14日目 無為

 彼曰く、このまま何もしない一日であるべきか。


 ***


 無為に過ごす一日。


 何もしないということがこんなにも退屈だということを肌で実感する。


 新年始まってからこっち、せわしなく自分のやりたいこと、やるべきことを意識したつもりで毎日過ごしてきた私。

 けれど今日ばかりは焼け残った炭のような、かすかな熾りさえなく、ただ静まっていた。


 起きた時刻は朝11時。ベッドに張り付くように動かない体を引きはがして、買いためていた冷凍うどんを温め、パスタソースを絡めてご飯にした。以前に作ったとき、パスタソース1つに対して、うどん1玉では余ってしまうことを知った。それでも作るときは1玉ずつ温めていたのだからものぐさだ。なのに今日は初めから2玉温めた。2Lペットボトルの水をラッパ飲みして、ベッドに逃げていったであろう水分を取り戻す。中身の空になったボトルはラベルを外して、つぶして床に放ってやった。気力が少し沸いていたのは、もしかしたらここまでだったのかもしれない。


 風もない部屋の中、ベッドに横たわった私はTwitterのタイムラインを追っていた。投稿はしない、リプもしない。世の中で起きていることが文章として書かれていても、風に舞う土埃くらいに興味も沸かない。漫然と、何もしないで過ごすことを、どこかで嘆いておきながら、愛している自分もいた。随分と、何もしない自分を見ていない。なんとなく懐かしく感じていた。


 きっと私は、何かに打ち込む日々に疲れてしまったのだ。


 毎日朝起きて、プロテイン摂取や筋トレヨガで健康を意識して、素敵な生活をネットに晒して衆人環視の中で華々しく生きる人たちをうらやましいと憧れながら、自分にもそんな生活ができることを期待して、食や睡眠や漫画や小説や、いろんな欲を我慢して、自分のやりたいことをする日々に。

 バカみたいにコンビニでお菓子を買って、読むことも確定していないのに本を買い、電子書籍で購入すればいいのに時間限定のチケットを買う。インスタで流行っていそうな店に立ち寄ってみたり、みんなが着ている服を買って鏡の前で踊ってみたり、使い方もわからない化粧品を買っている。

 そんな風に自由に、欲望のままに生きていきたい。自分の中で我慢を強いて、本能に従って買い荒らし、食い荒らし、寝回す時間。そんな時間を必要としていたのだ。


 そうわかってしまった、そして同時に悟ったことがある。


――つまらない。


 欲望のままに生きるのは、時には必要なことだ。我慢は抑圧、抑え込みすぎた感情はいつか暴発して四散する。手を付けられてない悪魔となって、私の理性を壊すだろう。

 人間は本能のケダモノであると同時に、理性を統べた騎士でもある。実直で清廉、己の恥を見せずに誉れを得る、生物の優等生。そのうちの一人として優れた生物であるためには、自分をいかに律するか、そのうえで満足した生活だったと誇れるかだと思うのだ。

 最後にベッドに入ったとき「今日は何もしなかった」と落ち込む過ごし方よりも、「今日は今までにやらなかったことができた」と誇れる日でありたい。誇りとは快感に他ならない。退屈の反対は、快感だ。

 目を見開くほどの発見があれば、それは自分の中で快感に変わる。


 Twitterに溺れかけた私は気に入っている漫画を読んだ。


『左ききのエレン』広告業界で働く、大人たちの群像劇。

 天才も凡才も、等しく同じ時間を与えられる中でどう生きるか。初めから終焉を知って、最も美しいときに寿命を迎えようとしているもの。最も美しく、気高く、強い瞬間を切り撮ることに執念を燃やし、他を圧倒してきたもの。卓越した才能を持ちながら他とのつながりを求め、才能を胸にしまって生きようともがくもの。才溢れた周囲の人間に圧倒され、無理だと理解しながら自らもその枠に憧れて、泥臭く求め続けるもの。

 かっこ悪くも、かっこよく働く大人がそこにいる。私と同じような想いを抱えた人間もいて、画面を通して自分の理想を見させられている感覚になる。そして、だんだんと冷え切った炭に火が熾る。


――いつまで寝っ転がってるつもりだよ。

 這い上がってでもかなえたい願いが、夢があるのなら。

――早く起き上がれよ、筆でもペンでも持てよ。

 無理だと言われても諦めたくないものがあるのなら。

――本気出して、本気出して、本気出して。

 いつまでも無理だと泣き言だけで終わらずに。


「描けよ」


 自分の理想を、やりたい夢を、立ち向かってぶち壊したい困難を。

 諦めるにはまだ、全然生きたりない。


――そうじゃなきゃ、つまんねーよ。


 生きていれば泣きもするし、悔しい思いもする。

 笑うことも、喜ぶことも、怒ることも、照れることも、たくさんある。

 それも感じないのは、生きていないも同然だ。死に溺れている。


 無為な時間に流れるのは死の時間だ。何もしていない、つまらないのは当然。

 それを変えたいのなら、少しでも生きていたいのなら――。


 夕方、雲が濃鼠色に染まるころ。1日ぶりの外の空気は5月のわりには冷えて感じた。それでも夏はこれからと言うように、輝きを広げる太陽の光が雲越しに伝わってくる。スマホと財布と家の鍵だけを持って、最寄り駅への道を歩いていた。コンビニに寄るくらいの気持ちで着替えるのは少し恥ずかしかったけれど、周囲の目はそれほど気にならず、行きたい場所にすんなり向かえた。なんだかそれが、不思議と気持ちよく感じられた。


 電車に乗ったところでメールの通知が来る。映画のチケット決済メールだ。

 こんな夜中に一人で観る映画は、どんなものだろうか。

 ちょっとした期待とともに、少しだけ月が顔を出した空の下、映画館へ歩いて行った。

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