第70話 再会 ACT2

男と言う生き物はなぜにこんなにも弱いんだろうか。


ここに来てから心臓の鼓動が高鳴り、この場所から今すぐにでも逃げ出したいという気持ちが幾度となく俺を襲っている。


友香がすぐそばにいる。


今まで、俺は友香の事を忘れようとしてきた。しかし、それは俺の本当の想いではなかった。


「忘れることなんか出来ねぇ」


未練がましいといわれようとも、女々しいといわれようとも。俺は友香の事を愛していた。いいや過去形で言う事はもう出来ない。今も愛している。

ずっと、俺は友香を愛し続けていた。

だから、生実の女を拒絶しだしたんだ。


一方的に別れを切り出された時、あの時俺はどうしてもっと必死に友香に食い下がらなかったんだろう。

連絡が付かない、親にも門前払いされた。ただそれだけじゃなかったのか。

友香がこの世から消えてしまった訳じゃないのに。


でも、……


「あ――煙草吸いてぇ!」


病院敷地内は禁煙。隠れて吸うことくらいいくらでもできそうだが、体はこのベンチから動こうとはしてくれなかった。


「さてとこれで良しと、今日は天気もいいしそんなに暑くもないから散歩にはもってこいだね」


友香さんを車いすに乗せ、私たち3人は浩太さんがいる中庭へと向かった。無論友香さんにはまだ、浩太さんが来ていることは言っていない。


「あれ、鷺宮さん。皆さんでこれからどちらへ?」


「秋島先生こんにちは。天気もいいしちょっと中庭まで散歩でも……、車いすに乗って散歩っていうのも変ですけどね」


「なはは、それは言いっこなしですよ。うん、いいんじゃないですか。今日はお友達もいらっしゃっているようですし、病室から抜け出すのもいいんじゃないですかねぇ。ところでこちらの可愛らしい方は、もしかして鷺宮さんの妹さんですか?」


「いいえ、私の大切な。そう大切な教え子です」


「そっかぁ、確か鷺宮さん教師なさってたんですよね。教え子かぁ。いいなぁ」

「いいでしょ」にっこりと友香さんは秋島先生にほほ笑んだ。


「それじゃ、無理しないようにね」


ファイルを抱え、私たちの前から立ち去ろうとした彼女は、踵を返し

「あ、そうだ! 今日の色は?」と聞いてきた。


友香さんは「んー白かなぁ」

「白かぁ、私と同じだ」


『思い人があなたを包み込む』


「お互い良き出会いがあるといいですね」

にっこりとほほ笑んで、秋島先生は立ち去った。


「なんかとても可愛い人ですね。本当に先生なんですか?」

「うんそうよ秋島まどか先生。心療内科の専門の先生よ。私もお世話になっているから仲がいいのよ」


思い人があなたを包み込む。


秋島先生が言っていたのは、もしかして色占いなのかなぁ。

だとしたら、本当に友香さんを浩太さんは包み込んでくれるんだろうか。

それとも……


外の日差しは今日はとても柔らかく感じた。

まるで友香さんと浩太さんを、優しく包み込んでくれるような気がする

少し離れた先に、中庭のベンチにうなだれるように座り込んでいる浩太さんの姿が見えて来た。


その彼の姿を友香さんは目にして、にっこりと笑ってこう言った。


「あなた達ほんと意地悪ね」


ゆっくりと、私たちは浩太さんの前に進んでいく。

そして浩太さんの所に辿り着いた時、友香さんはうなだれ、地面をただ眺めている浩太さんに話しかけた。



「久しぶりね……浩太」



顔を上げその声の方を見ると、5年前のあの友香の面影とはかけ離れた姿が俺の目を疑った。


「……友香」

「うん」


友香を前にして、俺は何も話す事が出来なかった。

「私ずいぶんと変わったでしょ」

「あ、いや……」

「いいのよ正直に言って、だってあれからもう5年と7か月になるんだもの」


5年と7か月。友香は、はっきりとその時の長さを言った。


俺にはもうそんなにもの時間が過ぎ去っていることすら、今は感じ取れないでいる。


「浩太は全然変わらないね。あ、少しおじさん臭くなったかな」

「おじさん臭いって! 俺はまだ27だぞ! まだ20代だ」

「そうだよね、でもさぁ、私もあなたと同い年なんだからね。そこ、重要よ!」


友香さんはすっと浩太さんの方に手を差し伸べた。

「隣に座ってもいい?」

浩太さんは友香さんの手を取り、自分の隣に座らせた。


友香の手の温もりが俺の手に伝わった。


この温もりを俺は、忘れようと必死に今までもがいていたんだ。

でも再び、俺の手に伝わったこの温もりは、そんなことを一瞬にしてどこかに消し飛ばしていった。


友香は俺の横に座り、青い空をスーと目に入れるように眺めた。


「始めに言っておくね。私、あと長くないんだ」


そのことについては、杜木村さんからそれとなく訊いていた。「長くない」その言葉を本人から訊いた時、本当に友香はもう死の淵にいるんだという事を実感している自分がいた。


「私ね、慢性骨髄性白血病まんせいこつずいはっけつびょうて言う厄介な死神にとらわれてしまったの。それが分かったのがあの時の少し前」


あの時とは……多分、友香が俺に一方的に別れを告げた時の事だろう。


「どうして俺に話してくれなかったんだ」


「うん、どうしてだろうね。あの時私全てを諦めちゃってたのかもしれない。あなたとの未来全てを」


ふと車いすの方を見ると、杜木村さんと繭の姿はこの場からいなくなっていた。

俺らに気を使ったんだろう。それにお互い取り乱すこともない事をあの二人は知っていたんだと思う。


「諦めた……か」


呟くように俺は行った。そして

「それは俺も同じだ」

友香はその言葉に何も返さなかった。


「俺は、お前をもっと追うべきだったんだ。それなのに俺は途中でお前を諦めてしまった。追う事も止め、お前の存在自体をこの俺の中から消し去ろうとした。だけど、それが大きな間違いだったんだと今俺は後悔をしている。俺の友香に対する想いはそんなものだったのかと、今になって呆れているよ」


「そっかぁ、それを言われたら私も同じだなぁ。私もほんと馬鹿だったて今さらながら後悔しているんだもん。辛かった……苦しかった。もう病気の事なんかどうでもいい位あなたの事を忘れることが辛かった」


「お互い様だったんだな。俺たちって」

「うふふ、そうね」


友香の手が俺に触れた。その手を俺はしっかりと握って

「俺、お前と会うのが怖かったんだ。もしかしたら俺取り乱してしまうかもしれねぇと思ってたよ」


「あら、それを言うなら私の方に向けて言う言葉じゃないのそれって」


「ん? お前取り乱したかったのか?」


「もう、浩太って相変わらずね。ちっとも優しくない!」

「まったく意味わかんねぇだけど」

俺たち二人は一緒に笑い合った。二人で一緒に……笑った。


「少し疲れたかなぁ」

「病室に戻るか」

俺は友香を支えながら車いすに座らせた。


ゆっくりと、車いすを動かしながら友香は一言呟いた。


「ねぇ、浩太。私の事嫌いになった?」

「ああ、嫌いになった」


「そっかぁ、それじゃもっと嫌いになってよ」

「ったく我儘なところは変わらねぇな。分かったよ。もっともっと嫌いになってやるよ」


「よかった。それじゃ、私の最後の日まで嫌いになってね。浩太」


「馬鹿、そんな日なんか来るもんか」



俺は友香に悟られない様に、ほほを伝わる涙をぬぐった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る