6日目 温泉

彼曰く、温泉旅行行きたいいい~~~。


 ***


ほっと一息つきたいとき、あなたはどこに行きたい?


昔ながらの喫茶店?

行きつけのバー?

静かな公園を散歩する?

のんびり楽しくウインドウショッピングもありかも。


休み中に会った人が「温泉旅行に行ってくるんですよ!」と話していた。

近々の仕事が詰まっていて、先月までほとんど土日も出ずっぱり、GWの前半も仕事で潰れていたそうな。

しかももともとの予定よりも大幅に遅れてしまったせいで、我慢してこらえていた体調が堰を切ったように悪くなり、しばらく寝込んで仕事も手につかない状態になってしまっていた。

実はそのくらいで話したのだけど、ほんとうに辛そうで、首元や頬が赤くはれていた。

心配していたのだが、体調は良くなって仕事も終わり、他に止めていた仕事も終わらせることができたとのことで、ようやく休みを取れるのだ。


「本当にお疲れ様でした」

そう言うと、「いや~~ありがとうございます!もうほんと大変でした、ようやく休める~!」と感情が爆発していた。

普段は冷静な印象の人だけど、仕事から解放されると人はこんなにも自由を感じるんだな思った。

やはり大変な仕事なんてしない方がいいよね、すごくわかる。

時々でいいよ、1年に1回くらいで。


遠出は難しいので、近場の温泉付きのホテルに3泊ほどするらしい。

同じところに泊まると言っていたから行動は制限されそうだけど、都内で温泉に入れるだけでもうれしいと思う。

私もできるなら毎日温泉に入りたいくらいだもの。


温泉はいい、日本人の血が騒ぐ。

子供の時から漬かり慣れている日本人にとっては「お湯につかる」と言う行為が特別なものに感じるのだ。


『風呂は心の洗濯よ』『全身をほぐす天然マッサージ』『嫌なこともつらいことも、たまった疲れとともにとかしてくれる』

いろんな言い方をされる温泉、いわゆるお風呂は、働きづめになりがちな日本人だからこそ味わえる醍醐味だと思う。


世界的に見ても湯につかる、という文化は少ない。

”風呂”は古代はメソポタミアやインダス、ハドリアヌス帝の大浴場で有名なローマ帝政期から存在しているが、キリスト教義に伴い、湯につかるという行為は忌避された。今でこそ科学的にも有効だという認識が浸透しているが、それでも毎日風呂に入る習慣を持っている西洋人は非常にまれだ。


一方、日本では元々神道の影響で水を浴びる禊の習慣があり、その名残として湯で体を清めたり、蒸気に体をさらすなどの行為が一般的になった。

実は今のように湯船につかるのが一般的になったのは江戸時代のことで、平安期には貴族の住まう寝殿造りの屋敷に”湯殿”と呼ばれる場所があるのみだったらしい。

今でこそミニマムな生活のために、風呂に入らずシャワーだけの習慣も増えてきたが、やはり日本人は風呂に浸かるべきだと思う。


風呂は自然を体に取り入れる行為だと思う。

温泉で湯につかり、外気を浴びながら空の下、何でもない景色をぼーっと何も考えずに眺めながら、体を弛緩させて過ごす。

時間も、自分も、世間も、何もかもを忘れられるひととき。

ただ呼吸するだけの何かになる。

そうすることで自然と一体になることができる。

もやもやとしたものも、風呂に入ってぐでーっとしていればさっぱり忘れていたり、どうでもよくなるのだ。

大きな自然の前では、人間の悩みなんてそんなもの。

ただ気持ちの良い空気を肺に取り入れる行為を繰り返す。

それだけ、ただそれだけでいい。


温泉はそんな自由を与えてくれる最後の楽園なんだ。

最後の、そして最期の。


私は死ぬ前にもう一度、黒川温泉郷に行くと決めている。

九州の秘境、私の晩年を過ごす候補地。

あそこには俗世から離れた不思議な感覚と生きた自然の命が満ちている。

いつ死ぬかは分からないけど、死ぬ前に必ず行きたい場所。


人生の重荷をすべておろしたら、あの場所で一息つくんだ。

行ったときの感動を思い出した1日だった。

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