15日目 『ギルティ』
彼曰く、今、観客の<想像力>が試される。
***
人間の創造性は多種多様。
創造性とはすなわち、人間の想像力からなる。
見たもの、聞いたもの、触ったもの、嗅いだもの、味わったもの。
様々な事柄を軸にして、そこから心で感じたものを、頭の中で増幅させて解放する。
そして自分なりの解釈を踏まえて内容を理解しようとする。
創造性に対する解釈もまた、想像することで可能となる。
でも想像した先がすべて同じかはわからない。
人の心は様々で、解釈の仕方も想像のパターンも様々だから。
『ギルティ』
これを見た人がみんな同じことを想像できるかはわからないけど、少なくとも全く違うことを想像するということはない気がする。
デンマーク語という、日本にいると普段聞くことのない言語は字幕なしでは見られない。
ハーフか留学生ならまだしも、純日本人で北欧にとんと縁のない私は否応にも画面にくぎ付けになる。
だからこそなのか、この映画の本質がよく見えてくる気がした。
警察官アスガー。
もともと現場の人間として働いていた彼は、電話番という後方勤務に従事せざるを得ない状態になっている。
自分の意志とは無関係に、ひっきりなしに鳴り響く着信音。
自分の実力を見せられないことにやるせなさを感じている彼のもとに一本の緊急電話がかかってくる。
「真っ暗で何も見えない」
「車の中」
「ここがどこかはわからない」
「南じゃないわ、北に向かっている」
要領を得ない通報から始まる一連の電話。
わずかな情報をつないで少しずつ見えてくる誘拐事件。
誘拐された女性は、自宅で帰りを待つ女性の子供は、誘拐犯とみられる夫の自宅は。
今、現場ではいったい何が起きているのか。
映画の視点が変わることはない。
警察署内のこじんまりとした電話室。
徐々に変化する誘拐の状況が耳に入るも、目では全く事件の全容を追えない。
狭く、変わり映えのない画面の奥で全く見えない事件が進行する。
この事件を解決することはできるのか。
最近観た映画の中でも異彩を放つ、新しい挑戦的な作品。
ラスト、急転直下な結末にゾッと背筋に嫌な感覚が走った。
多分、カフェの冷房のせいじゃないと思う。
それだけははっきりした感覚だった。
近日、リメイクがNetflixで製作されるらしい。
どんなふうになるかはわからないけど、意欲的で挑戦的なテーマは変えないでほしい。
そうでなければ、この作品が想像された意味がない。
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