第45話 悪夢 ACT3

「先輩! 先輩!」

水瀬の声がする。はっとして目が覚めた。


「大分うなされていましたけど大丈夫ですか? それに凄い汗ですよ」

「み、水瀬か?」

「そうですよ、水瀬です。先輩」


俺はいったい。

夢を見ていたのか。しかも彼奴の夢を……。


「落ち着きましたか先輩」

「ああ、なんとか。うっ!」

なんだ、またこの締め付けられるような胸の痛みは……。


うっ、あうっ……。

胃が絞られように底から押上らる様な感覚が襲う。


たまらず俺はトイレに駆け込んだ。

おえぇぇぇ!

吐きたいが何もまた出てこない。上がってくるのは苦い胃液だけだった。


全身に鳥肌がたつ、一気に襲う嫌悪感。

気が遠くなる。


あの時と一緒だ。繭に初めて抱き着かれた時とだ。

そしてはっきりと俺の頭の中に刻まれた友香のあの笑顔。

駄目だ……。俺はまだ友香を。


ゆっくりと深呼吸をして、何とか落ち着きを取り戻そうとするが、今回は中々落ち着かない。


「大丈夫ですか先輩!!」


水瀬の声が聞こえている。今にでも泣き出しそうな湿った、いや震えた声だ。

かろうじて、トイレから出て来た俺に、水瀬は後ろから抱き着いてきた。


「先輩、先輩、先輩」


俺の事を何度も呼びながら、抱きしめる力がだんだんと強くなっていくのが分かる。


「水瀬、もう大丈夫だ。心配かけてすまん」


「駄目です。大丈夫じゃないです、……私が大丈夫じゃないです。だ、誰ですか友香さんって、ずっとうなされながらその人の事を何度も何度も呼んでいました。いったい先輩の過去に何があったんですか」


「なにもねぇよ……」


「嘘ですこんなにうなされて、私心配なんです。先輩のこんな姿見たくないです。もしその友香さんと言う人が原因なら……わ、私が、忘れさせてあげます」


抱き付く腕の力がスッと抜けた。

水瀬は俺の前に体を移動させ、顔をあげ少し背伸びをして、俺の唇に自分の唇を押しあてた。


「うっ……ぐっ!」

「……先輩っ」涙を流しながら俺の目をじっと見つめる水瀬の瞳。


水瀬はブラウスのボタンをゆっくりと外していく。

ブラがあらわになり、スカートのホックを外すとすとんと下に滑り落ちた。


「私のこの体、先輩に捧げます」


甘く、苦しい香りが俺を包み込む。


どんなに切ないか。

どんなに苦しいか。


そして……この悲しみを癒す為に俺は水瀬を必要としているのか。

怖かった。また友香に俺が支配されるのが。

もし、本当に友香の事を忘れることが出来るのなら、この苦しみから逃れることが出来るのなら……。


逃れたい。そして俺はあいつの事をこの俺の中から……。


「……水瀬」

「先輩」

そのままベッドに倒れ込み、俺は……。


2次元ではない生身の女を、この胸の中に抱きしめた。


強く、彼女が砕けてしまいそうなくらい強く抱きしめ、彼女の全てを俺は受け入れた。


懐かしさを感じさせる生身の女性の温かさ。

水瀬の香りに包まれ、俺は水瀬と溶け合う。……これでいいんだ。



……これでよかったんだ。



友香のあの笑顔がまた脳裏に浮かび上がろうとした時、その笑顔は、すり替えられた。

繭の……あのニコットした笑顔が鮮明に浮かび上がる。


……繭。声に出そうになったのを、俺は無理やり喉の奥に押し込んだ。

今、俺の胸の中にいるのは繭じゃない。……水瀬、水瀬愛理みなせあいりだ。


彼女の体が熱く火照り、小刻みに震えている。

そっと力なく、包み込むように俺は水瀬を抱きかかえた。


水瀬の鼓動はまだ高鳴りを上げていた。

「先輩、私、私……。ひっく、ひっく」と、泣きながら俺にしがみついてきた。


「いいんだ、これで。俺は、お前を……」

俺はその先の言葉を言う事が出来なかった。


ただ水瀬を抱きしめてやることしか、今の俺には出来なかった。


「嬉しい。先輩が私を、部下としてではなく、一人の女として受け入れてくれたことが嬉しいです」


深いため息が出た。

「もしかして、後悔しています? 先輩」


「後悔なんかしてねぇ、それに惰性でこうなった訳でもねぇ。勘違いするな」


「……うん、先輩好き」

ニコッと水瀬が笑う。


俺は水瀬を受け入れたんだ。

繭じゃなく、……水瀬を選んだんだ。


「先輩、」

「ん、なんだ」

「このことは部長にも、そして繭ちゃんにも内緒にしてください」


「……ああ、そうだな。でもそもそも二人に言う義理はないぞ」

「そうなんですけど、……でも、二人だけの秘密です」

「二人だけの秘密かぁ」

「嫌ですか?」


「でも、普通へらへらとこういう事言うか? 言わねぇだろ」


「そうなんですけど……。私シャワー浴びてきます」


そのまま何もまとわず水瀬は脱ぎ捨てた服と下着を拾い、脱衣所へ入った。


そしてゆっくりと、脱衣所の扉を半開きにしてひょっこり頭だけを出し

「ねぇねぇ、先輩。赤ちゃんできたらどうする?」

「あ、……」

「嘘ようーん。今日は安全日だから多分大丈夫で―す。てへっ!」

はぁ―、まったく。

でも実際ヒヤッとしたのは事実だ。


シャワーの音がし始めた。

その音を確かめるように俺は起き上がり、脱いでいたものを着なおして、ベランダで煙草を銜えた。


熱を上げてから、ずっと吸っていなかった煙草。


カチンと小気味よい、乾いた音と共に点いた火を銜えた煙草に近づけ、軽く吸い込む。


白い煙を軽く吐きだし、空を見上げた。


これで俺は、友香の事を吹っ切ることが出来たんだろうか?


そして……繭の事も。

これでよかったんだよな。


俺自身は、友香の事を忘れようと努力してきた。でもその事が実は友香を忘れさせまいとさせていたのかもしれない。


もしかしたら物凄い遠回りなことをしてきていたんだろうな。

でもそれはそれでいい。


……多分。


それに、この中途半端な想いも、踏ん切りがつけられるだろう。


繭に対する想い。


やっぱりこんなおっさんが、女子高校生相手にこんな気持ちになっちゃいけねぇよな。

うん、あり得ねぇことだ。


シャワーの音が止まった。

脱衣所にいると思う水瀬に、俺はベランダから話しかけた。


「なぁ水瀬、明日からオフィスに戻らねぇか?」

「ん? そうなんですか」

声は脱衣所に届いているようだ。


「明日もリモートワークしてもいいって、部長から許可もらっているじゃないですか?」


「ああ、でもなぁ。なんかちょっと罪悪感が……」


脱衣所の扉が開いて、元の服を着た水瀬が出て来た。

「その罪悪感って、私とこうなったからですか? せ・ん・ぱ・い?」


俺の銜えていた煙草をすっと口から抜き、水瀬はその煙草を銜えて軽く吸い込んだ。


ふぅーと白い煙が彼女の口から吐き出される。



「……そうですね」



にっこりとほほ笑んだその笑みに、俺はまた愛理あいりの唇にキスをした。

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