第53話 遠からずも俺の傍にいろ ACT1

水瀬は自分のマンションの方へと足を向けた。


繭と有菜ちゃんは一足先に俺たちと別れた。

今日繭は有菜ちゃんの家に泊まることに、急遽押し切られたからだ。


意外とあの有菜ちゃんと言う子は、周りをぐいぐいと引っ張る性格のようだ。


「あのさぁ、繭たん。今日さぁうち親いないじゃん、よかったらこのまま家に来ない?」

「え、でも制服とか私の所にあるんだけど」


「明日休みじゃん。明日の朝一緒に繭たんの所に行くよ。家に私一人いるのも寂しいし、なんかさぁ……このまま繭たんと別れたくないんだぁ」


別れたくないって、それってどういう意味も含んでいるんだろう。

後ろを振り向くと、浩太さんと水瀬さんが手を繋いでいた。


ふぅ―ん。いい雰囲気じゃない。

邪魔しちゃ悪いか。


「いいよ別に」

「ホントに? 本当に来てくれるの?」


「うん、いいけど逆にいいのかなぁ」

「大歓迎よ! ありがとう繭たん」

有菜が私に抱き着きながら喜んでいる。


「どうかしたか繭」

浩太さんが私たちの事を見て声をかけて来た。


「えーとね、これから有菜の家に行くことになったの」

「そうか、ここから遠いのか?」


「ううん、近いよ。こっから歩いても10分かからないくらいだよ」

「へぇ意外と近所だったんだな」


「そうなんですよ。私も今日初めて知ったんですけどね。だからこれからちょくちょくお邪魔させていただきま――す」


「あ、そうだ浩太さん。今晩は有菜の所に泊まるけど、朝ごはんは作りに行くから」

「別にゆっくりしていればいい。そんなに気を使わなくて大丈夫だ」


「ううん、私がそうしたいから」

「そうか分かった」


商店街の明かりが途切れ、ポツリポツリと灯される街灯。

アパートまではもうすぐそこだ。

住宅街の交差点で俺たちと繭たちは別れた。


「さぁていくか水瀬」

「ええ、でも今日は私、自分の所に真っすぐ帰りますよ」


「……そうか」


「何か期待しましたか? 先輩」

「いや、別に……」


「そうですかぁ、でも顔が少し赤いですよ」

「馬鹿、これはビールで酔っているからだ」

「ふぅーん」といながら水瀬は俺にキスをした。


「てへ!」

はにかみながら水瀬は俺の目をじっと見つめている。


「な、なんだよ」


「やっぱり照れてるんだ。先輩顔にすぐ出るから分かりやすくていいですね」

「変なところを褒めるなよ」


くるっと水瀬は向きを変えて「それじゃ」と一言きびすを返した。


部屋の前のドアに立ち鍵を入れようとした時、ふと自分の部屋に明かりが灯されていないことに、変な違和感を感じた。

毎日、俺はここに帰ってくると、必ず部屋に明かりが灯され、こうして鍵穴に鍵を入れることなくこの扉は開いた。


それが日常であり、俺の帰る場所であるという事がこの体に沁み付いているようだ。


ふっとため息が漏れた。


自らドアのかぎを開け、明かりのないこの部屋に入ることの寂しさが、虚しさに変わっていくような気がする。


繭と言う存在がこれほどまでにも、俺の体の中に沁み付いているとは思わなかった。


◇◇


「ここだよ繭たん」

庭付きのこじんまりとした2階建ての家。


玄関のかぎを開け、明かりが灯された。

「さぁどうぞ」

にっこりとしながら有菜が招いてくれた。


玄関に入ると柔らかい甘い香りがした。


玄関から通じる廊下を行くと、広めのダイニングに出た。大きな窓枠のサッシが外の庭を映し出している。


「あ、適当にそこらへんに座っていいから」

と、言われても、何となく窓辺にあるソファーには座る気分じゃなかった。


ソファーセットのテーブルの近くで、床に直接ぺたんと座り込んだ。

フローリングから伝わる冷たさが、少し火照った足にはちょうど良かった。


「そんなとこに座んなくてもソファーに座ればいいじゃん」

「うん、でもなんか気持ちいいんだ、この冷たさが」

「そっかぁ、それならいいんだけど、今飲み物準備するからちょっと待っててね」


「別にお構いなく」


この言葉は社交辞令なんだろう。

テレビドラマなんかでも良く聞く言葉だ。それを自分が言うのも何となく恥ずかしいところもある。


「でもさぁほんと今日はラッキーで楽しい一日、あ、午後からだからおまけも付けて半日にしておこうか」

「なにそれ、その半日って」

「だってさぁ、繭たんとこうして話し始めたのって学校の授業終わって、帰る寸前の時からじゃん。ホントまだ数時間くらいしかたっていないんだね」


「そう言えばそっかぁ。有菜が先生が呼んでいるって、伝えに来た時からだよね」


「そうそう、その時からだよなんだかずっと前の事みたいに感じるんだけど。ところでさぁ、先生の用事って何だったの?」


「……、特別大した用事じゃなかったけど。学校に馴れたかとかね」


「ふぅーん、そっかぁ。でもさぁ正直言うとね、繭たんが転校して来て初めて見た時、あ、この子可愛いって思ったんだよぉ」


「べ、別に可愛くなんかないよ」


「そうかなぁ、それで今日繭たんが一つ年上だって聞いてさらにびっくりしたよ」

「なはは、隠された真実が暴かれた瞬間て言う感じだった?」


「そうそう、でもほんと嬉しいよ。私繭たんとこうしてお友達にもなれたし。実を言うとさぁ、家に友達連れて来たの繭たんが初めてなんだぁ」


「そうなんだ……」

「驚かないの?」


「なんだか私たちってどこか似ているよね。私も友達家に連れて行くことなんかなかったし、行くこともなかったから」


「そっかぁ。どこか惹かれ合っていたんだよきっと」

カランとグラスの中で、氷がオレンジジュースに溶けていく。


有菜が私の横にぺたんと座った。

彼女の体が私の体に寄り添うように。


「私も……クラスの中でも友達って呼べる子誰もいなかった」

「でも有菜、よくみんなと話なんかしていたじゃない。ちゃんとクラスに溶け込んでいたように見えてたけどなぁ」


「それはさぁ、ただうまく合わせていただけだよ。そうでもしないと誰とも話できなくなっちゃうしさぁ」


有菜はそれから少し言葉を途切れさせて


「ある日さぁ、クラスの子に呼び出されてさぁ、行ってみたら知らないほかの学校の男子から告られて、半ば強制的に付き合う事になってさ、でも付き合ってみたら意外といい人だったんだけど、その人本当はただ私とセックスしたかっただけでさ、本命はちゃんといたんだよ。それを知って私が拒んだら、人が変わったように私をもの様に扱った……それっきり連絡ももう何もしていないけど」


私の心がきしんだ。


私の過去。私が忘れようとしても、その過去からは逃れることは出来ない。

有菜も心に傷を負っていたんだ。


「私……」有菜が何かを言いかけた時。私は彼女を強く抱きしめていた。


抱きしめられながら、有菜は私の瞳に自分の瞳を映し出し。



そっとキスをした。

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