第5話 リリアの憂鬱
「……ハル君……」
リリアは一人、部屋でハルトの名を呼ぶ。しかし、その声に返答はない。ハルトがいたはずの場所を見つめてリリアは目じりに涙を浮かべる。
「あんなに一緒だったのに……まるであの頃が遠い昔のことみたい。ハル君……どうして、どうして今ここに居てくれないの?」
湧き上がる寂しさを堪えきれず、リリアはその場に崩れ落ちる。ハルトがいない。それだけでリリアの心は捨てられた子犬のように打ち震え、立ち直ることなどできそうになかった。
が、しかし。そんな状況を見つめている人物が一人。母のマリナである。
「あなた……ハルトの部屋で何してるのよ」
「……ハル君……」
「ハル君……じゃないわよ。何絶望に打ちひしがれた表情してるの? 頭でも打ったの?」
「絶望……そう。これが絶望。ハル君のいない世界なんて……」
「何言ってるのよ。ハルトは王都にいるんでしょう。あなたさっきそう言ってたじゃない」
「王都に居てもここにはいないのぉおおおお! あぁあああああハル君に会いたいハル君に会いたい会いたい会いたいぃいいいい!!」
「うるさいわよ。ご近所迷惑でしょ」
「あぁあああハルくぅううううんん!! 私の中のハル君成分が足りないぃいいいい!!!」
「う・る・さ・い・わ・よ」
「いだだだだだだ! ごめ、ごめんなさい! 黙ります、黙りますからぁ!」
注意しても騒ぎ続けるリリアに静かにキレたマリナがアイアンクローを決める。とっさに魔力を張り防御するリリアだが、子育てで鍛えられたマリナの腕力はリリアの防御を容易く超えてダメージを与える。
「まったくあなたは……ハルトがいるときはまとも……まともかしら。まだまともな方なのに、ちょっとハルトのそばを離れるだけでこれなんだから」
「いたた……痛いよー。おかーさん」
「あなたがうるさいからでしょ。っていうかあなた家に帰ってきたからって気を抜きすぎよ。何よその恰好は」
「え、この恰好? 何って……運動着だけど」
「そうじゃなくて、それあなたが14歳くらいの頃のやつでしょう? サイズあってないじゃない」
リリアが来てるのは日曜学校の頃に着ていた運動着だ。今のリリアはその頃よりも成長しているので、服のサイズが合っておらず。あちらこちらがはみ出している。しかし、ハルトがいないこの場においてリリアはそんなことを全く気にしてはいなかった。
「そうだけど……ここにいるのお母さんだけだしいいじゃない」
「そういうところがダメだって言ってるの! もしここにハルトがいたらそんな恰好しないでしょ?」
「ハル君がいたら? するわけないって。ハル君の前では完璧なお姉ちゃんでいたいんだから」
「それも全然できてない気はするけど……あなたも年頃なんだから。そういうところはちゃんとしなさい」
「してるしてるー。気を付けてますよー。あ、そういえば台所にあったお菓子って食べてもいいやつ?」
「……もう一回くらいたいようね」
「すぐに着替えます!」
バシュンと風が巻き起こるほどの速さで部屋に戻ったリリアはすぐさま服を着替える。
「ハルトがいないだけでこうなるんだから……ほんとあなたって」
「私だってわかってるけどぉ……ハル君いないんだからしょうがないじゃん」
普段気を張っているがゆえの反動か、ハルトがそばにいないときのリリアは限界まで気が緩み。口調すら幼くなってしまうという性質を持っているのだ。
「あぁ、思い出したらハル君に会いたくなってきた。ハル君……あなたは今どこで何をしているのですか」
「もしかしたら仲良くなった女の子とお出かけしてたりしてね。今日は邪魔な姉の目もないわけだし。イルちゃん、だっけ? その娘とでかけてるかもしれないわよ」
「…………」
「なにその表情は」
「か、」
「か?」
「帰るぅうう! 王都に、今すぐ、なう、速攻で!」
「落ち着きなさい! それができないからあなたは家に残ってるんでしょう」
そう、そもそもリリアは王都でパレードがあることを伝えるために故郷のルーラへと戻ってきていた。しかし転移門を開ける《大魔法使い》の数が足りず。門を開けるのが一日に一回になってしまったのだ。リリアをルーラまで連れてきた人は魔力を回復させるため宿で休んでいる真っ最中だ。どうあがいても門を開けるのは明日ということになる。
しかしそんなことはリリアだって百も承知なのだ。
「走れば、全力で走れば王都に行けるはず」
「ここから王都までどれだけ距離があると思ってるの。馬鹿なこと言ってないで今日はもう諦めなさい」
「あぅう。こんなことならハル君もつれて戻ってくるべきだった」
「あなたハルトへの想いは重過ぎるのよ。これを機に少しはハルトがそばにいないことに慣れなさい」
「むーりー……あ、そうだ。シーラ達のとこにもいかないといけないんだった」
「ちょうどいいじゃない。シーラちゃんたちに会って気持ちを切り替えてきなさい。今日はシュウ君も休みのはずだから」
「うん、わかったー。行ってくるー」
ゆらゆらと幽鬼のように揺らめきながら全く覇気のない様子で家を出て行くリリア。その背を見送ったマリナは深くため息を吐く。
「はぁ……ほんとに、ハルトがいないとダメな子なんだから。シーラちゃん達に会って少しは元気になってくれるといいけど。っていうかあの子本当にハルトと王都に行かせてよかったのかしら」
我が子の行く末を憂うマリナであった。
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