第104話 One’s Hope  一つだけの願い ACT5

何かぽっかりと穴が開いたような感じがしている。


俺の事を忘れ去った繭。

俺だけをその記憶から消しさった。


「そっかぁ」

そうとしか言えないし、そうとしか思えなかった。


でもよかった。目を覚ましてくれて。ちゃんと話も出来るらしいし、後遺症も何もないんだったら、またあの繭に戻ってくれるんだろう。


俺はそれでいいと思った。

「なぁ友香、今さらだけど、お前ヤキモチ妬いたのか? だから繭から俺の事消したんだろう。まったくよう。でもそうならそれでいいよ。仕方ねぇじゃねぇか、今さらよう……」


空、高くなったなぁ。


都内とは違うよなぁ、隣なんだけど。そうただ隣なんでけど、こんなにも違うんだ。見上げる空も、抜ける風も。違うんだ。


居間のガラスサッシを開けると夏弥の誕生日のとき、バーベキューをやった中庭が広がる。その中庭を正面にして床に座り、足を外に放り投げるようにしてその空を眺めていた。


「なぁ浩太」と、姉貴が声をかけてきた。

「なんだよ姉貴」


「何でもないんだけどさ、浩太はさぁ昔っから優しい子だったよね」

「はぁ? 何言ってんだよ気味わりぃじゃねぇか。姉貴がそんなこと言うなんてよう」


バシッと頭を叩かれた。

「気味悪くて悪かったね」


「いてぇなぁ、今度はいきなり叩いて全く意味わかんねぇんだけど」

そう言いながらも俺は姉貴の方を見なかった。


「ほんと可愛くねぇ弟だよ」そう言いながら、俺の背中を姉貴は優しくその体で包み込んだ。


「後悔してるのか?」

「してねぇよ。今更」

「だったらなんでそんなに悄気げてるんだい」

「悄気げてなんていねぇし」


「あんたは間違っちゃいないよ。あんたのその気持ちも間違っちゃいないよ。でもさぁ、今は繭ちゃんにその想いを届ける時期じゃないんだと思う。まだあんたたちはお互いの思いを結ばせる時期じゃなかったんだよ。それでも信じていればきっとまたその思いを結ばせることが出来るよ」


「姉貴もバカなこと言うなよ。こんなおっさんが女子高校生をまともに相手に出来る訳がねぇだろ」


「そう言って、またあんたはその優しさで逃げようとするのかい。友香さんの時と同じように」


友香の時と同じように……。逃げるのか、逃げているのか俺は。


そうかもしれない。


またあの苦しみを繰り返すのか。

「……俺、俺の本当の気持ちは……」

「うん、その先は言わなくてもいいよ。だから信じてあげなよ。繭ちゃんのことを」


その時、俺のスマホが鳴り出した。

発信者は、マリナと表示されていた。


取るべきか、それともそのままにしておくべきか。

ほんの一瞬迷ったが、俺は電話を取った。


「ふぅ――ん、浩太やっぱり取ってくれたんだ」


「部長……」


「部長じゃないでしょ、マ・リ・ナって呼んでって、いつも言ってるでしょ」


いつもと変わらないその声に気持ちが落ち着いて来たのを感じている。開口一番に怒鳴られても致し方ないのに、彼女は何も変わらない。いや、変わっていなかった。


それでも俺は、マリナさんやオフィスの仲間たち、いや会社自体に多大な損害を科せていることには変わりはない。

それなのに……。


「すみません」最初に出た言葉だった。


「何が? 何が済みませんなの浩太?」


「み、美山専務の件。俺の一存で行った失態です。みんなに、会社に迷惑をかけてしまいました。俺の辞表ごときで済む問題じゃないことは十分に分かっています。ですが、俺の責任の取り方です。全ては俺が悪いんです」


「ふうぅ、あのさぁ浩太、ちょっと会えない? ううん来なさい。あなたには今回の事意外にも、責任を取ってもらわなきゃいけないことがあるの。だから浩太は私と会わないといけないの」


「今、これからですか?」


「うん、これから。会社には来づらいでしょ、外で会いましょ。駅に着いたら連絡ちょうだい。それじゃね」


「あ、あの……」


マリナさんは一方的に通話を切った。

少しの間呆然としていた。


でも「ううん来なさい」マリナさんのその言葉が俺を動かした。


優しさの中にある強さ。

そして……強さの中にある優しさを感じた。


「姉貴」

「なんだい?」

義兄にいさんのワイシャツとズボン貸してくれ」

「ああ、行ってきな……浩太」



俺はマリナさんと共にタクシーに乗車して、告げらていない目的地へ向かっていた。


「マリナさん、いったいどこに向かっているんですか?」

「浩太は気にすることないのよ。ただ私の隣にいてくれればそれでいいの」

「隣にって、いったい……」


俺は早朝、誰もいないところで、理由も言わずただ辞表を彼女のディスクの上に置いて、事を済ませようとした愚か者だ。普通ならば即座に連絡が来て、怒鳴られても致し方ない。もしくはあきれられて、ゴミの様に捨てられてもいいことを仕出かしたんだ。それなのに、マリナさんが連絡をよこしたのはあの電話一本だけだった。そんな俺に何も言わずただ、このタクシーに乗ってとばかり言い車は動き出した。正直顔を合わせるのも気まずいのが本音だ。


