第85話 二人の涙

 ガルを辛くも撃退することに成功したハルト達は駆けつけてきた警備隊に事情の説明を済ませた後に解放され、帰路に着いていた。

 その道中、全く喋る様子の無いハルトを心配したフブキが声を掛ける。


「ハルト……その、大丈夫?」

「フブキ……うん、大丈夫だよ。ごめんね、心配かけて」


 フブキのことを心配させまいと笑顔で言うハルトだが、無理をして言っているのは誰の目にも明らかだった。しかしそれも無理はない。王都にやってきて初めてできた友人に命を狙われる。そんなことがあれば誰でもショックを受けるだろう。


「無理しないで」

「え?」

「さっきの人がハルトの友達だって聞いた。友達にあんな形で裏切られて、命を狙われて……平気なはずがない」

「フブキ……」

「ハルトは優しいから、私達のこと心配させたくなくてそう言ってくれるのかもしれないけど……私はハルトに無理して笑って欲しくない。もしこの場にユナがいたら、きっと同じことを言うはず」

「…………」

「辛いときは辛いって言っていい……ううん、違う。そう言って欲しい。無理して笑ってるハルトを見る方が私は辛い」


 そんなフブキの言葉にハルトは心の中でせき止めていた何かが決壊したようにくしゃりと表情を歪める。


「友達……だったんだ」

「うん」

「王都に来て初めてできた……大切な友達で……」

「うん」

「仲良くなれると……思ってたんだ」


 ハルトはガルのことを思い出しつつ、その目に涙を滲ませる。ハルトは本気でガルのことを友人だと思っていた。だからこそ、ガルに裏切られたという事実がハルトの心を何より深く傷つけていた。


「ハルトの辛さ……わかるよなんて気安くは言えない。でも、ハルトが傷ついてるのはわかるから」


 涙を見せまいとするハルトのことをギュッと抱きしめるフブキ。それはリオンやアキラではできないこと。長い付き合いのあるフブキだからこそできることだった。この場においてフブキだけが本当の意味でハルトの心に言葉を届かせることができるのだ。


「泣いてもいいんだよ」

「フブキ……うぅ……うぁ」


 慈母のように優しくハルトを抱きしめるフブキ。いよいよ耐え切れなくなったハルトは堰を切ったように涙を流す。そして人目をはばからずに泣きだすハルト。ハルトの涙で服が濡れるのもいとわず優しく抱きしめ続ける。


 そんな二人をリオンとアキラはジッと見つめ続けていた。




□■□■□■□■□■□■□■□■□



「はぁ、はぁ……」


 ガルは人目を避けるようにして裏路地を必死に走っていた。それは決して追手を恐れてのことではない。見えもしない、ありもしないハルトの幻影から逃れるためだ。

 それを恐れてガルは必死に走り続けていた。


「はぁはぁ……ははっ……あははははははっっ!!」


 しばらく走り続けたガルは体力が尽きて壁に手をついて荒い呼吸をする。そして今度は狂ったように笑い声を上げ始めた。その瞳には様々な感情が渦巻いていた。自分の手でハルトを殺そうとしたという現実がガルの心に現実としてのしかかっていた。


「僕が……殺そうとした。ハルト君を……《勇者》を……友達……を……」


 今さらになって手が震えだすガル。必死に抑えようとしても震えはなかなか止まらない。やがてガルは壁にもたれかかるようにして地面に崩れ落ちる。

 起きてしまったことは、ガル自身がしてしまったことは決してなくならない現実だ。ガルは、自身の手でハルトとの友情を壊したのだ。


「僕が……」


 ぐちゃぐちゃになってちぎれてしまいそうな心をガルは無理やりつなぎとめる。後悔、興奮、怒り、悲しみ……湧き上がっては消える無数の感情にガルは対処できないでいた。

 そんなガルに近づく人影。それは先ほどのガルの笑い声を聞きつけてやってきた裏路地の住人だった。もちろん、善良な人ではない。ガルを見るその目は薄暗い感情に染まっているのだから。


「よぉ坊主。こんな所で何してんだよ。ママとはぐれでもしたのか?」


 ガルの体格を見て格下だと判断した男はニヤニヤとしながらガルに近づく。しかしガルは男の方には見向きもしない。それどころではないからだ。


「おい聞いてんのかてめぇ!!」


 反応を示さないガルに苛立った男が胸ぐらを掴み上げる。それでもガルは何も言わない。


「なんだ? ビビっちまって声もでねぇってか? はっ、お前みてぇなガキが俺は一番嫌いなんだよ! ちょうどいいぜ、身ぐるみ剥いでお前のもちもん全部奪ってやるよ」

「うば……う?」


 男の発した言葉に僅かに反応を示すガル。


「そうだ……僕はいつも奪われる側だった。生まれてきてからずっと……どんな時も」

「あ? なにぶつぶつ言ってやがんだ。今さらビビったって——え?」


 男の言葉は途中で切れた。自分の腕が無くなったことに気付いたから。一瞬頭が真っ白になり、理解が追い付き声を上げようとするがそれも叶わない。


「ひゅっ——」


 ぐらりと揺れる視界。男が最期に見たのは、いつの間にか手にナイフを持っているガルの姿と、首から噴水のように血を吹き出している自分の体だった。

 そしてガルは、そんな男の死にざまを無感情な瞳で見つめる。


「そうだ……僕はもう奪われたくない。奪われる弱者になりたくない。もう何も奪わせたりしない。だから僕がハルト君を殺すって決意したんじゃないか。ハルト君の命は……僕のものだ。他の誰にも奪わせたりするもんか」


 少しづつ心が落ち着いていくのを感じるガル。それと同時に先ほどまで確かに感じていた後悔も悲しみも消えていく。ガルの心に残ったのは狂おしいほどのハルトへの想いだけだった。


「待っててハルト君。今度こそ、絶対に、僕が君のことを殺してあげるから。君の命を他の誰かに奪わせたりなんてしない。もう迷わない。僕は君の……友達だからね」


 空を見上げて呟くガル。その瞳から涙が零れ続けていることに、ガルは最後まで気づくことはなかった。


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