意外な禁煙方法



「ぷはー」


2015年3月。

ある会社で営業として勤務する浦沢丈(うらさわ じょう)は、いつものように喫煙所で煙草を吸っていた。彼は日に30~40本もタバコを吸うヘビースモーカーであり、仕事中でもお構いなく、ダラダラと喫煙を行っている。仕事ができるわけでもなく、営業成績も事業所で最下位だ。


「そういえば今日はエリアマネージャーと面談か。いったい何を話すってんだ」


本日は、来年度の労働条件を決定する面談、スポーツ選手でいうところの契約更改のようなものが行われる。


「この成績じゃ、ほとんど給料は上がらないだろうな。」


丈は入社してからの4年間特に努力することもなく、クビにならない程度に適当にやり過ごしてきた。大学時代は成績優秀で授業以外にも様々な活動を行い、まさにバラ色の大学生活を過ごしたはずだったのだが、会社に入ってからは生活が一変。平日だけでなく休日も全くやる気のない、タバコとパチンコだけの堕落した生活を送っている。


「浦沢君」


丈の名が呼ばれた。


「浦沢君、君は相変わらず成績も悪いし、勤務中に煙草を吸ってばっかりだし、来年度結果が出なかったらクビにするからね」


エリアマネージャーが落ち着いたトーンで淡々と宣告した。


「え、ク、クビですか…」


「結果が出ないなら当たり前だ。まず煙草をやめなさい。そうすれば幾分営業成績もマシになるだろう」


「わ、分かりました。何とか頑張ってみます」


丈はエリアマネージャーと禁煙の約束をしてしまったが、3度の飯より煙草という生活をしてきた丈にとっては、喫煙のない生活など全く想像できない。


「えらいことになっちゃったな…。禁煙なんてできるわけないじゃないか」


丈は翌日から、職場での喫煙をできるだけやめるように努めた。さすがにいきなり煙草を持ち歩かないわけにはいかないので、まずは持参する本数を10本に制限。


(うおおお、吸いたい…仕事に集中できねえぞ)


もっとも、丈は煙草を吸ったからといって大して集中して仕事をしているわけではない。しかし、いつにも増して仕事に身が入らず、この日は1つも仕事が終わらずに一日が過ぎてしまった。


「禁煙ってこんなにきついものなのか…。このままじゃ本当にクビになるぞ」







4月1日。

2015年度が始まった。新入社員も本日から早速配属となり、職場にはフレッシュな風が吹いている。


「本日入社されました新入社員を紹介します」


部長が少々鼻につく偉そうな言い方で新年度のあいさつを行う。


(相変わらず嫌な話し方だな…)


丈はこの部長が苦手で、エリアマネージャーに禁煙することを命じられる前に、部長から何度も煙草をやめるように言われていた。それもあって丈はこの男が大嫌いなのだ。


「今日からお世話になります、高倉肇です」


「高橋友孝です」


新入社員の自己紹介が続く。そして最後の自己紹介。


「おはようございます。大野里佳子(おおの りかこ)です。よろしくお願いいたします」


(め、めちゃくちゃ可愛い…今まで見た女の子の中で一番容姿が整ってる)


丈は里佳子の美貌に心を奪われた。顔も声もすべてストライク。今まで職場の女性には全く興味を示さなかった丈は、職場での新たな刺激に心を躍らせた。


「本日18時半からの歓迎会に、新入社員の方々も参加していただきますので、今日はそれを楽しみに、頑張って業務に当たってください」


(やばい、かなり意識しちゃうな…。完全に一目惚れだ。禁煙で仕事に集中できないのに、ますます身が入らないぞ)


丈は6年ぶりに恋をしてしまった。今まで女性をモチベーションに仕事をする経験がなかった丈にとって、職場に美女がいるというのは未知の領域である。







18時半。

新入社員歓迎会の時刻がやってきた。


「よし、席はこちらで決めておいたから、指示に従って座ってくれ」


(え、嘘だろ)


「浦沢さん、ですよね?大野と申します。よろしくお願いいます♪」


丈が座らされた席は、なんと里佳子の隣であった。


「浦沢さんは何年目なんですか?」


「5年目だよ。まだまだひよっこ」


里佳子はコミュニケーション能力が非常に高く、全く会話が途切れない。丈は久方ぶりに終始ワクワクドキドキしっぱなしだ。





「えー、宴もたけなわではございますが、これにてお開きとさせていただきます。ありがとうございました!」


飲み会が終わり、丈は帰路に就く。

頭の中は里佳子のことでいっぱいだ。


丈は翌日以降、里佳子にいいところを見せたい一心で仕事を全力でこなした。

男というのは非常に単純で、恋のパワーだけで取り組み方が180度変わってしまうのだ。

そんな丈の姿を見て、里佳子も信頼して仕事のことでたくさん質問をする。


「浦沢さん、ちょっと聞きたいことがあって…。ここなんですけど…」


「えー、ここはね…」


丈はこれまでの姿が嘘のように先輩としての信頼を手にしようとしている。仕事を頑張ろうと持っているわけではなく、片想いの相手に好かれたいという想いだけでこうなっているのだが、仕事を頑張れているので結果オーライだ。すべては里佳子のため。こっちを向いてもらうため。

頭の中は彼女で覆いつくされる毎日が続いた。







ゴールデンウィークが終わり、里佳子が現れてから1ヶ月が経った。同僚の荒神徹(あらがみ とおる)が、丈に話しかけた。


「浦沢、今年度入ってから相当頑張ってんな。やっぱり美女が入るとモチベーションが違うのか?」


「ま、そうだな。今まではあんなに可愛い子職場にはいなかったからな」


「それは2年目以降の子たちに失礼だろ」


「いいんだよ事実なんだから」


「あ、そういえばお前、最近全然煙草吸いに行かねえな。禁煙外来にでも通ってるのか?」


「え…煙草…?忘れてた」


「え?」


「大野さんのことで頭がいっぱいで、煙草吸うのを忘れてたっていうことすら忘れてた」

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