30日目 愚痴

彼曰く、人付き合いも一筋縄ではいかない。


 ***


人付き合い。


これほど難しいことはない。


目を開ける。

人の声がする。

そこに安心感を覚える。

鼻に入り込む朝ごはんの香りと、自分以外の、自分に似た誰かの匂い。

起き抜けの寝ぼけた頭でも、そこにいるのが家族だとわかる。

母親、父親、妹、兄。

普段からたくさん話すわけではない、むしろ最近は話す機会も乏しいくらい。


それでも家族とは話す必要もないほどに、どういう人間かが透けて見える。

愚痴を言えば気遣ってくれ、悩みを打ち明ければ助け舟を出してくれる。

楽しかったを楽しそうに話せば、体験したわけでもないのに楽しそうに聞いてくれる。

両親は温かい目で、兄妹は目を輝かせて。

自慢にもならないくだらないことでも、まるで一つの大冒険を聞くように耳を傾けてくれる。


家族とのふれあい、語らいは実に簡単なものだ。

前提条件も不要で、無駄に気遣うことなく話すことができるのだから。


私も家族と話すのは嫌いじゃない。

口下手な私がへたくそなりに体験談を面白おかしく話しているのを、それなりに相槌をして聞いてくれる。

今なら当時の話をもっと面白く話せるかもしれないけれど、その機会がないのが残念だ。

でもきっと、家族ならきちんと話を聞いてくれると信じられる。


それが他人になると、なぜこうも難しく感じるのだろう。

同じ言葉を話しているのに、違うニュアンスで受け取られてしまう。

思った通りに伝わらない。

口に出したときの雰囲気、話し方ひとつずれるだけで、その場の空気に緊迫感が生まれる。

電話越しならなおさらで、間違えた瞬間のいたたまれなさは半端ではない。

どうしたらいいのか、なんと言いつくろえばいいのか。

言葉を探している間に印象はぐんぐんと下がっていき、最終的にはこちらが謝るしかなくなる。

何も悪いことはしていないはずなのに。


世の中にはいろんな悪の定義があるらしい。

失礼なことや、バカにすること、否定や反論も悪の範疇になったりする。

でもその基準は人によって全然違う。

政治家にとって国民から税金を取ることが、国民全体への善だとしても、国民にとっては悪でしかない。

自分以外の人間に興味のない人間や、自分のことで手一杯な人間にとってはなおさら。

自分の資産を関係のないものに強制的にあてがわれる、理不尽なことこの上ない。

巡り巡って自分のためになるのかもしれないけれど、本当にそうなるかは疑問だ。

もしかしたら善行のため、と集められたものは別のところで悪行に使われているかもしれないのだから。


味方によって悪は善にもなるし、善は悪にもなる。

判断基準は自分次第で、同じ人間は一人としていないだろう。

どんな夫婦の中にも多少の軋轢が生じるのと同じ、破綻はしなくてもどこかで妥協している。

問題は互いにそれを認められるかどうか、自分と相手の関係値にある気がする。

本質的な問題としては、どんな判断基準を持つか、ということよりも、二人の間柄の方が重要な要因だろう。


人との距離感がわかっていないと、まれに関係値悪化という事件が起きる。

そうなることが嫌だから、あまり人と話さないようにしているのだけど、仕事となるとそうも言っていられない。

後輩には痛手かもしれない経験だけど、必要な経験だと今でも思う。

自分の苦労してきた身だからよくわかる。

今でもときどきはかり間違えてしまう距離感。

大体どれくらいなのか、数字で見えればいいのにと、どうでもいいことを考えてまた気を紛らわせる。

コミュ症、もといコミュニケーションを苦手とする症状を持っていると苦労するものだな。


という愚痴、久しぶりに疲れているらしい気持ち。

週末に解消しよう。

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