3日目 ロングコート
彼曰く、冬のコートって、なんだか大人。
***
雪の降りそうな寒空の下。
いつもよりも空気がかすんで見える街中を、肩を縮こませて歩く。
冷たい風に時おり歯を鳴らしていく駅前のロータリー。
いつもよりも人が多く見えるのは気のせいだろうか。
肌の露出の減った季節、衣擦れの音が聞こえてきそうなビル街は多くの人がコートを着ている。
コート。
そうだ、コートを買おう。
今までもその考えが頭に浮かばなかったわけではない。
でも、しっかりと考え付いたのは初めてだったかもしれない。
一応コートは持っている、チェスターコート。
シングルブレストのかっちりめなシルエットは、大学時代に買ったものだ。
膝上の丈にパンツ姿の私を見て、友人が「脚長いねぇ」と感嘆していた。
君のすらりとした脚線美には負ける、なんてこぼしたけど、珍しく私から出た言葉は届かなかったらしい。
自分の声が届かないのはいつものことだから気にしなかったけど、今思えば照れ隠しだったのかもしれない。
褒められ慣れていない人間に、突然の賛美を手向けるのはなかなかにダメージが高い。
ダメージというより依存かもしれない。
人からの賛美は毒と同じ、気づけば褒められ沼にハマってしまう。
私には過ぎた毒だけれど。
そんな私が新しいコートを買おうと思い当たったのは、もしかしたら最近褒められることが少なかったかもしれない。
仕事では十分褒められているけれど、けして理想の褒められ方ではないし、これからも変わらないのであれば退屈で仕方がないだろう。
いつも通り過ぎる日常に、一石を投じたかったのかもしれない。
自分にとっての新しさを求めて、新しいコートを買う。
今までの自分を払拭して、塗り替える。
冬というみんなが着込む季節はちょうどいいタイミングだったのだ。
今回買ったのはロングコート。
膝よりも下まで裾が伸びた夜色。
身を覆う翼のように、黒々とした布地が、歩くたびにたなびく。
まるで烏の尾羽のように伸びる姿を、自分で見ることができないのが残念だ。
仕方なく、頭の中でビル街を颯爽と歩いていく自分の姿を想像する。
思い浮かべると口角が上がった。
進む足取りが軽くなる。
ぴょこぴょこと跳ねるように進むその姿は、キョロキョロとあたりを見回しながら路地を進む烏のようだった。
たぶん、そうだったんだろう。
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