第103話 One’s Hope  一つだけの願い ACT4

さて、準備よしと。


荷物はもうまとめた。今まで大切に飾っていたフィギアたちは、オークションに出品したら意外と高値で売れた。


ゲームは……ま、最近あんまりやっていないから、と、全部処分するのはいささか気が引ける。積んでいた古いゲームは、正直こんなもんかと言う感じの金額だったけど、ま、積んでおくよりはまだいい。と言う感じで納得して処分した。手元に残っているの5本くらいだ。


こうして見るとこの部屋も意外と広かったんだなぁ。


何もなくなった部屋を見渡した。

そっと瞼を閉じると、あの懐かしい日々が蘇る。


まるでアルバムに残した写真の様に、そのページにいくつもの写真が浮かび上がる。


「……うん。そうだよな。たった3ヶ月だったけど、俺にとっては一生分の幸せを貰っていたんだよ」


……ありがとう。


ふと、隣と隔てる壁を見つめる。


その向こうにあるのは、この部屋の半部くらいの広さしかない部屋だということを、俺は知っている。


そしてそこに住んでいた住人の事も。


「……でも、もし私を力ずくで押し倒したときは私、舌噛んで死にますから」


そう言えば、彼奴と初めて会った時、そんなこと言っていたなぁ。


で、それから少ししてから、こんなエッチなゲームをやりながら「私とセックスしない?」なんていきなり言われた時は正直心揺れたな。ははは、そうだよ。


でも俺、あん時そう言う関係に持ち込まれると、体が拒否してたんだよな。

友香の事がまだ吹っ切れてなかったんだよ。


5年もの間、俺はずっと友香の事を背負ったままだったんだ。

それを解放してくれたのはお前だったんだよ。


やっぱお前ってすげぇよな。


あの「にヘラ」とした締まりのない顔を思い出すと、こっちまで「にヘラ」とした顔になってくる。


コンコンとドアを叩く音がした。その方を振り向くと。


「綺麗に片付いちゃったね」と、三和土のところから、部屋の奥を眺めるようにして言う、マリナさんの姿があった。


「雨宮部長」


「ご無沙汰ね。1か月ぶり位かなぁ」

「そうですね。でも俺がこの部屋に戻って来たのは2か月ぶりですけどね」


「どうしたんですか? 俺が今日ここにいる事良く分かりましたね」

「村木さんから教えてもらったんだぁ。それに私の事呼ぶときは名前でっていつも言っているでしょ。二人の時は……」


「でも……」


「でもじゃないよ。私の気持ちは全然変わっていないんだから、ううん、前よりもっとあなたの事愛してるんだよ。私も……、愛理ちゃんも」


「なんて俺、言葉返したらいいんでしょうね。マリナさん」


「あら、言葉なんかいらないわよ。それより、ここにあなたの赤ちゃん作ってくれたら嬉しいかなぁ」

お腹のあたりをさすりながら、にっこりとマリナさんは微笑んだ。


「今から種植え付ける? いいわよぉ」

「ちょっ、ちょっと、マリアさん。相変わらずだなぁ」


そんなことを言う俺に、マリナさんはそっと抱き着いて、耳元でこう囁いた。


「よく立ち直ったわね」


そして「ご褒美」と言って俺にキスをした。


そう俺はこの人のおかげで今がある。



繭が目を覚ましたのは、この病院に搬送されてから3日後だった。


だがその時俺は、傍で立ち会う事は出来なかった。

俺の元に二人のスーツ姿の男が来たからだ。


「山田浩太さんですね。警察の者ですが、美山朗みやまあきらさんの暴行の件についてお話をお聞きしたいのですが、署までご同行願いますでしょうか」


やはり……。


恐れていた訳ではなかった。多分美山の事だ、俺の事をそのまま放置しておくことはないと思っていたからだ。


「分かりました。従います」


その場で手錠でも嵌められるのかと思っていたが、そのまま俺はスーツ姿の刑事に車に乗せられ、警察へとその身を拘束された。


連れ立ち去る時に、ICUのガラス窓に映る繭の姿をちらっと、その目に入れた。

その時俺は、これが繭の姿を見るのが最後になるとは、思ってもいなかった。


美山は俺に殴られた事を警察に通報していた。

だが警察は状況的に俺の事情聴取をしてから、逮捕状を請求すかどうかを決めると始めに説明した。


よくあるドラマの様な雰囲気ではなかった。

ただ淡々とあの時の状況を俺は話をした。


ただ調書を取る刑事から一つ質問されたことが俺の胸に刺さった。


「高校生と同棲をしていたというのか?」


そのことについては、否定をした。

俺たちは同棲と言うものではなかったと、ただ、隣に住む高校生と生活上一部を共有していただけだと。性的な肉体関係も俺らには一切なかったと。


ただ仲のいいお隣さんだったにすぎないと……。


最後に美山は弁護士を通じ、俺が美山に謝罪をすれば不問にすると言う事を、伝えていたことを訊かされた。


「ま、ちゃんと謝って許してもらうのが、最良の道じゃないかな」


何となく軽い感じで言われ、俺はその日の夜、警察署を出ることが出来た。


それには駆けつけてくれた義兄にいさんの説明があったからだ。繭に対しては今、義兄さんの方で動いているらしい。


そして、繭が目覚めたことを、俺は義兄さんから告げられた。

幸い後遺症もなく、意識もかなりはっきりとしていて、話す事も出来るそうだ。


「よかった。本当に良かった」

俺の願いは通じてくれたんだと思った。


またいつもの繭に戻ってくれるんだという願いが……。


だが、義兄さんの口は重かった。

「なぁ浩太君、今晩はうちに来ないか。奈々枝も心配しているし、浩太君に会いたがっている」

「そうですか、迷惑ばかりおかけしてすみません」

俺はそう言って、その後何も言わず義兄さんの家へ一緒に向かった。


「おーい帰ったぞ」義兄さんがいつもの様に声を上げ玄関の戸を開けると、廊下で座り込んでいた姉貴が、俺の姿を見て泣きながら抱き着いてきた。


「浩太ぁ、浩太ぁ。あんたよく頑張ったよ。それによくやったよ」


その傍にいた夏弥が俺たちを見て言う。

「ねぇ、どうしてママ、浩太と抱っこして泣いているの?」


指を銜えながら言う夏弥を、ひょいと抱っこして義兄さんは言った。

「ああ、浩太はなぁ……スパーヒーローだからな」


「うん、そうだよ、浩太はスーパーヒーローなんだよ」

姉貴はそう言って強く俺を抱きしめ、そして……大声で泣いた。



そしてその後、俺はその涙の訳を知らされた。



医師が言うには、多分一過性の症状だと思われると。

脳への異常は認められない。後遺症も無い。


記憶も……。

実の両親の事、そして今まで受けていた義両親の虐待の事、繭の担任だった友香。鷺宮友香先生の事。そして福祉課の昭島学、奈々枝の事。自分が三軒茶屋のアパートで独り暮らしをしている事も。新しい学校で知り合った有菜の事、バイトしていた店の杜木村さんの事も、間接的ではあったが水瀬やマリナさんの事も覚えていた。


だけど……。自分が住むアパートの隣の住人の事は知らなかった。

その部分だけが繭の記憶から綺麗に抜け去っていた。


そう、俺の存在は……。


繭の中から消えていた。

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