第55話 守るための勇気
目の前のゴブリン達を注意深く見つめながら、ハルトはリリアとの訓練のことを思い出していた。
「ハル君、魔物と戦うなかで一対多になってしまった時にどうすればいいかわかる?」
「え? そうだな……強そうな奴から倒す……とか?」
「うーん、それも悪くないけど……ちょっと違うかな」
ハルトの出した答えをリリアは苦笑して否定する。例えばそれが人同士の争いであったならば、一番強い者を倒せば周囲の者は委縮して戦うことをやめてくれるかもしれない。しかし、魔物相手ではそうはいかないのだ。一匹が倒れれば次が、その次がとやってくるのだから。
「でもね、基本的な考え方は同じだよ。まずは相手を委縮させること。自分の強さを、相手に知らしめること。魔物はヒト以上に脅威に敏感だから。自分よりも強いと思ったものには立ち向かおうとしない。まぁ、これは野生に限っての話だけどね」
「でも、脅威をわからせるってどうしたらいいの? ボクは動物みたいに体を大きくして威嚇したりなんてできないし」
「そうね……例えば」
リリアは少し考え込むような仕草をした後、訓練用の木剣を静かに構えてハルトのことを見据える。別段いつもと変わらない構えだ。しかし、次の瞬間ハルトは背中に氷を突き立てられたかのような、突如目の前に竜が現れたかのような、そんな錯覚に襲われる。
体が硬直して動かない。死、という文字がハルトの脳裏をよぎる。
そんなハルトの様子を見たリリアが慌てて構えを解く。
「あぁああご、ごめんねハル君、怖かった? 怖かったよね。ごめんね、お姉ちゃんちょっと本気出しすぎちゃった」
「う、ううん。いいんだけど……今の、なんなの?」
「何に見えた?」
「えーと……竜かな?」
「ハル君にはそう見えたんだ」
「違うの?」
「今のはね、殺気だよ。殺すっていう意思を相手にぶつける。その殺気が濃ければ濃いほど強く、大きく見える。今のはそれに魔力も合わせて威力を上乗せって感じかな。もしホントは弱かったとしても殺気さえ出せれば誤魔化すことができるくらいに。まぁ言っちゃえばはったりだけどね。これがヒトにできる威嚇みたいなものだよ」
「殺気……はよくわからないけど、魔力ってそういうことにも使うんだね」
「そうだね。まぁこれも言っちゃえば身体強化みたいなものだけどさ。覚えといて損はないと思うよ」
「ボクも姉さんみたいにできるかな?」
「そうだなぁ……ハル君にはちょっと厳しいかな」
「え、どうして?」
「だってぇ……」
キョトンとした顔でリリアのことを見ているハルト。その可愛さと行ったら筆舌に尽くしがたいものがあるとリリアは思う。可愛い、天使という言葉はハルトのためのものだとリリアは考えていた。
これでハルトは無自覚なのだから恐ろしい。可愛くて、カッコよくて、優しくて、可愛くて可愛い。これが自分の弟なのだということがリリアにはこの上ない幸福に思えた。可愛いと言うとハルトは少しむくれるので、あまり口にすることはないが。それでもたまに言ってしまうのはむくれるハルトもまた可愛いと思うからだ。
しかし今は訓練中。暴走しそうになる姉心をリリアは必死に耐える。
「あぁダメリリア。抑えて。今は訓練中だから。でも……くぅ」
「姉さん?」
「あ、ご、ごめんごめん。ハル君に難しいっていうのはそうだな……一回やってみよっか。私の真似をしてみて」
「姉さんの真似を?」
「うん。私に、今のハル君がだせる全力の殺気を向けて見て。そして、その殺気に魔力を乗せてぶつけるの。魔力を操るのは感覚だから、慣れないと覚えられないしね」
「わかった」
木剣を構えるハルト。しかしそこから先がわからない。殺気を出せなどと言われても出したことがないのだから。あぁでもないこうでもないと四苦八苦しているハルトを微笑ましい目で見つめるリリア。これがハルトにはできないと言った理由だ。命のやり取りをしたことが無いハルトには相手を殺すような気持ちを持つことができない。それではダメなのだ。リリアとしてはそんな気持ちをハルトに持ってほしくはないが、そうも言っていられない。
「出せないでしょ、殺気」
「うん。どうやるかわからない」
「それはしょうがないことよ。できれば知らないほうがいいことでもあるし。でも、こればっかりは実戦の中で身に着けていくしかないの。今できたとしてもすぐに見抜けるような張りぼてになっちゃうし。だから、ハル君にはもう一つの対処方を覚えてもらうおうかな」
