。

そんなことはもう知っている。

だって、昨日……浩太の部屋にある私の荷物はすべて持ち帰った。

今はもうあの部屋には私の痕跡は何もなくなってしまった。

浩太がいないことを知っているから。


浩太は私があの部屋で一人、自分の帰りを待っているものだと思っているのかもしれないね。

でもさ、少しは何か感じなよ……浩太。

どうしてわざわざ、ここで待ち合わせしているのかを。


就職の内定もらえたんだよね。

その報告もかねてしばらく帰っていなかった実家に、帰省していた浩太を呼び出した。

何か変だと感じなよ。……浩太。

でも無理か。

浩太にそんなことを求めたところで、そこまで気の利く人じゃないことくらい、自分が一番よく知っているじゃない。

そうだよね。


店のドアが開いた。

そこには、見慣れたいつものあの浩太の姿があった。


窓に打ち流れる雨の雫を見ているふりをしながら、浩太の姿を目にしていた。

「ごめん、遅くなった」

その言葉に反応したかのように見せかけ「ううん」とだけ呟く。

いつものようにブレンドを注文して、すっと私の顔を見つめている。


相変わらず外は雨が降っていた。

ただその雨の雫を目に映し眺めていた。

「どうかしたのか?」

浩太はそんな私に問いかける。


どうかしたのかって。うん、どうかしてしまったんだよ……私。

何も話すことができない。

次に口を開いたときに出る言葉はもう決まっているからだ。


ブレンド珈琲が浩太の目に置かれ、カップから立ち込める珈琲の香りが私のもとに届いたとき。

無意識のまま私の口は開いた。

まだ言いたくない。まだじゃない、絶対に言いたくはなかった。

だけど……その言葉は声になって浩太に届いてしまった。


「ねぇ私達、別れよっかぁ」


言ってしまった。


何を言われたのか、たぶん浩太は理解できないでいたのかもしれない。

まともに浩太の顔なんて見れない。

窓が曇ってきている。

雨はまだ降っている。


「今なんて言ったんだ?」

顔を窓の方に向けたまま「うん、別れよって」


わけがわからず、動揺しきっている浩太の様子が彼を見ずとも伝わってくる。

見れない浩太の顔を。見てしまったら、まだ揺らいでいる気持ちがだめになる。

辛いよ。悲しいよぉ! 苦しくて、苦しくて変になりそう。


一層のこと、冗談だよって。まだ間に合う。

――――――まだ間に合うよ友香。今なら今ならまだ間に合うんだよ!


でも駄目。

私のためじゃないんだ。浩太あなたを愛しているから、私は別れの道を選んだんだ。


「な、なんで……」


理由なんて言えない。

隣にほほ笑む死神が、私の頭に手を添えてほほ笑んでいるから。

そんなことは言えない。


怒りのような憎悪が浩太から感じられる。

一方的な言葉。一方過ぎる私の態度。

こんなことでもし、浩太があきれて私のことを切り捨ててくれるんだったら、私はどんなにか気持ちが楽になるのか。


嫌いになってよ。

私はこういう女なんだら、嫌いになってよ。


……それでいいから。


浩太の「なんで」という問いに

「……なんでだろうね。でも別れよう」

そうとしか言えない自分が、嫌だ。嫌いだ。


「ちょっと待てよ、なにがあったんだって言うんだ……友香」

浩太の声が、荒げたような声が私の耳に入る。


怖いよ浩太。……本当はあなたを失うのが怖いよ。

できることなら私を支えてほしい。

あなたにこれからも、この私を支えてほしい。もう折れかかった私のこの人生を支えてほしい。


「…………………ほ、ほかに好きな人……い、いるのか?」

ドキッとした。

そ、そんなんじゃないんだよ。誤解しないでよ浩太。


私はあなたが好きだからこうして、別れようとしているんだよ。

あなたに支えてほしいのは本音。でもあなたにこの私が大きな負担をせをわせるのはもっと許せない。

これは私の我儘なんだよ。


我儘、あなたの気持なんかこれっぽっちも考えていない、一方的な私の我儘。

死神に愛された私の一方的な我儘。


「何もないわよ、ただ別れたいだけ。部屋にある私の物は整理しておいたから。もう私のことなんか忘れて」


限界。もう、限界……目が熱い。

涙があふれてきている。

こんな顔最後に見せられない。


最後に……最後にもう一度だけ。

浩太の顔を見たかった。

でも私は彼の顔を見ることなく。


「さようなら……浩太」


と一言彼に向けて言い。席を立ちまるで逃げるように店を出た。

玄関先に置かれている真っ白な花をつけたゼフィランサスがふと目に入った。


『汚れなき愛』


私は私の一番大切な……想いをここに残して




………………浩太の前から。

その姿を、存在を消し去った。

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