そんな彼女の手が俺の手を軽く握って来た。


そっと彼女の方に視線をやると、じっと俺の顔を見つめながら、にっこりとほほ笑んでいた。


どうしてあなたは、あんなことを仕出かした俺に、平然として向き合えるんだ。

だが、それが彼女であるんだ。


そして、これから向かう先は……多分、俺の罪を受ける場所であることはおのずと感じ取っていた。


都内某所にある料亭。そこでタクシーは止まった。


その料亭に入り、和服姿の女将らしき女性が奥へと続く廊下へといざなった。

「さぁこちらへ」

その廊下を歩き、ある部屋の前でその足は止まった。


「お連れ様ご到着なさいました」


女将が告げたのち、マリナさんは、障子の前で正座して

「雨宮です。遅くなりまして申し訳ありません」といい、その障子をゆっくりと開けた。


「お、ようやく来たか。先にやっていたぞ」


その声と共に俺の目に飛び込んできたのは村木部長。いや今は仙台支社の姿だった。


そしてその対面に座る男。

美山専務……

一瞬心臓がドキンと鼓動した。


気が付けば、隣にいるのは確かあの人は村木支社長の友人で、あの焼鳥屋の店主の確か熊沢さんと言う人だったと思う。

そしてもう一人、美山専務の横に座る見慣れない男性がいた。


マリナさんは部屋の中に入らずその場で正座をしたまま

「この度はこの山田が美山専務様に対し多大なるご迷惑をおかけいたしましたこと、上司としてお詫び申し上げます」


まことに申し訳ありませんでした。


マリナさんが頭を床に擦り付けるように深々と頭を下げ、土下座をした。


その姿を見て、俺も即座にマリナさんの横で、土下座をして謝罪した。


「なるほど、そう言う訳でしたか。何かあるとは思っていましたけどね」


美山専務は含みのある様な感じで言う。その言葉には俺に対する憎悪を感じさせるものだった。


「しかも武村さんまで引き合いに出すとは、君たちもやってくれますね」

「おや、何かトラブルですか? 美山専務」


「いやぁ、トラブルと言うほどのものでもないんですよ。ちょっと私の娘の件でね」


「娘? もしかして、梨積の娘さんの事か?」

「武村さんは繭の事をご存知でしたか?」


「知るも何も俺と梨積は七菱の同期だったんだよ。そうか繭ちゃんかぁもう大きくなったんだろうな。高校生くらいか?」


「ええ、まぁ……そ、そうですね」

美山の額に汗が一気に滲み出て来た。


いったいこれはどういう事なんだ。なぜ七菱と言う超大手の人がいるんだ。


「ほう、武村さんはこちらの会社の梨積元社長と七菱で御同期だったんですか。これはまた世間は狭いものですね」

村木支社長がニヤリとして言う。


「そう言えば村木さんあなた達も梨積の事はご存知でしたよね」

「ええ、よく存じ上げておりますよ。あの頃よく武村さんとやりあっていたころの話ですよね」


「ああ、懐かしいなぁ、俺と梨積が同期だったのは知らなかったのか?」

「ええ存じておりますよ、梨積さんは武村さんの片腕のような人でしたからね。その後独立をなさったんですね」


「そうだ、あの時は片腕をもがれた気分だったよ」


な、なんだこれは……。

いったい何がどうなっているんだ村木支社長と熊沢さんはいったい。そしてこの武村と言う人は何者なんだ。


そこにマリナさんのスマホに連絡が入った。


「はい、そうですか。わかりました。色々とありがとうございます。それでは後程」


マリナさんの表情が変わった。


「美山さん。繭ちゃんが全てを話してくれたそうです。今回の事を含め、今までの数々のあなた達が繭ちゃんに行ってきたことを」


「な、何のことなんだよ」

明らかに美山は動揺しきっている。


「美山君、実は話はこの村木さんを通じて訊かせてもらった。俺の大事な親友の娘になんてことを仕出かしてくれたんだ。俺がまだ若ければ今、ここでお前をぶん殴っていただろう。そう、そこにいる彼の様にな」


武村さんが怒りをあらわにしながら、今まで我慢していたのを解放した様に言い放った。


「な、何で武村さんまで」


「もう観念した方がいいんじゃないですか美山専務。すべてみんな知っているんですよ、あなたとあなたの奥さんである。梨積現社長が義理とはいえ、自分の娘に仕出かしてきたことを。それと、この山田があなたにした行為は暴力行為と言われても致し方ないだろう。しかし、あなたは彼女へその腫れた頬以上に深い傷を負わせてしまっていることを、自覚しなければいけない」


正直、今の村木支社長は本社で俺の上司あったあの頃を思い出させる姿だった。

俺は何かこみあげる熱い想いを、この胸にこみあげてくるのをぐっと抑え込んだ。


その時、聞き覚えのある声がした。


「遅くなってすみません」


ふと見上げるとそこで目にしたのは義兄さんの姿だった。


「美山さん、もう一度奥様ともども、お話しをお聞きしなければいけなくなりましたね。お車をご用意しております。ご同行願いますよ」


「義兄さん」


「うん、浩太君よく頑張ったよ。あと俺たちに任せてくれ」

「あ、ありがとうございます」


「ああ、それよりもやっぱり俺のサイズじゃぶかぶかだったな。ま、まだ公務中だからあとでな」

義兄さんは笑いながらそう言い、美山の腕をつかみ有無を言わさず彼を連れ去った。



「これでようやく終わったな。ひと段落じゃないか雨宮部長」



「ええ、そうですね。でもまだ終わっていませんけど。もう一つ、もっと重大な件が残っていますわよ」



山田浩太にちゃんと罪の贖罪をしてもらわないと。


だって、私の腹のムシが収まらないんだもん!!


ねぇ、浩太。

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