「もう一つの対処方?」
「一対多、なんて状況にはならないのが一番なんだけど。どうしても避けられないならまずやることは一つ。一対一の状況を作ること。たとえゴブリン相手でもまとめて複数を相手にしたら勝てないこともあるからね」
「でも、どうやってそんな状況をつくったらいいの?」
「出会い頭に全力の一撃を叩き込むの。殺気を放てないならこうするしかない。そして相手の動きを一瞬でも止める。そして周囲の地形でもなんでも使って少しでも自分に有利な状況にしないといけないの。そしてそこからは速攻、息を吐く暇も与えずに確実に倒していくの。だからハル君はまず、そのために最初の一撃を覚えよっか」
「わかった!」
そして今、リリアとの訓練の成果を出す時がきた。
ハルトの目の前に居並ぶゴブリン達。後ろにはイルとシア。
「二人は下がって」
ゆっくりと下がり、ゴブリン達から離れるイル達。この時イルは戦えない自分のことを憎く思った。しかしだからといってその感情のまま飛び出すほどイルはバカではない。
(くそ、光魔法さえ使えるようになってたら……オレが……ちゃんと訓練してたら)
思った所で使えるようになるわけではない。《聖女》としてのスキルはまだ一つしか発現していないのだから。
そんなイルの目の前で、ハルトは動き出した。
「まずは……一撃!」
使うのはリリアから教えてもらった渾身の一撃。それをゴブリン達……ではなく、地面に向けて放つ。
「『地砕流』!!」
最初はまともに木剣に魔力を纏わせることができなかったハルトだが、これまでの訓練で少しならばできるようになっていた。《勇者》に選ばれたことが起因しているのか、それとも元々の資質か。リリアの想像以上にハルトの成長は早かった。
魔力をその身に纏ったことで強度、破壊力が増した木剣はハルトの狙った通りに地面を砕き、その破片が周囲に飛び散る。
「ゲギャッ!?」
ハルトに飛び掛かろうとしていたゴブリン達はその一撃で動きが止まってしまう。その隙をハルトは見逃さない。
(まずは一体!)
木を遮蔽物として他のゴブリンを寄せ付けないようにして、確実に、冷静に、ためらってはいけない。命のやりとりの場においてそれは死を意味するとリリアから教えられたから。ハルトの木剣がゴブリンを貫く。以前ゴブリンと戦った時も感じた感触。しかし、慣れることなどできない。そこでハルトが思い出すのはイルの言葉だ。必要なのは殺すための覚悟ではない。
(姉さん、ボクに守るための勇気を!)
さらに目の前の一体に詰め寄り、ゴブリンの胸を貫くハルト。そしてその勢いのままハルトはその隣のゴブリンの首を刎ねる。一匹、一匹とハルトは確実に倒していく。あっという間にハルトは半分のゴブリンを倒しきる。
「ハルト、後ろだ!」
「っ!?」
倒している間にハルトの後ろに回り込んでいたゴブリンの存在に気付いたイルが注意の声を飛ばす。
すんでの所でハルトは攻撃をよけ、武器を振り切って動けないゴブリンのことを仕留める。
ひと際大きなゴブリンがハルトに近づいて手に持った剣を振りかざす。
(まともに相手をしてたらやられる)
このまま受け止めて鍔迫り合いになれば他のゴブリンに狙われる。そう思ったハルトは滑らせるようにして攻撃を受け流す。
そして体勢を崩したゴブリンをすれ違いざまに切り裂く。これで七匹。
「ギ……ゲギャギャギャ!」
「ギャギャギャ!」
「ギャッ!」
残った三匹のゴブリンは仲間があっという間に倒されたことに動揺したのか、少しずつ後ずさりやがて走って逃げ出した。
「……ふぅ……」
ゴブリンの気配が完全に消えたことを確認したハルトは安堵の息を吐き、その場に座りこんだ。そんなハルトのもとにイルとシアが近寄る。
「おいハルト、大丈夫か!」
「あぁうん、なんとかね。大丈夫だよ。そっちは?」
「あぁオレ達も大丈夫だ」
「ありがとねハルト君」
「そっか……ならよかった」
守りたいと思った人たちを守り切れた。そのことがハルトは嬉しかった。
そんなハルトのことをシアが薄く笑って見つめていることに、ハルトもイルも気づかなかった。
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