11日目 装飾光

彼曰く、「さすがに早くない?」という感情も生まれなくなってきた。


 ***


イルミネーションが街を照らす。

街を行く人が皆足を止め、赤、青、緑、橙、様々に輝く光に注視する。

ある人はおもちゃ屋さんの袋を提げて。

ある男女は腕を組んで。

ある親子ははしゃぎながら肩車をして。

目も心も奪われて、いっときの幻風景に魅了される。


そんな奇跡のような時間が街に現れる季節が近づいている。

クリスマスだ。


確かに、近づいてはいる。

もう11月に入り、二十四節気の立冬も過ぎた。

暦の上では冬も同じ、気候もそれに続くかのように冷たい空気に包まれ始めている。

でもさすがに、クリスマスツリーを置くには早すぎやしないだろうか。


クリスマスツリーへのあこがれというのは、大人になってからはすっかりなくなってしまった。

高校生のころにはもはや興味を抱かなくなってしまったといってもいいだろう。

小学生、かろうじて中学生のときにも、クリスマスプレゼントとして、ゲームやら漫画やらを買ってもらっていた記憶があるからだ。

だが高校生になった途端、そうした覚えはとんと見つからない。

数年前は家に簡単なツリーが飾られるだけではしゃいでいたのに、飾るのさえ面倒になっていたのだから、子供の即物嗜好には頭を抱えていたのだろう。

親の大変さを感じてしまう。


クリスマスと言えば、象徴的なのは恋人と過ごすことだが、残念ながら(というわけでもないが)そうしたことから縁遠い私にとっては、やはりどうでもいいイベントと思えてしまう。

ハロウィンと同じで、いわゆるパリピや陽気な人々がことさらにイベントごとを取り上げているに過ぎない。

一方で、そうしたことに誘われれば参加しない、というわけでもない。

クリスマスに供される様々なご飯はやはりおいしいからだ。

コンビニ各社の出すスイーツしかり、駅前やデパ地下で出張販売や催し物をしている高級店しかり、美味なるものに罪はない。

罪のないものを食べるならば、それも別に罪ではないだろう。

決して、恋人たちの存在が罪だと言っているわけではないが。


だがよく考えると、私が小学生やそれよりも小さいころ。

母親は子供達でもおいしく楽しく食べられるように、工夫していろいろなクリスマスメニューを作ってくれていた気がする。

好き嫌いに振り幅のある子供が満足いくように、野菜ばかりではなく味付けの濃い肉などを多めにしていたのはそういうことなのだろう。

なんて面倒くさい。

母親の苦労を思い浮かべて、そんな苦労はしたくないなと頭を振る。


家族で見るイルミネーションは確かにきれいだろう。

でも一人で見るたくさんの光も、それはそれでいいものだ。

頭上に光の連なる道を進みながら、今しばらくの自由を謳歌しようと静かに思った。

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