2022年1月

1日目 2022年の抱負

彼曰く、数字がゲシュタルト崩壊している・・・。


 ***


2022年です。

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。


・・・という挨拶をちゃんと1年初めの日にしてこその元日というものだというのに、この日記を書いてるのは2日なの、どうなっているんだ。

私だけ年越しが1日ずれてやってきている可能性あります。

体は日本・東京、心はアメリカ西海岸、とかなのか?

海外行ったことないけど。

きっと年越しギリギリまで読み込んでいた『テスカトリポカ』のせいだ。

結果的に日本が舞台になるけど、最初の方はメキシコ舞台だし。

現地に行ったら多分壁超えができないから年も越せないと思う。

年越す前に人生の終わりを迎えそうな土地だよ、あの麻薬地帯は。


人生の終わりについて考える。

すぐ死ぬとは思っていないけど、長く生きるとも思ってない。

その割に口癖のように出てくる「どうせ死ぬから」「早く死にたい」のマイナスな言葉たち。

卑下してばかりの私でもわかる。

「絶対死ぬ気ないじゃん」

でも最近は、マイナスな言葉ばかり言っていると近いうちにその通りになるんじゃないか、そう考えるようになった。

特に職場、後輩たちが入ってきて、世話をするようになってもう2年。

話をするたびに自分には教える才能がないことを痛感する。

でも彼ら彼女らは、先輩の言葉を妄信して仕事を覚えていく。

仕事の流れ、話しの仕方、効率のいい考え方。

人それぞれ影響を受ける部分に若干の違いはあれど、基本的に教えてきた人間に似てくるものだ。

だって私がそうだった。

自分がすべての基準になると考えないようにしているけど、今の新人と新人の頃の私とが重なってくる。

「先輩の言葉を疑って、自分で考えな」

自分を軸に考えるように仕向ける指導をしてきたけど、放置して成長するなら先輩はいらない。

彼らが頼りにしているのは、まさしく私たちの世代なんだ。

であれば、彼らのために私が示せるものは何か。

指標として、軸として、澪として、私たち先輩が見せつけることができるのは何か。


そう考えた時、私は今までの人生をだいぶ損していると感じるようになった。

自分が逐一発するマイナス言葉の中に「私は人生に失敗した人間だから」がある。

事実、私は生き方に失敗してきた。

真面目に勉強した結果、第一志望の大学に受からず、半端に遊ぶこともできずに大学生活を終え、人並みの就活も越えられずに半ば諦めの気持ちを持ったまま入社した。

目立ちたくないからと、派手に遊ぶことも避け、危険の高そうなサークル活動もはじめから考えていなかったし、余計な友人関係も作らなかった。

その結果が今の私だ。

今の境遇が完全に不幸だとも思わない。

けどときどき思うのだ。

方向を変えていれば成功したと言える人生を歩むことができたんじゃないかと。

インスタやTwitterで映える写真やストーリー投稿を見るたびに頭を覆う暗い感情。

「私はあちら側には行けなかったんだ」

じゃあ人生に失敗したっていうのはどういうことだ?


痛々しい現実を目の当たりにして新たに気付いた。

求めていたのは、誰よりも成功している姿を見てほしいという過度な欲求だった。

あがいて、もがいて、自分なりに考えて。

誰かに見られるようになるためにやりたいことは何かといったら、今の仕事を楽しむことと何かを書くことしか思い浮かばなかった。


今の仕事に不満はない、楽しいしやりがいもある。

他者作品の成功を見ると「私たちもヒットを生み出したい」と思うし、世間の話題になる作品に携わりたいと思う。

何かを書くことにしても同じことだ。(最近できていないのが悔しいけど)

激しいバトルやしっとりと感動的なシーンのラスト、エンドロールの文字の羅列の中に自分の名前を探し出す。

コロナや作品の都合もあって、まだ多くの作品に携われたわけではないが、初めて自分の名前が流れた時、ちょっと嬉しかった。

これだけで認められたわけではない。

大々的に知られたわけでもない。

自己満足の範疇かもしれない。

でもそれでよかった。

私は意外に、見られることに貪欲な人間だったのだ。


「世間様に出して恥ずかしくない人生を送ってね」

大学からこちらへ上京する際、母が私に言った言葉だ。

兄妹のなかで一番かわいがられた私を送り出す彼女は、今までに見たことないくらいに泣いていた。

当時は「悪いニュースに出ないようにして」と冗談半分に言われていると思っていたけれど、まさかこういう形で子供の名前がテレビに出るとは思っていなかっただろう。

私も思っていなかった。

そして気づいた。

世間に名前をさらすというのは、この作品に携わった人間だと公表することだと。

SNSに写真を投稿するのと同じように。

街頭インタビューで政治に対する意見を言い募るのと同じように。

教授からの質問に、挙手して発言するのと同じように。

自分からしたら私の発言は大したものではない。

でも他者からしたら、その人となりを判断する大きな基準の一つで、とても大きな影響力を持つ。


人の言葉は、必ずその発言をした人とセットで伝聞される。

いかに名前を隠そうと、別のルートから広がっていくものだ。

津波と人のうわさ以上に、波及を止められないものはない。

お膳立ても建前も何もかもを食い荒らして広がっていく。

発言には名前が伴う。

いずれ名前と発言のイメージがイコールになる。

人の評価というのはこうして出来上がっていく。

いいイメージも、悪いイメージもそうしてできるけれど、より広がるのは悪いイメージだ、残念なことに。


私の今年の目標は決まっている。

マイナスな言葉を吐かない、自分を卑下しすぎない。

少なくとも人前では、下手な発言をしないようにしたい。

これからの人生を自分から下り坂にするメリットなどどこにもない。

また来年も年を越せるように、まずはこの1年、マイナスな言葉を言いすぎないように乗り越えたい。


去年の自分の恥ずかしくない人生を。

今年もよろしくお願いします。

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